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    「 理想の恋のこわしかた 」

SCENE 3 * 息も止まるほど *

 

斬りこむような鋭いまなざしだったはずなのに。

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 ファインダー越しにリンクを見る。
 さっきから心臓の音は大きくなるばかりで、シャッターボタンに乗せた指がわずかにふるえた。
 日曜の午後、目の前でくりひろげられている国際交流試合とやら。
 正式にアイスホッケーの試合を観たのは初めてで、こんなに展開が早いなんて知らなかった。
 スティックが氷上をかすめるたびにシャッターを切った。黒いパックは早くてとても目が追いつきそうにないので、選手を撮ることに専念した。
 シャーッと氷を削る音を轟かせて、強化ガラスの向こうを男たちが通りすぎてゆく。
 Cマークをつけた選手にパックが渡るとあちこちから歓声があがった。
 ボードにぶつかる音、リンクを叩く音、楽器の音、怒号。小気味いい音をさせて目にもとまらぬ速さで滑ってゆくパック。
 黒いそれがキーパーの足の間を抜けてゴールネットを揺らすと、フォーンと音が鳴り響いて会場が揺れた。
 なんなのよ……なんなのよ、いったいこれは。
 ……かっこよすぎだっつーの!!
 めまいがしそうに心臓がどきどきして、シャッターボタンを押す指が手首から揺れだした。
 ああもう。
 ブレまくりの写真ばかりになりそう。

 

 第2ピリオドが終わったところだった。
 リンクの向こう側、行き交う観客のあいだを縫うようにして、通路を進む青い制服の長身が見えた。キャスターつきのごみ箱を押しながら歩いている。
 帽子を目深にかぶり、すこしうつむくようにして歩くあの姿……見間違えるはずがない。このあいだの清掃員さんだ。
 レンズにキャップをしてバッグに入れ、カメラバッグのストラップを左肩にかけるとリンク脇から離れて通路に向かった。
 話をするあてもないのに、言葉をかわしたかった。
 15分のインターミッション中なので、通路も売店も軽食コーナーも混雑していた。
 軽食やドリンクを買う者、それを飲食する者、プログラムを冷やかす者、携帯電話を使う者。
 よくこれだけの人間が集まるものだと思いながら通路の先へと進んだ。
 青い帽子の襟足からはねた黒髪が見える。
 ごみ箱を利用するだれかに時折呼び止められているのか、ゆったりした動作で進みながら、どんどん奥へと進んでゆく。
 うしろ姿に追いつこうとして、小走りになった。
 化粧室からでてきた女の子たちとぶつかりそうになる。あわてて体を遠ざけ、壁際に寄って彼女たちが行きすぎるのを待った。
「――カレル!」
 深い、男のひとの声が聞こえたのはその時だった。
 言葉の意味に考えをめぐらせるより早く、声のしたほうを見た。
「おまえ、今日どうすんの? 来る?」
 ホッケーのユニフォームを着た冗談みたいに大柄なひとが、青い制服の清掃員さんに話しかけている。通路の奥のほうからやってきたらしい。
 肩のうえまで落ちた黒髪が汗でぬれている。
 シューズを履いたままでゴムマットのうえに立ち、片手に黒いグローブをふたつまとめて持っていた。
「どうかな……かたづけもあるだろうし、金田さんにも訊いてみないと」
「ばっか、みんな集まれるの今日だけだぞ? なんなら金田さんも呼べよ」
 ホッケー男はそう言って清掃員さんの肩のあたりを小突いた。明るい声と遠慮のないその態度が、かなり親しい間柄なんだろうと思わせる。
 清掃員さんの表情はよく見えなかった。
「まあいいや、じゃ時間とれたらあとからでも来いよ。『ARCTIC』にいるから」
 返事も待たずにはっきりした口調で切りあげて、ホッケー男は脇をすり抜け控え室へと入っていった。
 白いユニフォームの背中には8番と、SATOというネームがちらりと見えた。
 ……SATO?
 もしかして――。
 清掃員さんはわずかに肩で息をつくと、通路を進まずに方向転換してこちらを振り返った。
 目が合う。
 きつい眉と、斬りこむようなまなざし。今日はマスクをしてないから、表情がはっきり見えた。
 あ、って感じで眉をあげてから困ったような苦い笑みを見せて、彼はもういちど大きく息をつくと両肩をさげた。

 

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「カレル、っていうの?」
 きれいな名前。木製のベンチに座る彼のとなりにカメラバッグを置き、紙コップに入ったブラックコーヒーを手渡しながら訊いた。
 この前のお礼にと言って、エントランス横の販売機から買ったものだ。自分用にロイヤルミルクティのボタンを押す。
「外国のひと?」
「父親はな」
 そう言われてみると、はっきりした鼻筋と骨格にどこか日本人離れした血筋を感じた。
 このあいだはマスクなんかかけててよく見えなかったしなぁ。
 あみだにかぶった帽子の下から、すこしクセのある黒髪が外に向かってはねている。
 干渉されるのをいやがっているようにも見える横顔に、わたしの中の罪悪感が首をもたげた。
「……『けち』とか呼んじゃってごめんね、この前」 
 体を傾けて顔をのぞきこむと、いや、と首を振られた。
「少なくともあんたの様子は、俺のことをまぎれもない日本人だと思って疑いもしてなかったから」
「ちがうの?」
「ちがわない。国籍も日本だし、言葉だって日本語しかしゃべれないし」
「あら、じゃあわたしと同じ。まぎれもない日本人」
 ふっと笑う気配が伝わる。ゆるやかにさがった目じりを見てすこし安心した。
 販売機の真ん中にある小さな扉をあけて湯気のたつ紙コップを取りだす。木製のベンチに並んで腰をおろした。
「そうだよな。でも世の中にはいろんなひとがいるから、説明すんの面倒だって思う時もあって……だから兄貴にも、もうすこし明るく物事が考えれねえのかって」
 そこでコーヒーをすする。
「よく怒られる」
 『兄貴』っていうのは、さっきのひとかな、と思いついた。
 顔立ちがどことなく似ていた。お兄さんのほうが硬度が高そうだけど……声が深くてガツンとしたイメージで、いうなれば岩みたいな感じ。
 カレルと呼ばれたこの彼は同じように硬さを持っていても、どこか氷みたいな雰囲気だ。もっと繊細で透明なのかもしれない。
 わたしには、顔立ちも雰囲気も似ていない弟しかいない。共通項があまりにも少なくて、逆に佐藤兄弟を新鮮に感じた。
「お兄さん、この試合にでてるんだね」
「いまは戻ってきてるけど、本当はチェコのリーグにいるんだ」
「チェコ? 海外に行ってる選手もいるんだ。今まで知らなかったけど、ホッケーってけっこうスポーツ人口多いよね」
 今日リンクに足を運ぶまで、これだけのファンや関係者がいるなんて知らなかった。
 広告を募ったり広報に力を入れたりすれば、もしかしたら前に言っていた『ザイセイナン』というやつも、すこしはマシになるんじゃないか……そんな考えを持つほど会場は盛りあがっていた。
「でも、ルールはちょっとむずかしいわね。いつボックスに入るのかもわかんないし、フェイスオフの時に交代する理由もわかんないんだもん」
 ははは、と笑われた。屈託のないその声が心地よく鼓膜をゆさぶる。
 このひと……笑うとこんな声なんだ。
 しゃべっている時と同じくらい低くて、すこし割れたようにひずむ。どこか落ち着きのある声だった。
「ボックスに入るのはペナルティ取られた時。ふつうは2分。大きい反則だと5分とか、退場させられることもあるよ。フェイスオフが交代させられるのは、単に間が合わなかっただけ。きりきりしてるとフライングしちゃうから」
「試合経験あるの?」
「あー……むかしね」
 だからシュート姿がサマになってたのね。
 わたしはコートのポケットを探りながら口をひらいた。
「いまのコメント、メモさせてもらっていい? アイスホッケーのこと、もうすこし勉強したいの」
 自分でも滑稽だと思わずにいられなかった。エントランスホール、自動販売機の横のベンチで、清掃員の制服を着たひとからメモをとる。
「……もしかして、新聞とか雑誌の記者なわけ?」
 ベンチに置いたカメラバッグとわたしの顔を交互に確かめながら訊かれた。
「記事も書くことはあるけど、わたしはカメラマン志望。でもルールや試合の流れに詳しくなれたらもっといい写真が撮れるかと思って。だったら経験者に訊くのがいちばんいいでしょ」
 内ポケットの奥からボールペンといっしょに小さな名刺入れをひっぱりだした。
 ケースから名刺を一枚出して差しだすと、大きな手で受けとってくれた。
 うつむきがちな視線を四角い紙片に落とす。その先には、わたしの名前が明朝体で印刷してある。
「……宮本よしのサン」
 カレルはまだ名刺に視線を落としたままでつぶやいた。
 自分の名前なのに、初めて耳にしたような感じがした。悪くない響きだった。
「サクラの木みたいな名前」
 低い声で言い当てられる。そう、わたしは確かにソメイヨシノから名づけられたんだけど……。
 すう、と息を止め、そのまま呼吸するのを一瞬ためらってしまった。
 目に見えてしまうんじゃないかと思えるほど、鼓動が早くなる。
 初めてこのひとを見た時、どうして苦手だなんて思ったんだろう?
 今になってわかった。体がざわざわしているんじゃない。
 これって、胸の鼓動だったんだ――。
 黙ったままで彼の横顔を見つめるわたしの耳に、リンクの方から歓声が届いた。
「あー、3ピリ始まったみたいだな」
 あわてて意識を引き戻す。
「へっ……ああ、ほんと。ねー、3ピリかー」
 もしかして今わたし、彼に見とれてた? 
 あのくちびるからこぼれおちる、自分の名前の響きがあまりにも心地よすぎて?
「……ほんとにわかってんの?」
 いかがわしい人間でも見るような目つきでカレルが言った。口元が笑っている。
 やだ、ちょっと待って。
 今の表情は不意打ちだわ。
「リンクのそばまで戻る? ルールとか、説明してやるよ」
 今日初めて名前教えてもらったひとだっていうのに、心臓がはしゃいでいる。
 もっと落ち着かないと、へんな女だって思われたらどうしよう。
 頭のどこかでそう思いながら、自動的にうなずいてしまった自分に呆れた。
 そんなわたしの気持ちに気づいたのか気づかなかったのか、カレルはこちらを見て満足そうな笑みを作った。
 斬りこむような鋭いまなざしだったはずなのに。
 わたしのものとはちがう明るい色をしているその瞳が、思ったよりやわらかさを含んでるってことに、はじめて気づいた。

 

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