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第1話 「雨あがり」


孤独の意味をおしえてよ
わたしが
あなたの涙をぬぐうから

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 駅の改札を出て鉛色の空の下を歩きながら、今日は雨になりそうだと思った。
 4月の変わりやすいお天気。雨が降っては晴れ、晴れたと思ったらまた雨もようなんて。
 でも今日は傘も持ってきてるし、だいじょうぶ。
 そう考えながら、『アステリスク』でラテをテイクアウトしようと角を曲がった。
 ちょっとアンティークな趣きのあるそのカフェは店の横に小さな窓がついていて、店に入らなくてもその小窓からテイクアウトのオーダーを受けてくれる。
 店に近づくと、今日はメッシュシートで覆われていて臨時休業との札がかかっていた。
「なあんだ、残念」
 ま、それなら学食か自販機のコーヒーでもいいか。
 お店の前からとぼとぼと歩きだす。
「メイ先輩!」
 横断歩道を渡って小さな公園に通りかかったところで、うしろから声をかけられた。
 振りかえると、秋穂ちゃんが小走りに追いかけてくるところだった。
「もう、先輩、足はやーい。ホームで見かけたからダッシュかけたのに、あっというまに先行っちゃうんだもん」
「そんな速かった? ごめんごめん、気づかなくて」
 いっしょに歩きながらつやつやしたラテ色の頭のてっぺんをなでると、秋ちゃんはむくれ顔になった。
「チビだからって、馬鹿にしないでください! っていうか、先輩がのっぽすぎるだけなんですからね。わたしは平均身長だし」
 ぶつぶつ言ってる秋ちゃんとならぶと、気にするつもりはなくても身長の差が際立つ。
「でも先輩、手足長くてほんとにかっこいいですよね。このまえの新歓公演も、先輩だけ頭ちっちゃくてサマになってたんですよ」
「そんなことないでしょ、ほら、エリコちゃんとか現役モデルだっていうし……やっぱ立ち居振る舞いからしてちがうっていうか」
 エリコちゃんが入部してきたときから思っていたことを口にすると、秋ちゃんは、うーんとうなってからまだ食いさがった。
「たしかにきれいだけど、なんていうか、エリコのは作りこんだ感じのきれいさなんですよね」
 公園の茂みがとぎれ、大学の正門が見えてくる。
「メイ先輩はやっぱナチュラルで持ってるものがちがうっていうか、さすがハーフっていうか……あっ」
 思わず彼女のほうを見ると、秋ちゃんはあわてて手で口を覆った。
「す、すみません……」
 秋穂ちゃんがおそらくふだんから使っているだろうその『ハーフ』という言葉を、自分を形容するときにはけっして使わないことにしている。
 だいたい、何がハーフで何がフルなのよ?
 そんなふうにはっきり目で見て測れもしないことを、赤の他人からレッテルはられてたまるもんですか。
 部内でわたしが話していたのをどこかで耳にしたか、勇馬にでも釘をさされたんだろう。秋穂ちゃんはすまなさそうにうつむいた。
「秋ちゃんに否定的な意味がないのはわかってるから……単に言葉の問題だけど、わたしは使わない。それだけだよ」
「はい。わかりました」
 頭をさげてくれたその思いやりにうれしくなった。
「ありがと」
 秋ちゃんとならんだままで正門から大学の構内に入るとき、雨のにおいがすぐそこまで迫っているような気がした。

 

   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 天気予報どおり午前中から降りだした雨は、夕方ちかくになってからやんだ。
 会合とは名ばかりで、時間つぶしみたいなサークルの集まりを終えて校舎の外に出る。
 暗い夜空を見あげて湿り気をおびた空気をすいこんだ。温度はまだひんやりとしているけれど、どこかまろやかさを含んだこの時期の夜気が好きだった。
 駅までいっしょになる数人ずつ、何とはなしにそれぞれグループになりながら、だらだらと道を歩いた。
「メイ先輩、どうなりました? このあいだの話」
 大きな目で見あげながら、秋穂ちゃんが訊いてくる。
「ああ、このまえの話ね……まだ考え中なんだ」
 卒研の指導教員から研究科進学を打診されたのは、たまってゆく不採用通知にうんざりしていたころだった。
 両親ともに大学の職員だからか、もともと大学での仕事に興味があった。
 それになんといっても、うちの研究科には在籍しながら指導助手をして収入ももらえるティーチングアシスタントという制度がある。
 まだ考え中だと答えたけど、それははてしなくわたしの希望に近い進路だった。
「望むとおりになるといいですね、どこに進むとしても……わたしは先輩が残ってくれるとうれしいけど」
「うっうっ、そんなふうに言ってくれるのは秋ちゃんだけだよー。勇馬なんかとっとと内定もらってひとり晴れやかな顔してるしー」
「どこがだ。してねえだろ、晴れやかな顔なんて」
 振りかえって見ると、親指と人さし指でL字を作ってわざとらしく顎の下にあてている。
 こういうやつだよ、と思いきり舌を出してやった。前に向きなおろうとしたところで、カフェを覆っているメッシュシートが視界に入る。
「そういえば、今朝気づいたけどあのカフェって改装中なんだね」
 歩きながらだれにでもなくそう言うと、勇馬が答えた。
「ああ、カフェラテ屋だろ。覆いまでしてあるなんて本格的だな」
「あのお店、けっこう凝った外装ですもんね」
 前を歩いていた秋穂ちゃんもうなずいた。
 そう。
 アンティークに見えたけど、もしかしたらアンティーク風に作りこんであったのかもしれない。
 そういうことができるのかどうか、よくわからないけど……今度、ちず姉に訊いてみよう。
 油絵が専門だったちず姉には畑ちがいだろうけど、どういう技術が要るのかくらいはきっと知ってるはず。
 そんなことを考えながら、小さな公園に通りかかったときだった。
 植え込みを囲む低いコンクリート塀の上に黒い人影が横たわっているのに気づいてぎょっとした。
 ちょっと飛びすさった拍子に左肩が勇馬にぶつかる。
「おまえな……」
 まだ何か言いかけて勇馬も人影に気づいたらしく、さっとわたしの腕を引いた。
「びっくりした……ホームレスか?」
 のっさりしたトドみたいな黒い人影には、わたしたちのひそひそ話なんかまるで聞こえていないらしい。
 暗がりでよく見えないけど、お酒のにおいが鼻をついた。
 倒れてるのかと思って顔をのぞきこもうとしたところで、おい、とさっきより強く引き戻された。
「やめとけよ、あぶないぞ」
「だって……どこか具合でも悪かったらどうするの」
「どうするって、俺らにどうしようもないだろ」
 諭すように言われ、返す言葉に詰まった。
「巡回の警察官とか公園の管理会社とか、だれかが何とかしてくれるよ。行くぞ」
 勇馬はあっさり言って駅のほうへと歩きだした。
 ま、それはそのとおりなんだけどさ。
 勇馬のうしろすがたを追って歩きながらも、わたしはまだ考えていた。
 のっさりしてトドみたいな図体の人影だけど、このあたりでホームレスなんて見たことない。
 何かあったのかもしれないし、声をかけるくらいはしてもだいじょうぶなんじゃない? それで無視されたり、追い返されるならそのまま放っておけばいい。
 それに、こんなところでひとりお酒飲んで寝入ってる背中が、どことなくさみしく見えたんだもの。
 肩から下げているトートバッグをさぐって、タオルを取りだした。さっきちょっと使っちゃったけど、水気を拭くぐらいならできるはず。
 ベビーピンクにもこもこした小さなヒツジの模様が飛んだタオルを手に、もういちど人影の前まで引き返した。
「メイ先輩!」
 秋ちゃんの声がアスファルトに響く。
「平気。ぱっと行ってぱっと戻ってくるから」
「『ぱっと』って……」
 おいおい、と勇馬のつぶやきが聞こえた。
「あの……おじさん?」
 トドみたいなかっこうで寝ているその男のひとの、ごついウィンドブレイカーの襟元にむかって呼びかける。
 おじさんは腕組みをして横になったまま、反応しない。
「だいじょうぶですか」
 ぴくりとも動く気配はなかった。頭からフードをかぶってるから、顔も見えない。
 もしかして……ほんとうに死んでるんじゃ。
 そう思ったとき、おじさんの肩のあたりが上下しているのが見えて、寝息が聞こえた。
 よかった。生きてる。すこしほっとした。
 ……やっぱりホームレスなのかな?
「メイ!」
 呆れたような勇馬の声がした。
 わかったから、という意味もこめて片手をあげてみせた。
「――これどうぞ。使って」
 それだけ言って、ウィンドブレイカーのポケットにタオルを突っこんだ。
 のっさり横たわっていたおじさんの体が、ほんのわずかに揺れる。
 わたしのせいで揺れたのか、目がさめたからなのか、確かめることもしなかった。
 返事も聞かずにくるりとまわれ右をしてそこから歩き去り、先で待っている勇馬に追いつこうと早足になった。
 あんなところで寝ているひとがいるなんて……。
 現実感がなさすぎて、もういちど公園の植え込みのあたりを振り返ってみる。
 宵闇と茂みの陰になって、おじさんのすがたはもう見えなかった。
 肌ざわりがよくて気に入ってたヒツジのタオルだけに未練が残って、おじさんの肩も腕も足も、実体としてなんにも思い返せなかった。
 なんだか幽霊を助けたような、そんな感じ。
 でも、おじさんの近くに寄ったとき、ほんのすこしだけお酒とはちがうにおいがした。
 ちず姉が持っていた画材道具とおなじ。
 あれはきっと――テレピン油のにおいだ。

 

 

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4/26/2009