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     「 理想の恋のこわしかた 」

SCENE 2 * アイスリンクで逢いましょう  *

 

そのひとと出逢ったのは、最高に寒い冬だった。

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 ごみ袋をまとめて外のごみ置き場にでると、ちょっと見とれるくらい大きなぼたん雪が舞っていた。
 上着の襟元から流れこんでくる冷たい空気に背中がぞくりとする。でもそれは寒いからだけじゃない。
 うれしいからだ。
 横浜でこれだけの雪が舞うなんて久しぶりだな。やっぱり冬はこうじゃないと。
 生きてるって気がしない……なんて表現はヘンか。
 ゴム手袋をはめた両手に持っていたごみ袋を大きな収集箱に放りこんで、ゆっくり空を眺めた。
 ビルの間に広がる鉛色の空を背景に、あとからあとから純白の雪が降ってくる。
 雪のにおいを胸いっぱいに吸いこむ。
 鼻がわずかにつうんとしてくる。
 前髪やまつげに雪が落ちて、ところどころ視界が遮られる。
 息が白くあがった。
「おーい、佐藤! お茶淹れたから戻ってこーい」
 関係者以外立ち入り禁止になっている清掃員控え室の窓から顔をだして、先輩の川上さんが言った。
 へーい、と返事をして、ごみ置き場をあとにした。


「すげえ雪じゃん外。電車、帰る頃までちゃんと動いてるかな」
 窓の外で延々と降りしきる雪に目を向けながら、川上さんが玄米茶をすする。  
「今日はもう練習終わってるから、俺早めにあがってもいいスか、金田さん?」
「……ダメ。定時までいろ」
 文庫本に視線を落としたまま、金田さんがドスの効いた声で言った。
 金田さんはもう何年もここで働いていて、今は清掃員を総括する立場にいる。タバコでつぶれた声も手伝って、ちょっと近寄りがたい雰囲気をもった人だ。
「ハイ」
 川上さんはすこしがっかりしたようだったけれど、文句は言わずにまた玄米茶をすすった。
 ゴム手袋を外すと室内についている小さな流しで両手を洗い、自分の分の茶碗に手を伸ばす。
 痛いと感じるほど熱い茶碗で指先をあたため、ゆっくりとひとくち含んだ。すこし苦い感じのする香ばしいお茶を味わう。
「おまえは? 電車だよな、このあと終わったらどうやって帰んの」
 川上さんの目が俺を見る。
「今日は……ちょっとでてもいいッスかね?」
「どこへ?」
「……リンクか」
 俺が答えるより早く金田さんが答えてくれた。
 シミの濃くなった顔の中、射るようなまなざしでこちらを見る。
「電車止まっちゃったら、歩いて帰るんで」
「歩くぅぅ?」
 川上さんはあごが外れそうな勢いで大声をあげた。
 そんなびっくりされるとすげぇ田舎からでてきてるみたいじゃん……そりゃまあ、うちのあたりは県内でも指折りの山間部ではあるけどさ。
「戸締りは俺も確かめるけど、あとかたづけだけはきちんとしとけよ」
 短く言って、金田さんはまた文庫本に視線を戻した。

 

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 ウォームアップをしてからリンクにでて、バケツ一杯のパックを打つ。
 パックが飛んでいく。
 当たる。跳ね返る。逸れる。滑る。
 たったそれだけのことなのに、体が踊る。
 楽しいとか楽しくないとか、義務だとかノルマだとか考える前に、体が踊る。
 好きなんだ。
 ……そうだろうな。
 だからこんなところで、未練がましく清掃員のバイトなんかしてる。
 『兄貴と違って弟は小物』みたいなあつかいされても、やっぱり諦めがつかないんだろう。
 どうすれば、出口のない迷路をさまよっているようなこの気持ちを切り替えられるのか。
 出口なんて永遠に見つからない。
 積極的に人生を絶ってしまおうとはしないけど、自分なんて消えてなくなってもかまわない――それが正直な気持ちだった。
 力いっぱい放ったパックが勢いを増して線を描き、ゴールネットを揺らした。
 不意に、拍手の音が耳に届いて手を止めた。
 首を回すと、アリーナ最前列のプレキシガラスの向こうに白いコートを着たひとの姿が見えた。
「すごい! 連続で3回も入ったよ!」
 オレンジ色のマフラーと、襟足が首へと沿うように緩やかに削られた髪を揺らして言う。
 あれ、さっきのひとだ……まだいたんだ。
 そう思ったけど、びっくりして言葉もでなかった。
「そんなところからあんな小さなゴールまで、よく入るわね」
 人さし指で俺を指し、それからゴールネットを指し、叫ぶように言った。
 ……つーか、ブルーラインのこんな手前からネットまでだぞ? そんなすごいことでもないと思うんだけど。
 だいいち俺は、もともと――。
「すごいね、『佐藤か』さん!」
「は?!」
 なんて言われたのかよく聞きとれなかった。
 グローブをはめた両手でスティックを持ったまま、氷のうえを滑り、強化ガラス越しに彼女のほうへ近づいた。
「なに?」
「『佐藤か』さん、でしょ?」
 ……なんだそれ。
「さっき清掃服のここについてるの、読んじゃった」
 そう言って、そのひとは自分の左の二の腕あたりを指した。
 そりゃ、ほかにも同じ苗字の従業員がいるだろうし……判別用に名前の一文字目も表記されてるけど。
 だからって、『佐藤か』ってのはねえだろう。『か』って、『か』ってのはあんまりにもさー……。
「下の名前はなんていうの?」
「教えたくない」
 即答した俺に目を見開く。
 あたりまえだ、一発で見分けがつくこんな名前、初対面のやつに教えたくなんかない……もう会うこともなさそうなひとならなおさらだ。
「けち」
 睨むようなまなざしで言われた。
 スティックのうえにグローブの両手を置いて、もう一度目の前のひとをよく見る。
「……あんたはこんな時間までなにしてんの? すごい雪だよ、外。帰れなくなるぞ」
「うん、雪がやむまでと思って見学してたんだけど、なかなかやみそうにないし……それに、電車止まったらここのホテルに泊まるわ。たまにはエステでもして贅沢しないと」
 プレキシガラスの向こう、見ていた目じりの端がゆるやかにさがる……おいおい、1泊いくらするか知ってんのかよ。
「できたら横断幕に書いてある『国際交流試合』ってのを観てみたいんだけど、次の試合はいつなの?」
「あさって」
「あさって? またエラく間が空くものねぇ……」
「なるべく多くの観客に観てもらおうってことで、ほかのリンクにも遠征してるんだ。都内のリンクで開幕して北海道のリンクにも行って、あさってのここの試合で閉幕」
「そう……じゃ今度は忘れずカメラを持ってこなくちゃ」
 まっすぐなまつげのあいだからリンクを見て、また俺を見る。
「それまではもうすこし、ここで練習風景見ていてもいい? 『佐藤か』さん」
 言葉の意味を考えるより早く、自分の心臓の音が聞こえた。
「下の名前、教えたくないんだったらずっとこうやって呼ぶことにするけど?」
 さっき自販機の前で見たときは緊張した面持ちだったけど、初めて嬉しそうに笑うと、左の頬にえくぼがあらわれた。
 きゅっとへこんだえくぼ。
 どんな構造になってるのかは知らないけど、すごくやわらかいんだってことはわかる。
 頭がますます混乱した。
 女にしては高すぎる身長も、いかにも働く女性って感じのオフィス仕様の靴も。
 まっすぐなまつげも、ミディアムレイヤーの髪型も気が強そうで。
 ぜんぜん好みってわけじゃないのに。
 ――どうして心臓の音なんか聞こえたんだろう。
 そう思ったら反射的に背筋が伸びた。
 ……ヤバイ。
 あのえくぼ。
 見てるとどうもそわそわする。
 これ以上深入りするのは、なんだかわからないけどよくない。
「……名前は次の機会があったらな」
 自分に言い聞かせるように言って、音をたててホッケーシューズをひるがえした。それでシャットアウトしたつもりだった。
 スティックのブレードでリンク上のパックを操りながら、ブルーラインまで戻る。
「試合、観にくるから! あさって」
 背中にたたきつけるように言われた。
 俺がここでバイトしてるのは知ってるんだから、わざわざそんな大声で予告することないのに。
 だいいち俺は試合にゃでてねぇよ。
 そう考えて笑ったら、シャットアウトしたはずの胸の高鳴りがまたぶり返してきたのがわかった。