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第16話 「思うよりずっと」


 8月から9月半ばまで、大学は夏休みになる。
 いつもならチェコに里帰りするお父さんにみんなでついていくんだけど、わたしはカレルといっしょに残ることにした。秋には修士課程入学試験があり、その準備に追われるからだ。
 それに加えて以前やっていたバイト先から声がかかり、週イチのペースでまた働くことになった。
 学習塾が経営するフリースクールのアシスタントだ。外国人を父母に持つ子どもたちが通ってくるフリースクールで、忙しいときは採点やテキストの編集を手伝っている。
 バイトのない日は、ときどき大学の図書館を利用することにした。エアコンが効いているし静かだし、家で勉強するよりずっと効率が良かった。
 それに、大学が休み中でも滝工務店に気軽に立ち寄れるという口実もある。


 猫毛フェルト展示会につきあってもらった次の週、浮き浮きした足取りで工務店に寄ってみると、勉強会に参加中ということで礼示さんの姿はなかった。
「勉強会? そんなのあるんですか?」
「外壁用の素材とか技術とかは年々新しいものが出てるからな、希望者はメーカー主催の勉強会とかに出かけてって積極的に教えてもらうんだよ。平野は手先も器用だし物覚えもいいからどんどん吸収できる。伸びしろのあるやつだ」
 昼休み中の滝さんが、タオルで額の汗を拭きながら教えてくれた。
「そう、ですか……」
 そっか……職人さんもいろいろと忙しいんだな。
 柱についた扇風機が首を振る音が急に大きくなった気がした。
「なに、盆休みが明けりゃまた帰ってくるさ、そんな顔すんな」
 滝さんに笑われて、思わず片手で自分のほっぺたを触ってしまった。
「……そんなにがっかりしてましたか、わたし?」
「『がっかり』って紙に書いて貼ってあるより丸わかりだ」
 滝さんでさえこんなにわかってくれてるのに、なんで礼示さんにはわたしの気持ちが充分伝わってないような気がするんだろう。
「寂しかったら、まあ、あれだな。写メ?とかデコメ?とかしちゃえってやつだ」
 いかにも慣れてない発音で滝さんが言った。娘さんやお孫さんから教わったばかりなのかもしれない。わたしに合わせてくれようとしてる姿が可愛くてちょっと笑ってしまった。
「写メって、いきなり送ったらそれこそ丸わかりじゃないですか」
「なあに、平野みたいな男相手にゃ、どれだけ気持ちを言っても言い過ぎるってことがねえ。好意は特にな」
「でも……ひとによっては重くないですか、そういうの」
「ははは、メイちゃんは可笑しなこというなあ。ひとの気持ちだったらみんな重いだろうが」
 え?と思った。
 顔をあげて正面から見た滝さんの表情はやわらかだった。
「恋愛なんてその最たるものじゃねえのか? だったら平野はまえに一度その重さに耐えられるってお墨付きをもらってる。メイちゃんごとき、いくらでも束になってかかってこいってなもんだ」
 ――そういう考えかたもあるのか。
 がはは、と笑い声をあげる滝さんの大きな口を見ながら、どういうわけか目の前のくもりを拭ってもらったような気がした。
 そうか。
 礼示さんは一度結婚している。
 それがどういう実体をともなっているのか、やっぱりわたしにはわかってなかった……っていうか、結婚したことがないんだから当たり前だけど。
 亡くなった奥さんを受けとめて生きている礼示さんは、きっとわたしが思っているよりずっとおとなで、ずっと強いひとなんだ。
 わたしの気持ちが重いなら『重い』と伝えることもできるだろう。それこそ、正真正銘の子どものわたしが考えるよりずっとたやすく。
 年上の、それも結婚暦のあったひとを想うのって、想像していたよりむずかしいんだな。
 でも、彼の横顔や大きな手を思い浮かべるだけで胸がいっぱいになる。
 ずっとそばにいたい。
 笑っているときも、喜んでいるときも、泣いているときも、ずっと。
 涙がこぼれたとしても――跡が消えるまでずっと礼示さんのそばにいたい。
 そう思ってもいいんだという証しがほしかった。
「ほれ、写メ撮ってやるから平野に送りな」
 滝さんはそういってわたしに携帯をよこすよう手を差しだした。
「それなら滝さんもいっしょに撮りましょ。きっと礼示さんも喜びますよ」
 わたしはカメラを起動すると、滝さんのとなりで膝をかがめてピースサインをだした。
 かしゃっと軽快な音がして、小さなフレームの中に笑っているわたしと滝さんが収まった。

 

  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 すぐ送るのはなんとなく気恥ずかしくて、一旦家に帰って夕方になってから気持ちを落ち着けて、礼示さんのアドレスを呼び出した。
 そうしないと心で思ってることをなんでも白状してしまいそうな気がした。
『今日、工務店に顔を出しました。勉強会、はかどってますか?』
 短いメールに、滝さんと撮った写真を添付して送信した。
 5分くらいして電話が振動し、返信が届いた。
『覚えることが多いです』
 ……口数のすくないひとはメールの文章も簡潔だ。
 絵文字も顔文字もないシンプルな液晶を見て苦笑してしまった。
 添付した写真、どんな顔して見てくれたんだろう……ちょっとだけでもいいから笑ってくれてるといいな。
『いつごろ帰ってきますか?』
 わたしの文章にはさりげなく花の絵文字を入れた。
『17日から工務店にもどります』
 ……17日か。
 まだだいぶあるなあ。
『そのあと、時間のとれるときでいいんですけど、ちょっとお話できますか?』
 これはさすがに恥ずかしかったので、文末に照れくさそうな顔文字を入れた。
 次の返信がくるまで、しばらく時間が空いた。
 その沈黙が礼示さんの心をあらわしているようでどきどきした。
『いいよ。じゃあ土産にお茶菓子買って帰る』
 ――お茶菓子。
 お茶菓子ね……それって、おせんべいとかモナカとかかな?
 いや、この場合はお菓子の種類が主題なんじゃなくて。
 礼示さんはわたしの言った『話』の意味をどうとらえたんだろう?
 世間話や近況報告でもしながら食べよう、って?
 まあ、それもいいか。
『待ってます。また連絡しますね』
 それだけ送信して携帯を閉じた。
「……『若年寄』か』
 まえに本庄さんが言ってたことを思いだした。
 『礼示はむかしから弾けるのがへたで、分別くさくてどっか若年寄みたいなとこがあったからな』
 ふふふ。
 そんなのぜんぜんかまわない。
 似合う色が群青色でも、弾けるのがへたでも、ジジむさくても。
「それでも――好きだよ」
 ミントブルーをしたわたしの携帯についた、三毛猫の肉球ストラップを見ながらつぶやいた。
 礼示さんに会いたくて会いたくて仕方がなくなった。

 

 

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12/10/2010