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第18話 「ドラマティックじゃなくても」


 わたしたちは体温が伝わってくるほど近づいたり、離れたりしながら駅に向かって歩いた。
 まだそれほど湿度を含んでいない5月の夜風が肌に心地いい。
 唐突に、となりを歩く礼示さんと手をつなぎたくなった。
 これまでも、高いところから降りるときや、何かにつまずきそうになったとき、彼の手や腕にふれたことはあった。
 だけどしばらくすると、礼示さんは決まってそうっとわたしを離した。もうだいじょうぶだ、と言わんばかりの緩やかな拒否で。
 まあ、でも、そうしてもらわないと際限なく彼の手を握ってしまいそうなので、それで結果オーライだったんだけど。
「……来週の月曜、誕生日だろ」
 駅に続く裏通りに沿って走る用水路と平行に歩きながら、礼示さんが口を開いた。
 浅くて細い用水路を見ていたわたしは、思いがけない言葉に驚いて顔をあげた。
「そうだけど……あれ、教えたっけ?」
「何度も聞かされた。ひと月以上まえから」
 苦笑いする彼の横顔が街灯に照らされていた。
 そうだっけ。
 早く教えておけば年が近づくってわけでもないのに……やだな、わたしってば。
 横断歩道の手前、赤信号になったので足を止めた。となりに並んだ礼示さんが訊いてくる。
「何か予定あるの?」
「うーん、月曜はお昼で講義が終わりだから、特に予定はないけど」
 礼示さんの白いTシャツの袖が夜風に揺れていた。
「でも、ま、せっかくの誕生日なわけだし……午後からちょっと会う時間、作ってもらおうかな」
 夜気のひんやりとした感じが強くなってわたしの顔をなでた。
 すこし頬が火照ってるのかな……一瞬だけそんなことを考えて、すっと息を吸う。
「そしたらわたし、礼示さんに好きだって伝えにいくから」
 世間話をするのとおなじような口調になってしまった。
 もっと華々しく、ドラマティックに告白しようと思ってたのに、わたしの口調はドライで、素っ気なくて、顔が赤くなる暇もなかった。
「え、は? 何?」
 対照的に、礼示さんはあたふたしたような声になった。
「誕生日なんだから逆だろそれ。だいいち俺だって――」
 正面を向いていた礼示さんは慌てたように言いながらわたしを見て、それから、思いっきり「しまった」って感じの表情になった。
「いや、いいんだ。なんでもない」
 即座に言い直し、さっとわたしから背けた顔が耳まで朱に染まっている。
 思わず笑ってしまった。
「いえいえ、だめでしょそれ」
 礼示さんの肘にふれて、顔を覗きこんだ。
「なあに? 言いたくないこと?」
 困ったように下がる目じり。
 口には笑みが浮かんでいるから、なんだかとてもアンバランスで、そのアンバランスさにわたしの中の愛しさのゲージが増した。
「そうじゃないけど」
 見ていた彼の瞳がほほ笑むようにまろやかになり、一度地面を見てから、やがてわたしの目をとらえるように戻ってくる。
「何やってんだろうな、俺は。こんな往来で」
 『往来』なんていう時代ががった言葉と、その声の低さにどきりとした。
「いいじゃない。好きなんだもの」
「ったく、誕生日が来たら言おうと思ってたのに……メイちゃんが相手だと完敗だな。もう俺の気持ち、わかってるだろ?」
 そこで信号が赤から青に変わった。ぱらぱらと並んでいたひとたちが横断歩道を渡りはじめる。
 わたしは動かずに彼を見ていた。
 礼示さんもわたしを見ていた。
 わたしと目が合って視線を落としても、筆を払うような拒否感はない。
 あるのは熱さえ感じるような照れだった。
 それだけでわたしの胸は満たされるような気がした。
「でもせっかくだから、誕生日まで待つことにする」
 胸を張って、厳かに言った。
「なんだ、それ」
 礼示さんは今度こそ困ったように笑った。
 わたしたちは、どちらからともなく横断歩道を渡りだした。
「まいったな。ほんとうに、どうにかされたくなってくる」
 ひとりごとのようにつぶやくその声が掠れている。礼示さんが口をひらいた瞬間、また肩がふれあった。
 人通りの多い道まで来たので、通行人とすれちがうことが多くなったせいだと思っていた。
「え?」
「佐藤メイさん」
「は、はい?」
 改まった口調にびっくりして歩調が緩んだ。
 そこで右腕をそっと引かれた。
 まるで、後ろから来た会社員を先に行かせるのが目的だというように――実際、スーツ姿の人がさっとわたしたちを通りすぎて行った。
 そして、礼示さんはそのまま歩道の脇に寄り、左手をゆっくりとわたしの右腕にすべらせ、手をつないだ。
 大きくて、節のしっかりした手だった。
 ずっとこのひとと手をつなぎたいと思っていた。
 そう。
 答えなんて、訊かなくてもわかってる。
 でも、幸せはあとから来るほうがいい。
「誕生日――好きだって言いにいくので、それまで待っててください」
 いきなり『天使かと思った』なんて言ったり手をつないだり……今日は何度も心臓が跳ねあがるような思いをしたけど、いまの跳ねかたはその中でもいちばんだと思った。
 言われたことの意味をよく考えて、もう言ってるじゃない、と可笑しくなる。
 それでも、なんだかもったいなくて、楽しいイベントを待つ子どもみたいな気分になった。
 つないだ手に、きゅっとちからをこめながら返事する。
「わかりました」
 礼示さんは笑って、空いているほうの手でわたしの髪を軽くかきまわした。
「送っていくよ……今日のところは」
 わたしはうなずいて、いっしょに駅の改札口へと向かった。
 ふだんの帰り道と何も変わりがない。
 でもその日常を嬉しいと思えることが幸せだった――華々しく告白なんてしなくても、されなくても、手をつないだりとなりにいてもいいんだとわかることが。
 月曜日が待ち遠しいと思ったのなんて、いったいいつ以来だろうと考える。
 その胸がじんわり、ほかほかとあたたかくなって、もう一度、つないでいる礼示さんの手をそっと引き寄せた。    

 

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08/23/2011