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第11&1/2話 「 INCONSOLABLE 」 -SIDE:HIRANO-

 

 久しぶりに顔を合わせた尊(たける)は、近くの喫茶店の一角、いちばん目立たないテーブルを挟んで睨むような目でこちらを見た。
「おまえがこんなに水臭いやつだとは思わなかったよ」
 やってきたウエイトレスに、こちらの好みも訊かずにアイスコーヒーを二人分頼む。お互いに紅茶よりは断然コーヒーが好きだということをよく知っている尊らしかった。
 ウエイトレスが下がるとすぐに言葉を続けた。
「いきなり引っ越したりして音信不通になって、うちの親がどれだけ心配したかわかってるのか」
「……ごめん」
 テーブルに置いてあるスプーンやフォークの入った小さなかごにむかってつぶやくように答えた。それしか言葉が見つからない。
「いろいろがんばって再就職したんならそれでいい。でも一言くらい連絡入れろよ。そんなふうに疎遠にされる理由、すくなくとも俺のほうにはないから」
「ごめん」
 さっきより小さな声になってしまった。
「 びっくりして、あっちこっちに訊きまわって、一時期はたいへんだったんだ。もし警察が親身になってとりあってくれてたら、捜索願だって出してたかもしれない。黙って消えられるとさあ、後味悪いっていうか……俺だって申し訳がたたないだろ」
 だれに、というのは言われなくてもわかった。
「いずれだいぶ経ってだな、俺がもうヨイヨイのじじいになって天国に行ったとき、実はおまえのほうがえらく先に来ちゃってました、なんてことになってたら俺すげえ勢いで頭はたかれるぞ」
 どうすんだよ、とまるでほんとうに天国から頭を小突かれてでもいるような形相になる。濃紺のチタンフレームのせいか、とがった印象だった。
「――ごめん」
 涙を抑えようとして、今度ははっきりと語尾がふるえてしまった。さっと視線をテーブルに戻す。
 知っているんだろうか?――この兄は、怒るとほんのすこしだけ目じりのあたりが妹に似るんだということを。
 最後に見た彼女の表情を思い出してしまって、ぐっと涙を呑んだ。
 息を整えるようにして、しばらく間をおいた。
 ウエイトレスがやってきて、アイスコーヒーをふたつ置いていった。
「……工務店の仕事、どうなんだ」
 ストローを使わずにグラスから直接飲みながら、尊は続けた。
「いい職場なのか?」
「はじめのころは迷惑かけたけど……滝さんがよくしてくれるし、無心になれるから」
「無心? そのほうがいいのか?」
「いいかどうかは……よくわからない」
 褐色の液体が入ったグラスの外側に細かな水滴がついていた。それを見つめながら、ゆっくりと話した。
「まえの仕事にくらべると収入も減ったし生活の保証もないし……でも、あのままでいたら確実につぶれてたと思う――」
 これまでの数年間がフラッシュバックのように脳裏に浮かんだ。

 

 ――修復士という職業を極めたかったあまり、結婚して間もなかった当時に家をあけてばかりいた。
 若いということは永遠に続く命と同義語なんだと誤解していた。
 短期で終わるはずの海外研修や技術研修が長引き、やっと帰国できたところで聞かされたのが美織(みおり)の余命宣告だった。
 結婚してすぐのころに少々体調を崩したことはあったけど、それが命に関わるようなことだったとは、俺はおろか美織さえも気づいていなかった。
 進行の速い病魔は、あっというまに彼女の体を蝕んだ。
 海外での研修に影響が出ては困るから、と俺に黙って入院治療を続けたのは美織本人の希望だったという。
 だれも俺を責めなかった。
 同業者である尊の歩んできた努力を知っているからだろう、本庄家の父母も美織も、ことあるごとに仕事を辞めてはだめだと俺に繰り返した。
 申し訳なくて、いたたまれなくて、本庄家の意を汲んだ。そうすることが礼儀だと思い込んでいた。
 仕事の手綱はゆるめず、定期的に病院にも顔をだした。親族の話し合いにも出席し、父母や尊だけに心労が溜まってしまわないようサポートした。
 みんなで話し合って決めたから、きちんと見送ってやれた。そういう気持ちはある。
 なのに、美織の葬儀のあとで襲ってきたのは、ひどい後悔と底なしの寂しさだった。
 泣き叫んで酒におぼれて自暴自棄になって、ようやく気持ちの落としどころが見えた。
 要するに――俺は美織といっしょにいたかったのだ。
 どれほどつらくても、ひとりで苦労しようとも、たとえ親戚一同が反対しようとも、最期までふたりきりでいたかった。
 叶うはずのない願いだったとわかっている。
 結婚したからといって、相手は自分ひとりのものではない。
 祖父母や父母がいてきょうだいがいて、親戚縁者がいる。配偶者といえども、自分ひとりで決定できることばかりではない。
 人生の終焉ともなればなおさらだ。
 理屈では充分わかっていた。でも、つらかった。
 だれも悪くない。
 だけど全員が満ち足りた思いでいるわけでもない。
 本庄家のひとのまえから去ったのは、そんなもやもやした思いを抱えていたからだった。

 

「――俺は自分のことしか考えられない勝手なやつだ。だからどうしても逃げ場がほしかった」  
 ごめんな。
 大学で出会って意気投合し、楽しいと思えるときはいつも尊がいっしょだった。
 口論もしたし、ばかなこともやった。
 勉強や課題で苦労しているときも、大学の狭い人間関係でトラブルになったときも、いつでも味方になってくれた。
 頼れる友であり、義理とはいえ兄であり、同業者としていつも一目置いていた。
 忙しくてほとんど関わりのない父親と、だいぶ昔に再婚したきり他人同然になってしまった母しかいない俺を、美織と結婚するまえから家族扱いしてくれた。
 その優しさがつらいときもあるのだと知ったことを、どう説明すればわかってもらえるのだろう。
「まったく」
 はぁ、と大きくため息をついて、尊は口をひらいた。
「おまえがほんとうに『自分のことしか考えられないやつ』だったら、そういうこと言うと思う? 逃げ場がほしかったのはだれかに追いつめられてたからだろ」
 グラスを持ち上げてごくりとアイスコーヒーを飲む。
「こっちが良かれと思ってしてることでも結果として追いつめてたんなら、逃げたってかまわねえんだよ。それがおまえの本能ってやつだ」
 めがねの向こう、妹を思わせるまなじりをきつくして、尊は正面から俺を睨んだ。
 反射的にまたテーブルの上へと視線を落としてしまう。
「『礼示をぜったいに死なせないで』って頼まれたんだよ、俺。もしかしたら美織は気がついてたのかもしれねえな――うちの家族の手前、おまえが無理してたってことを」
 ……もしあのころの俺が聞いたら、どこか救われる思いがしただろうか。
 尊の言葉が真実かどうか、もう確かめることはできない。
 それでも。
 そんな哀しい真実なら知りたくなかった。
 やるせない。
 そのひとことに尽きた。
 美織も俺も、そんな言葉の意味など知らなくていい人生を送りたかった。
 それだけだった。
 視界の中、かごに入った銀色のスプーンがにじんでぼやけ、流れてゆく。
 目頭が痛んでどうしようもなくなり、声を押し殺すようにして泣いた。  
 

 

 

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02/18/2010