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第12話 「Just 3 Blinks Away ―瞬き3度のその先に―

 

 空港を出ると、ロータリーにはすでに軍から送られた専用車が待っていた。すぐに乗り込み官舎に向かいながら、後部座席で小さなテレビモニタに見入る。
 ――久下通産大臣逝去。
 知らせを受けたのは、出張先のアジア諸国を対象とした国際軍事会議での席上だった。その後の予定を何とか調整したけれど、乗り継ぎの途中でハリケーンに遭い足止めを食った。
 せめて葬儀には駆けつけたかったのだが、帰国した今はすでにそれも済んでしまっている。
 モニタの端にちらりと映った喪服姿の長男が痛々しかった。
 クリムゾンの高圧的な姿勢は、かなり以前から軍幹部の間でも時折話題になっていた。その度に査問会議にかけてはどうか、という話が囁かれ、いつのまにか立ち消えるのが常だったのだが。
 まさか局長を含めた官房室まで今回のスキャンダルに関わっていたなどと、だれが想像できただろう。
 ……自分がそばにいたところで、何の役にも立てなかったかもしれない。
 久下正禅は、『次期大統領に最も近い男』と称された、この国の大臣だったのだ。あの頃のあるじと同じ立場ではなかった。
 それでも、久下家に対して何ひとつできなかった自分に、森大里は激しい憤りを覚えた。

 

 

 ――大混乱を極めていた久下邸の敷地に森大里が足を運べたのは、葬儀などとっくに終わり、正禅の墓前に一人で花を手向けた後だった。
 敷地内の警備は一時的にストライカーズが取りしきっていた。
 心労で倒れた航生が療養中のため、内情に詳しい人間が限られたせいもあり、捜査局は出入りを厳しく制限した。
 美凪と息子たちは、当時滞在中だった知人も含めて事件の真相が明らかになるまで家から一旦離れ、厳重に身元を守られていた。
 以前雇われていたセキュリティとはいえ、陸軍大佐の肩書きがなければ家族への接見もままならなかったかもしれない。
 夢にまで見ていた懐かしい敷地へ入り、U字型の白亜の建物の前に降り立つと胸が詰まった。
 キュカリでは、黒い布で作った小さな花を上着につけて喪に服す、という習慣がある。
 胸に花飾りをつけた森大里がポーチを進んでゆくと、白の上下服に同じく黒の花飾りをつけたルイーザがあらわれ、丁寧なお辞儀をしてくれた。
「森大里!」
 ルイーザの後ろから玄関に出てきた短髪の青年を見て、大男が目を瞠る。
「……キショウさま、ですか?」
「他にだれがいるんだよ」
 想像を遥かに上回るほど大人びた次男は、そう言って困ったような顔をした。
「ま、入れ。兄貴が待ってる」
 身長も伸びたけれど、顔つきが変わった。
 森大里を見ても、もうことさらに自分の立場を主張してこない。
 仕事や社会に対して地盤を持ったから、自信がついたのだろう。以前のような、だれに対しても自分を主張したがるような雰囲気が緩んだ。
 キショウの後に続いて廊下を進み、リビングルームに入る。
 そこに哲笙がいた。
 ジーンズの足の上に両肘をついて書類に目を通していたが、森大里を見て挨拶がわりに眉を動かした。
「哲笙さま、このたびは突然のことで……直接お悔やみの言葉を伝えるのが遅くなって申し訳ありません」
「いや、俺のほうこそ、何度も連絡を受けていたのに早く来てもらえなくてすまなかった」
 声にはハリがあったけれど、顎の線が引き締まった気がした。
 ……痩せたんだ。
 当たり前だ。離婚も含めて、ここ半年の間、彼の身にどれだけのことがあっただろう。そう気づいて、森大里の胸がちくりと疼く。
 目に見える傷もまだ癒えないだろうに、あるじを失った邸宅の警備強化を含めてすでに多くのことをこなした。
 この人は、哀しいできごとがあった時や辛くてどうしようもない時、どうやって心を休めているのだろう。
 それは自分が教えたものとは質の違うものであり、哲笙自身が独りで学びとったものだ。
 時に痛みや辛苦を味わいながら。
 父から学んだ最大のものが逆境に対する耐久性だとしたら、哲笙は間違いなく正禅を凌ぐ人物になる。政治家とは別の道を選んだ息子の敵は不正と犯罪――だからこそ、彼はその位置にふさわしい。
 正禅と同じ強さを持ちながら、弟のように真っ向から反発はせずに父に挑んだ。
 強いけれど、決して無神経ではない。
 森大里は、どこまでも頭が下がる思いで目の前の彼を見つめた。
「哲笙さま、僕でできることがありましたら、何なりとおっしゃってください」
「ありがとう。お前にそう言ってもらえると心強いよ。でも……」
 父親と同じ深みのある声で、哲笙は続ける。
「俺たちよりも――母を頼む」

 

 2階へ上がっても、彼女の姿は自室になかった。パウダールームまで調べたが姿が見えない。
 部屋を出た森大里は、 廊下の先に置かれたグリーンの立てるかすかな葉ずれの音に振り向いた。
 ――正禅の部屋の前だった。
 ぎくりとする。まさか早まったことを考えたのだろうか。
 黒い革靴で大またに大理石の廊下を進んだ。以前であればノックもなく入ることは許されなかった正禅の部屋だったが、今は観音開きのドアが開いたままになっていた。
 バルコニーへのガラス窓も開け放たれている。
 森大里は荒々しくじゅうたんを踏みつけ、そのまま部屋の中を突っ切るようにしてバルコニーへ出た。
 そこに、美凪がいた。
 黒いアイアンの柵に両腕を乗せ、夕暮れの日差しに照らされた庭を見つめていた。
 無事なのを確かめると、ほっとしたせいで森大里の目の前が一瞬かすんだ。
 少し強くなり始めた風が彼女の髪をもてあそんでいるせいで、その表情は見えなかった。
 瞬きを3度繰り返すほどの間のできごとだった。
 森大里がためらっているうちに彼女が振り向き、くちびるが穏やかな微笑を描いた。
 美凪はもう一度視線を戻し、アイアンの柵の上に肘をついたまま右手で庭を指した。
「きれいでしょ?……うちの庭って、こんなに美しいものだったのね。もうずっと忘れていたわ」
 言われて、森大里も思わず庭に目を向けた。
 オレンジ色の空をバックに浮き上がるヤシの葉の影。小さな橋の架かった池や、奥のプールサイドにはそろそろライトアップがなされる頃だろう。
 風に乗って時折鼻をくすぐるのは、ブーゲンビリアの甘い香りだろうか。緑の濃くなった真夏の芝生は、以前とまったく変わらない様子できちんと刈りそろえられている。
 ……けれど、森大里は知っている。美というものは本来、その人の目の中にあるのだということを。
 ものを見て美しいと思うのは、その人の心根が美しい証。
 哀しい思いをすると、そうした感性が研ぎ澄まされる人もいる。
 軍の前線で活躍した後、突然引退を決意する者の中にもそうした人が決して少なくはなかったことを思い出し、森大里は胸がかき乱される思いがした。
「申し訳ありませんでした、何のお力添えもできないままこんな結果に……」
 美凪はゆっくり首を振った。
「そう感じているのはあなただけじゃないわ」
 風に揺れる髪を指先で耳にかける。
「同じ思いをだれかと分け合ってる、って知ることで安心できるなんて、初めて教わった気がする」
 その時、庭のあちこちにあるライトに、音もなく一斉に明かりが灯った。
 緩やかな白熱灯の光の中で見た美凪の横顔は、予想していたほど沈んだものはなく、少し青ざめているように見えただけだった。
「……ここでは少しお寒いでしょう。中で休んではいかがです?」
 森大里の言葉を聞いてわずかに考え込み、やがて、そうねと答えてつま先を部屋の中に向けた。
 窓際に配置されている小さなソファに腰かけ、 美凪が真っ白なパシュミナのストールを羽織る。
 華僑の人々にとって、白は葬儀の色――。
 一瞬にして白く染まった美凪に胸が詰まった。
「ルイーザに言って、温かいお茶を淹れてもらってきます」
 ソファの脇から離れようとした森大里の上着の袖をひっぱり、美凪が彼を引きとめる。
「いいの、大丈夫。もう他のだれかに気を使わせるのはイヤ」
 森大里はその場で動きを止めた。
「ごめんなさい、あなたにはいつも勝手なことばかり言って」
「いいえ、そんなことは」
 引き止められたままで、彼女の正面に向く。
 すうっとその手が離れて流れ落ちる瞬間、偶然だろうか、森大里の手を握った。
 冷えているわけでもないのにわずかに震えている指先をつかまえる。
「……『お皿も洗えないんです』って言ったのよ」
「は?」
「プロポーズされた時」
 うつむいたままで、美凪は続けた。
「お互い、親のすすめる人が他にいたんだけど……だから正禅の気持ちを断ろうと思って、わざと本当のことを告げたの。『わたし、お洗濯はおろか、お皿一枚満足に洗えません。家事はぜんぶメイド任せです』って」
 ふっと笑う気配が広がる。
「笑っちゃうでしょ? いくら何もできないからって、それはあんまりでしょ?」
 当時のことを思い出しているのだろう、頬がカーブを描くようにしてほほえんだ。
「なのに、それでいいって。メイドや使用人もつれて来てくださいって、言われたわ」
 蔡家の財力なら何の問題もないが、同じ条件をそのまま引き継いで実現できる男はなかなかいないだろう。
「『将来は俺が看取ってやる』って言ってくれたのに。『だから何も心配するな』って」
 約束だったのに、と言い足して続ける。
「男の人は、みんなうそつき」
 その言葉に、岬の別荘へ出かけた時のことを思い出した。あの時も夏だった。
「わたしのせいなの」
 強い声で美凪が続ける。
「もう少しわたしがあの人の身辺に気をつけていれば……そもそもわたしがあなたを軍に返したりしなければ、こんな結果にはなっていなかったはず」
 彼の手を離すと、そのまま右手で額を支えるようにして、美凪はうつむいた。
 瞳が見えなくなる。
 たったそれだけで、森大里の鼓動は手に負えないほど早くなった。
「美凪さま――」
 森大里はじゅうたんの上にひざまずき、今度はソファに座った彼女を見上げる形になった。
「それだけじゃないわ。子供のころから哲笙に我慢させるくせをつけたのも、キショウが父親から離れてしまったのも……みんなわたしのせいなの。わたしがきちんと対処できなかったばっかりに、みんなを苦しめた」
 声が震えを帯びた。
「夫も子供たちも幸せにしてあげることができなくて、毎日思うの。わたしは一体、何のためにここにいるのかしら、って」
 声と同じように震える指先を落ち着かせたかった。言葉の途中でソファの脇についた片手をそっと上げた一瞬。
 小さく光る粒が美凪の目からこぼれ、森大里の手の甲に落ちていった。
 見落としてしまいそうなほど小さな涙の粒が、どんな剣よりも鋭く森大里の心に突き刺さる。
「……そんなふうに思っていただけただけで、正禅さまは幸せでしょう」
 美凪のまつげが揺れ、とび色の瞳が目の前にひざまずいている大男を見た。
「僕ならそう考えます。多少の……いや、たくさんの心残りがあるとしても、大切な人がそんなふうに思ってくれているのなら、もう会えなくて寂しいけれど、幸せだったと――僕が正禅さまならそう思います」
 彼女の気持ちは受け止められるべきだと思った。
 良き妻、母ではないかもしれないけれど、だから何だというんだ。彼女の存在こそが、自分の生きる源だった。
 そう告げることができなくても、心の中に流れる気持ちを変えることはだれにもできはしない。
「……やっぱり男の人はうそつき」
 揺れる瞳で森大里を見つめ、美凪は眉を歪めて笑みを作った。今すぐ消えてしまいそうに儚いほど、淡い微笑みだった。
「虚言に聞こえてしまってもいい。ですが、あなたがいるだけで、力づけられる人もたくさんいるのですよ」
 彼女の強がりに、森大里も困った笑みを浮かべた。
「そう思っている者がここにも確かにいることを、お忘れなきよう……」
 うそつきとなじられてもかまわない。あなたを支えることができるなら、という言葉を飲み込む。
 この愛しい人が涙した時に、うそでもいいから心を解き放ってあげたいと思わない者などいるものか。
 正禅もきっと同じような気持ちでいたのかもしれないな。
 そう気づいて、胸のどこかがひきつれるような感じがした。
「ありがと。森大里」
 とび色の瞳はまだ少し潤んだまま、そのまつげを伏せた――。


 森大里は週が変わるごとに久下邸へ足を運んだ。
 警備の詳細を哲笙や航生と検討しあい、やがて加わるようになったキショウと行動を共にし、2人の息子が母の声の届くところに居られない時は彼自身がそばに居られるよう努めた。
 仕事の後で立ち寄ることもあれば、久下家のだれかに呼ばれて出向くこともあった。
 『お前がいると心強いから』、『いてくれるだけで安心する』――そんな言葉をかけてもらえるだけで良かった。
 ぬけがらのような様子のまま仕事に専念しようと努めていた美凪が、少しずつ表情を取り戻し、声をたてて笑うようになる。
 目に見えて大きな変化があるわけではない。けれど、気がついた時はいつも、少しだけ穏やかな表情をしている。
 そう知ることは森大里の気持ちを落ち着かせた。
 『顔つきが柔らかくなりましたね』――いつだったか、サンチェスからそんな言葉をかけられた。
 そして、だれかの一言でこれほど自分の本心を浮き彫りにされたことがあっただろうか、という問いが、キャンドルの明かりのように人生を照らし始めた。

 

 

 兄の話を聞いて、キショウは飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルからあわてて口を離した。
「……なに?」
 左手でボトルを持ったまま、右手の小指でぐるりと耳を掻く。
「俺さー、波葉の大声のせいで耳がおかしくなったのかな? 兄貴が『森大里はおふくろにホレてる』って言ったように聞こえたんだけど?」
「そう言ったんだよ」
 兄はあっさりと言い放った。
 沈黙が落ちた。
 父の葬儀が済んだのはもう半年以上も前になる。胸に黒い花をつけてここへ現れた日の森大里は、キショウの目にも憔悴しきって痛々しく映った。
 それから久下邸のセキュリティには以前にも増して気を配り、使用人はすべて身元の照会をし直し、新しい者は哲笙の許可を待ってから雇うことを徹底させた。
 彼がこれほど心配性だということを知ったのは最近だが、そんな理由が隠されていたとはまったく気づかなかった。
 ……なるほど、ラティーシャにさんざん詰られたけど、俺は本当に鈍い男だったらしい。
 ソファの肘かけに座ったまま足を伸ばして、キショウは呆然とする。
 カタカタカタ、と庭のヤシの葉ずれの音が聞こえ、長すぎる沈黙に耐えられなくなった哲笙のほうが大きく吐息をついた。
「本当にわからなかったのか? うちへの忠誠心から結婚も考えなかったって? いくら森大里が軍人だからって、今時そんな男がいるもんか」
「だだだだって、あいつはずっとここに住んでたんだぞ?! それにそれに、親父だって一緒だったじゃねえか。ずっとここで顔合わせてたし……つーか、その雇い主の女房じゃん? ありえねえよ、そんなこと」
「いや、親父は知ってたんだと思う」
「はぁ?!」
 ソファの肘かけから腰を上げた。
「知っててずっと雇ってたのか? なんだよそれ?! サイアク! 親父ってひでぇ男! じゃあ知らなかったのは俺だけかよ!」
「いや、お前だけじゃない」
「へ?」
「――母さんもだ」
 キショウの顔が一瞬のっぺりと表情をなくした。ありえねえ、とまたつぶやく。
「なあ、キショウ。試してみないか――?」
「た、試すって……何を?」
 視線を上げて見つめた兄の瞳が愉悦を含んで、するんと細くなった。

 

「すまないな、森大里、急に呼びつけたりして」
 紅茶を淹れてくれたメイドが下がると、森大里の正面に座った哲笙が言った。
「いいえ、僕の受け持ちはもう、いちばん忙しい時期を終えましたから……だけど大変ですね。コンペに出張が重なるとは。僕よりお二人のほうが忙しそうだ」
「俺のはただの建築コンペ。でも兄貴のは、日本でとっつかまえたキュカリのアホ野郎を連れ戻す護衛役だからな、メンドウだぜ」
「お前の認識はその程度か」
 肩をすくめたキショウの後頭部を哲笙の左手がはたく。
「でもさー、何だかんだ言って森大里にここの警備監督を頼ってばっかりってのも、マズイよなあやっぱ?」
「かまいませんよ、今期は受け持つ講義を減らして、部下が製作している本の監修が主な仕事ですから……これがあれば官舎にいなくても充分こなせます」
 書類とラップトップコンピュータの入ったケースを目で指して答えた。
「官舎とここを行ったり来たりすんの難儀じゃねぇ? 陸軍大学なんて高速に乗ればすぐだろ、この際だからここに住んじゃえよ、森大里」
「ははは、出戻りですか。それは少々難しいですね」
「どうして? だって好きなんだろ? おふくろのこと」
 次男がサラリと言ってのけた。
 森大里はゆっくり視線を上げて彼を見た。
「は? 何ですって?」
「だから、おふくろのこと好きなんだろ?」
「二度も言わなくていいです!」
「なら訊き返すなっつーの」
「そ、そういうことではなくてですね」
「……じゃあどういう意味だ?」
 正面に座っていた哲笙がすべてお見通し、というような目を向けてきた。
 ……そうだ。
 ストライカーズの捜査官とはこういう者だということをすっかり忘れていた。
「おかしなことを言い出さないでください、という意味です」
「違うのか?」
「違います!」
「そうか……違うんだってさ、母さん」
 残念そうにつぶやいて、哲笙が森大里の背後に目を向けた。
「え?!」
 あわてて後ろを振り返る。
「――なーんてな」
 ぺろりと舌を出して長男がおどけた。
 だれもいないのを確かめ、思わずほうっとため息をついて肩が下がってしまった。
 それを見た哲笙がしっぽをつかんだと言わんばかりに目を輝かせる。しまったと思ったがもう遅かった。
「心配するな、今日は仕事が入ってずっと出かけてる。ここにはいないよ」
 肩をすくめて見せるその眉が形良くはね上がった。
 彼がこんなに陽気なしぐさを見せるなんて珍しい。 よほど楽しいことでもあったのだろうか。
 それとも、長身で、磨かれた黒曜石のような瞳をした凛々しい――あの女性の影響だろうか。
 頭の片隅で、森大里はそんなことを考えた。
「よく隠したな。何年になる?」
「……誤解です」
「まさか俺たちが子供の頃からってことはないよな?」
「いやー、どうだろうなーそりゃ?」
 兄弟は顔を見合わせた。
「だから誤解ですって」
「往生際が悪いぞ、大佐。さっきの顔を見れば判る。今さら俺たちに気兼ねもないだろ、気にするな」
 哲笙が口角をつりあげる。胸の中がむずむずした。
「気にするなといわれても……無理な注文です」
 テーブルの上の紅茶を一口すすった。
 ひどく熱かった。
 強引に喉の奥へと流し込んで、食道を火傷しそうになる。
「認めるんだな?」
 二人の顔が見れない。スーツの上着の上からでも自分で見てとれそうなほど、鼓動が激しくなった。
「だいじょーぶだって、俺らは黙っててやるから……ほれ、はっきり言え」
「親父のことだったら遠慮する必要はないぞ。あの人だって決していい夫とは呼べなかったんだ、自分の座をだれかに明け渡す覚悟くらいできてたさ」
「て、哲笙さま、そのような言い方は……」
「なんだ? お前の気持ちってのは、好き勝手をしてたあの人の足元にも及ばないものか……意外と見かけ倒しだな」
 息をついて軽く首を振る。
「まあ、夫婦として連れ添ってはいたけど……親父はうまくごまかしてたつもりで結局気づかれてたようだから、母さんという人はあまり男運がないな」
「そんなはずないでしょう」
 思わず言葉が飛び出していた。
「正禅さまほど美凪さまの幸せを叶えられるかたはいなかったはずです。僕では無理だと思ったから――」
 はっとして口ごもる。ソファの肘かけに腰を下ろしていたキショウがため息をついた。
「ったく……ガードが固すぎんだよ、大佐」
 ついに目を閉じた。そのまぶたの裏を、いろんな思いが現れては消えてゆく。
 長い間の恋心から苦しい思いも嬉しかったできごともみんなみんな、森大里の脳裏ではまだついこの間起きたことのように思い返すことができる。
「それで? 親父に敵うところが何もないからって、お前はそういう、立場上のことしか言う気がないわけか」
「……確かに、僕には富も名声もありませんが」
 まだ否定する気か、と言いたげな様子で次男が舌を出した。
「命令であってもなくても、僕の全身全霊をかけて美凪さまをお守りする覚悟はずっとありました」
 不思議なことに、言った瞬間、ああそうだったんだ、と納得している自分がいた。
 両肩から緩やかに緊張がとけて、胸を塞いでいた膜がはがれて落ちた。そんな気さえした。
「いえ、今もあります。あのかたを想う気持ちであれば――だれにも負けないと誓えるだけのものが」
「親父にもか?」
「無論です」
 キショウの視線が森大里の背後に流れた。
「……あ、おふくろ」
「キショウさま、いくら何でも同じテに2度もひっかかったりしませんよ」
 どうだと言わんばかりの態度で二人を見やる。
 ソファの背にぐっともたれかかる彼の後ろから、かつん、と細い靴音がしたのはその直後だった。
「――それはどうかしら……?」
 声を聞いて森大里の瞳が見開かれた。
「ごめんなさい、お話聞こえてしまったわ」
 がたたっ、と大きな音をさせ、弾かれたように大男がソファから立ち上がる。
 同時に膝がテーブルに当たって揺れたカップからお茶がこぼれた。
「あっ」
 あわててテーブルの上を拭う。手にたぐり寄せたのは花瓶敷きだった。
 哲笙が、さっと横を向いたまま肩を揺らし始めた。
「哲笙さま、騙しましたね……ッ!」
「だって、こうでもしないとずっと黙ったままでいそうだったからさ」
 睨みつけたけれど、胸のむずむずした感じがいっそう強くなっただけだった。
「あなたは本当に、一途で強情な男だよ、森大里」
 とび色の瞳をそっと閉じて、リビングを出る前に長男がこぼしてゆく。その後に続く次男のくちびるが口笛を奏でた。
 ……逃げ場がない。
 残された森大里は、そんな思いでいっぱいになった。

 

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