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    「 理想の恋のこわしかた 」

* 理想の恋のこわしかた 2 *

 


 ……たぶん、自動的に笑顔になっていたのだろう。
 俺の顔を見た金田さんはぎょっとなって、それから混乱を顔にはりつけたままで戸口を振り返った。
「ええと……こんにちは」
 白いコート姿のよしのさんが、肩にカメラバッグをかけた格好でお辞儀をする。
 金田さんは開いたままの口を閉じて、こんにちは、とそれに応えた。それからくるっと俺に向き直り、思いきり目じりをさげた表情になる。
「宮本よしのさん。ホッケーのことをもっと知りたいんだそうで、俺が呼びました」
 黙ってると金田さんになにか都合の悪いことを言われそうな勢いだったので、そう説明した。
「お休み中のところをお邪魔してすみません」
 すらりとした体を折って、よしのさんが言った。
「いや、もう大方片づいたから気にせんでください。わたしはここの責任者の金田という者です」
 あっという間に折りたたみの椅子が出た。
「ホッケーのことをねぇ……それなら確かにこいつに訊くのがいちばんいいよ」
 急須に手を伸ばそうとした俺は、それも電光石火の勢いで奪われて立ち尽くす。
「いいからおまえは座ってろ。本、見せてやるんじゃないのか」
 折りたたみの椅子におそるおそる腰かけたよしのさんが、ちょっと首を曲げながら俺を見た。
「ああ、これならわかりやすいかなと思って。金田さんのなんだけど」
 うすい本をデスクのうえに置くと、よしのさんの細い指が表紙をなでた。
 ぱらり、とページをめくって写真や文章を確かめる表情が明るくなる。
「俺にもおまえにも必要のない本だ。川上はちっとも読んでないから興味がないんだろう」
 そこで、金田さんは淹れたての玄米茶が入った白い小さな湯飲みをよしのさんの前に置いた。いつの間に出してきたのか、茶托までついている。
「必要とされるひとの手に渡ったほうが、役に立つかもしれん。良かったら持ってってください」
 こんなに優しそうな表情をする金田さんはいままで見たことがなかった。
「ありがとうございます。助かります」
 よしのさんがはにかむように言った。頬にえくぼがあらわれる。
 だれに聞こえるはずもないのに無駄に心臓の音だけでかくなった気がして、マグを引き寄せ、お茶を飲んだ。
「ホッケーに興味があるんですか?」
「きっかけは、ほんの偶然だったんですけど……」
 金田さんの質問に、よしのさんは一昨日のできごとを話してきかせた。
 大雪の中、出先から帰る途中で『国際交流試合』という横断幕に惹かれて覗いてみたこと。
 初めて見学したホッケーの練習風景が意外におもしろかったこと。
 負けてしまったけど、今日の国際交流試合はもっと楽しめたこと。
「びっくりすることばっかりです。佐藤さんも、初めはもっと怖いひとかなのかと思ってたし」
 ……怖いひと。
 ってなんだよ。
 そう思ったのが顔にでたのか、金田さんがものすごく楽しそうな表情になる。
「まあ確かに、目つきはちょっとオオカミみたいだけどな」
 俺はケダモノですか。ひどい例えに思わず顔をしかめた。
「だがお嬢さんが心配するようなやつじゃないと思うよ」
「そうなんですか?」
「そうだとも。だってさっき宮本さんがきた時――」
「金田さん」
 なにを言われるかわからないので早めにクギを刺しておく。
 金田さんはまだにやつきながら、わかったわかった、というように片手をあげて見せた。
 そこでリンクの外のスピーカーから夕刻を知らせる鐘が鳴り響いた。今日の業務がすべて終了したことになる。
「そろそろあがりだな……宮本さん、このあと駅まで行くのかい?」
 金田さんが急須をつかみ、席を立ちながら訊ねた。
「ええ」
「だったらこいつに送ってもらって、暗くならないうちに帰るといい」
 金田さんにここまで気を使われるほど気持ちが顔にでてたのかと思って、かなり動揺した。
 でも、すぐちがうことに気づいた。
 去年野外コンサート広場やゲームセンターができたせいで、駅前の様相がかなり変わった。
 とくに週末の夕暮れから夜にかけては、イベントが退けたあとも騒ぎ足りない連中の溜まり場のようになることもあって、あまりいい話は聞かない。
「着替えてくるから、ここで待ってて」
 そう言って立ちあがる。よしのさんはほほえんで小さくうなずいてくれた。
 シンクに立ってこちら側に背を向けている金田さんに心の中で感謝しながら、控え室のとなりにあるロッカールームに向かった。


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 リンクのエントランスをでると、冷たい風が頬をたたいた。
「わ、寒ッ……」 
 うすい桜色のストールをくるくると首に巻きつけながら、よしのさんが言った。音を立てて吹きつけてくる北風に首をすくめ、片手でそっと耳を押さえる。
「そんな薄着で寒くないの?」
「俺? こんなに着てるじゃん」
 フードのついたエアテックのジャケットと薄手のセーター、その下にTシャツとエドウィン。猛吹雪の中を歩くわけじゃなし、神奈川の夜なんかこれで充分だった。
「マフラーも手袋もしてないじゃない。リンクもすっごく寒かったのに慣れてるっていうか、寒さに強いよね」
「チェコ人のDNA入ってますから」
 軽口をたたいたら、そっか、と笑みを返された。
 ふだんならこんなことは身内か親しい友達にしか言わないはずだった。
 どこかで受け止めてくれるんじゃないかと期待した。そう思いたかった。
 くっきりとあらわれたえくぼにまた心臓が騒がしくなる。
 ずっと見ていたいような、見ていると自分がなにをしていたのかわからなくなりそうな不思議な気分だった。
 ――俺はこのひとに惹かれてるってことかな。
 あっさりと納得している自分に驚いた。こんなふうに自覚してひとを好きになったことなんかなかった。
 女の子とつきあったことがないわけじゃない。
 でも近づいてくる女の子はいつも『ハーフ』という勝手なイメージを押しつけることに熱心で、それでもあと一歩のところで本音が言えない俺に幻滅して離れていくばかりだった。
 これまではホッケーに夢中になりすぎてた、ってのもあるかもしれない。
 メシ食って寝てる時以外はリンクにしかいない男を恋人にしたい女の子なんて、そういるもんじゃない。
 ……駅に向かって歩いているあいだ、よしのさんの肩が何度も触れた。
 ヒールのある靴をはいているのか、歩道を歩く音が小気味よく聞こえる。
 よく見かけるような、ぺたぺたした歩きかたをしない。寒いといったわりに背筋を伸ばしてきちんと歩く。だから靴音もきれいだ。
 信号待ちで停まっていたタクシーの運転手の目が、つ、と彼女の歩く姿を追っているのがわかった。
 だれかのとなりを歩くことでこんなに誇らしかったことも、ムカついたこともない。
 一歩退いて背後に回り、車道側に移動した。
「なに?」
 よしのさんの鼻の頭と頬が、ストールと同じ色になっている。
「……寒そうだから、風よけ」
 俺はとんでもない大嘘つき野郎だ。
 無駄にほかの男の視線にさらしたくないから、なんて言ったら、このひとはどんな反応をするんだろう。
「ありがとう」
 はじめて見たときから、きちんとした言葉を返してくるひとだなと思っていた。
 ごまかすとか、はぐらかすということをしないひとだ。
「あのね、金田さんやあなたと話しているとき、なんだかすごく居心地よかった。きてみてよかったわ、今日」
 歩道橋を渡り終えて駅の前までくると、よしのさんが言った。
 構内に足を踏みいれ、手袋を外してコートのポケットからカードケースにはいった磁気カードを取りだす。
「あんまり引っぱりまわしても悪いから、ここで」
「反対方向でも構わないよ?」
「大丈夫。今日はいろいろお世話になりましたから」
 引っぱりまわされてもいいのに、と思いながら、それ以上強く出るのはやめた。
 かわりに顔を覗きこむようにして声をかける。
「よしのさん」
「はい?」
「6時半まであのリンクでバイトしてるんだけど、また遊びにきてもらえないかな……時々でいいから」
 言ってしまってから、猛烈に照れくさくなった。
「いや、あの、べつに俺とどうこうってんじゃなくて、その……スケートとかさ、リンクで靴も貸しだしてるし招待券もあるし、もうほんといやになるくらい滑れるよ……って、いやになられても困るけど」
 大人の女のひとを誘うのにスケートってどうなんだよ。
 でかい墓穴を掘ってる気がした。
 よしのさんが吹きだしたいのを堪えるような顔をして横を向いた。
「ごめん、いま言ったこと忘れて。俺、今日どうかしてるんだ」
 めちゃくちゃカッコ悪いなコレ、と思いながら下を向いた。汗が浮かんだ気がして、片手で髪をかきまわす。
 すぐに右手が伸びてきてそっと肘のあたりをつかまれた。マニキュアも指輪もしていない指だった。
「どうかしてるってなに? からかってるの、わたしのこと」
 訊きながら、やっぱり目が笑っている。つられて困った笑いを浮かべた。
 ……この状況でからかうなんて、そんな器用なことできねえぞ。
「あんまり上手じゃないのよ、スケート。もう何年も滑ってないし、滑れるかどうかもわかんない」
 寒さのせいか、瞳がうるんでいた。
「だから……教えてもらうってのもいいかもね。うんと滑れそうなひとに」
 衝撃波に襲われたみたいに一瞬で高みまで連れ去られた。
 狂ったように胸が高鳴る。
 やっぱり、そうだ。
 好きなんだ――このひとが。
 そう気づいたら理由もなく心がかき乱された。体が内側から持ちあげられるように軽くなる。
 地に足がつかない、ってこういうことか。
 理想どおりの筋書きにそっていつもカッコいいことばかり、なんて起こるはずがない。
 なかったことにして、と言いたくなるような無様なことも、ため息つかなきゃいられないほど胸が痛くなることもある。
 それでもちゃんとひとを好きになるものなんだ。  
 

 石造りの駅の構内。
 吐く息が白くなるほど夜の空気が冷えているはずなのに、熱がでそうだ、と思った。


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