>>NOVELS >>INDEX
* 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 *


    「 理想の恋のこわしかた 」

SCENE 4 * 理想の恋のこわしかた 1 *

 

めちゃくちゃカッコ悪いなコレ、と思いながら下を向いた。

...................................................................................................................................


 アイスレベルの冷たい空気を切り裂くようにホイッスルの音が響いた。
 屈強な男たちの動きがゆるやかになり、ボードをまたいでベンチにはいる者とでてくる者が行き交って氷上の動きが変わる。
「今度のホイッスルはなに?」
 左側に立っているよしのさんから訊かれた。
「アイシング。真ん中の赤い線の後ろから打ったパックが、誰にも触らずに反対側のゴールラインを超えること」
 人さし指でリンクの真ん中あたりからこちら側を指して説明した。
 アイシング、アイシング……と小声でくりかえしながら小さなノートに書きつけている。
 第3ピリオドが始まってから何度もルールを訊いてきて、そのたびにこうしてメモをとる。勉強家なんだな、と思った。
「アイシングのあとってフェイスオフになる?」
「なるよ」
 ノートをコートのポケットに入れ、足元に置いてある機材用のバッグから急いでカメラを取りあげた。
 デジタルの一眼レフ。 レンズをプレキシガラスに近づけて、ファインダーを覗く真剣な表情の横顔を黙って見つめた。
 ……あんなに長いまつげ、ファインダーに当たって邪魔になったりしないんだろうか。
「フェイスオフに出る選手って、いつも決まってるの?」 
「え? ああ……センターか、左右のウインガー」
「あなたのお兄さんは出ないのかな」
「ドミ――兄貴はディフェンスだから、相手チームの邪魔してればそれでOK」
 よしのさんはそれから息を詰めるようにしてシャッターチャンスを待ち、パックドロップの瞬間、俺のすぐとなりでカメラの連写音を響かせた。
 歓声をバックに引き連れて滑りこんでくる日本チームのセンターが弾き飛ばした強烈なパックが、勢いあまってがつんとボードに当たる。
 続けてなだれこんできた体の大きなプレイヤーたちが、次々とボードに体当たりしてプレキシガラスを揺らした。
「……っ」
 反射的に彼女の体が揺れ、わずかにこちらに傾く。腕がふれあった。
「ねえ、このガラス……外れて落ちてきたりしないよね?」
 怯えを宿した瞳に見あげられ、ちょっとしたいたずら心が刺激された。両腕を胸の前で組んだままで答えてやる。
「どうだろう、海外のリンクじゃ外れて怪我人でたとか聞いたけど」
「え」
 きゅっと眉のあいだを寄せて肩をすくめ、カメラを持ったままで半歩後ずさりしたせいで、今度はぴったりと俺に寄りそうかっこうになる。
 髪のあたりからかすかにハーブの香りが漂った。
「なんてな……ここはしっかりメンテしてるから、よほどのことがない限り大丈夫」
 ははは、と笑ったら左の二の腕をはたかれた。
「……そうね。万が一『よほどのこと』があっても、こうして手近な盾もあることだし」
 意味ありげな顔で俺を見る。
 守るものがあるから盾と呼ばれるなら、それもいいな、と思った。

 

 3ピリが始まってデジタルクロックが10:18とカウントアップしたところで、南側の通路でこちらを見ている川上さんに気がついた。
 右手で、こっちへきて手伝え、というように手招きしている。
「悪い、俺仕事に戻んなきゃ」
 ポケットに突っこんでおいた帽子をかぶりながら告げた。
 声は平静を保てたけど、足はまだよしのさんのとなりから動かない。
「あ、そうだよね。引き止めちゃってごめんなさい。参考になったわ、ありがとう」
 カメラをきちんと両手に収め、こちらを向く。
 すこし寒いのか、鼻の頭と頬が淡く染まっていた。
 砂でも詰まってるみたいに重い足を動かして踏みだす。
 1歩、2歩、3歩。コンクリートのフロアのうえを歩きだし――やっぱり振り返る。
 よしのさんも俺を見ていた。
 躊躇したのは、たぶん4秒くらい。
 先に口をひらいたのは彼女のほうだった。
「あの……あなたの仕事、ぜんぶ終わるまでここにいてもいいかな」
 心臓が跳びはねて口からでてくるんじゃないかと思った。
「まだいくつか訊きたいことあるの。その、ルールとか」
 ……なんだ、ホッケーのことかよ。
 跳びはねた心臓が一気に墜落した気分になる。
 苦い笑いがでた。
「じゃあ……試合が終わって1時間くらいしたら、東側の清掃員控え室ってとこにいるから」
「清掃員控え室ね」
 わかった、とつぶやいてうなずいてくれた。
 今度こそ歩きだしながら考える。
 国際交流試合最終日。まだまだこれから怒涛の清掃作業が待ってるんだ。
 なのに、歩きだした両足はさっき砂が詰まってるんじゃないかと思ったことが嘘みたいに軽かった。

 

...................................................................................................................................

 

 通路のモップがけとごみ捨てを終えて清掃員控え室に戻ると、金田さんがお茶の準備をしていた。
「川上さんは?」
「もう帰った。今日は特別行事だってのに、帰るときは定時で頼みます、だと」
 首を振ってみせる横顔に諦めの色が浮かんだ。
「打ち上げに呼ばれてるんだろう? 行かないとマズイんじゃないのか」
「いや、騒がしいの苦手なんで」
 金田さんがふっと息をつく音が聞こえた。
「なあ、カレル……おまえはおまえでいいんだ、気にするな」
 唐突だったので、青いゴム手袋をはずそうとする手が止まってしまった。
「あいつは先を行ってる分だけ歯がゆく見えるってだけなんだろ。そんな悪いもんでもないがな、不器用ってのも」
 だれが『あいつ』でだれが『不器用』なのか、すぐにわかった。
 金田さんは戸棚を物色しながら続ける。
「俺は、おまえの好きなようにしていいと思ってる。どうすればいいかってのは、それはそれ、だれにもどうしてやることもできないし、おまえ自身が自分で見つけなきゃならんがな……自分を解放できるのは自分だけってことだ」
 ドミニクにも、たぶん似たような意味のことを言われた。
 でもこのひとに言われると、どうしてこんなにもやわらかく受けとめられるんだろう。
 どう答えていいのかわからなかった。でも反論なんかぜんぜんなかった。
 黙っていると、金田さんは何事もなかったように棚の奥から新しいお茶の缶を取りだした。  
「……おまえも一服どうだ?」
 急須を持ちあげてみせる金田さんにうなずいた。
「今日の試合、立ち見もかなり出てたな。けっこうな動員数だったらしいじゃないか」  
「さっきスタッフがTシャツも売り切れたって言ってました」
 ゴム手袋を外してせっけんで手を洗いながらつけくわえる。
「そんな話聞いたの、ここにきてから初めてですよ」
「まあな、これでもむかしはそりゃあ繁盛していたスケート場だったんだが」
 タオルで手を拭いて、金田さんの湯飲みと自分用のマグをデスクに置いた。
 事務用の簡素なデスクのうえには、カバーのかかっていない文庫本が伏せてあった。
 金田さんはかなりの読書家で、休憩時間にはこうしてお茶を飲みながら本を読んでいることが多い。
 どこからか3段になったカラーボックスを運びこんできて、今では棚の3分の2が金田さんの持ちこんだ本になった。
 ……そういえば、あの棚のどこかにホッケーの本があったような気がする。
 そう考えてカラーボックスに近づいた。
「金田さん、ホッケーの反則とルール説明したヤツこのへんにありましたよね」
 こぽぽぽ、と心地よい音をさせてマグにお茶を注いでから、顔をあげる。
「ああ……川上が入ってきた時に読ませようと思って持ってきた本だろ。持って帰った様子はないから、その棚にあるはずだ」
 雑然とした部屋の隅ですこし身を屈め、目を凝らして背表紙を見ていると、2段目の右端に『図解式・ビギナーにもよくわかるホッケーのルール』というタイトルが見つかった。
 人さし指で引きだして、うすい本を抜きとる。
「なんだ? おまえにゃそんな本必要ないじゃねえか」
 金田さんの声が笑いを含んだ。
「……いや、俺じゃなくて――」
 身を起こして金田さんを振り返った時、控え室の戸口にあらわれた白いコートの女性に視線が引き寄せられた。
 


>>BACK
>>NEXT