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第2話 「カフェラテ屋」

 

 有名な女優が離婚を発表したとかで、居間にどんとおかれた型落ちのテレビ画面には、早朝からずっとインタビューや会見のダイジェストが流れていた。
 いまだにブラウン管のそのテレビは最近では横じまが入るようになってしまい、食事どきになって台所から持ってきた炊飯器をそばにおくと今度は画像がななめに乱れる。
「……ねえ、テレビ買い換えるのいつにする?」
 もっさりしたふとんを取り払った6人がけのこたつテーブルの上、リモコンでチャンネルを変えながらお父さんに訊いた。
「えー? なに言ってるの、まだ映るでしょう。きっぱり地デジ放送に変わるまでは、買い替えなんてしません」
 ちゃっちゃと食べ終えたお父さんが、自分の食器とお箸を持ってテーブルを離れながら答えた。
 お父さんの日本語はいつもやさしい響きだ。
 ずっと昔、チェコにいたころおなじ大学に勤めていたお母さんに日本語を教わっていたせいで、いまでも時々語尾が女性風になってしまうせいかもしれない。
 180センチを超える大きな体。深いダスティブロンドのくせ毛。濃い眉やがっちりした顎。
 ごつい外見からは想像もできないやさしい物言いのギャップにびっくりするよね、と周りからはよく言われる。
「メイちゃん、それ食べたらお皿洗っといてくれるかな? ごめんね、お父さんもう行かなきゃ」
 うちでは家事は分担制だ。
 食器洗いはお父さんとカレルの担当なんだけど、最近勤め先のリンクでキッズクラスのホッケーコーチもはじめたとかで忙しくしているカレルは、もうとっくに仕事にでかけてしまった。
 必然的に今朝の食器洗い担当になったお父さんは、有名女優の離婚会見を見ていたせいかゆっくりしすぎたらしい。
 ……そういうところがのんびりやのお父さんだなあと思う。
「じゃあテレビはまだいいからさ、先に食洗機買おうよー」
「いってきまーす」
 ……聞いてないし。
 お箸をおいて、じゃまな髪をいつものようにうなじでくるりとまとめた。
 伸びてきたせいで、ヘアゴムでVの字にまとめても毛先がかなりはねてしまう。
 梅雨に入るまえに美容院へ行かなくちゃ。
 はあ。
 吐息をついて、神妙な面持ちで会見している女優からほかのチャンネルに変えた。
 お菓子のコマーシャル、生命保険のコマーシャル、今夜のドラマの見どころ、お茶の新製品のコマーシャル。
 こうしてざっと流し見しているでも、たくさんの俳優や女優、スポーツ選手やアイドルやお笑い芸人の顔が映っては消えてゆく。
 こんなにたくさんの有名人の中で、視聴者やファンが持つイメージと、実際の性格とがほぼ一致しているひとってどれだけいるんだろう。
 わたしたちがふだん見せられているものって、だれが決めたイメージなんだろう。

 

「……え? イメージ? そりゃ商業主義者が植えつけるんだろ」
 講義が終わって、バイトの時間までだらだらしている勇馬に訊ねるとそんな答えが返ってきた。
「タレントだろうと俳優だろうと、プロになれば事務所がついて売り込んでくれるわけだし。時には本人が持つ雰囲気みたいなものも計算に入れて売りだされるんじゃないの」
 いかにも経済学部らしいよ、その考えかたは。
「もっとも、雰囲気なんてその時々で変わることもあるから、いつまでもおなじ枠にはめられるのもどうかと思うけどな」
 ……だよね。
 本人が納得してそのイメージを演じているなら別だけど、仕事とはいってもそこまでわりきれる芸能人なんてどのくらいいるんだろう。
 いつも周りの目を意識して演じなきゃならないんだとしたら、たとえたくさんのファンがいてくれるとしても、だれもほんとうの自分を知らないってことにならないのかなあ。
 なんだか、今朝から疑問符ばっかりだ。
 こんなこと、もう自分の中ではとっくに答えをだしたと思ってたのに。
「なんだ、めずらしく辛気臭い顔して……あ、もしかしてついに思春期? よかったな、メイもやっとオトナの仲間入りができて」
「……あんたね」
 はあ、とため息をついて肩を落としたけど、思わず笑いがこぼれてしまった。
 オトナの仲間入りか。
 ほんとうのオトナになれたら、せめて仲間入りを果たしたことが額かどこかにしるしとして燦然と輝くようになってたらいいのに。
 ……なんて、それはそれでうっとうしいかな。
「ふははは」
 わたしの笑い声に前の机に腰かけていたコバヤシくんが振り返り、その顔があんまりぎょっとしていたのでまた可笑しくなった。
 笑ったら、さっきの疑問符がすこし薄れた。
 高校からずっといっしょの勇馬とは、大学にいるだれよりいちばんつきあいが古い。
 友だちとしてのつきあいが長いから、落ちこんだり気持ちが沈んだときは、こんなふうにちょっとした気遣いをしてくれることもよくわかっている。
 重すぎず軽すぎない距離を保てる彼だからこそ、わたしも気がねしないでいられるのかもしれなかった。
「じゃあ思春期のお祝いしなさいよ」
 ワックスムースで流した勇馬のショートヘアのてっぺんを小突いて、えらそうに言ってやった。
「いいとも。角のカフェラテ屋な」
 なんど教えても、勇馬はあの店の名前を覚えようとせず『カフェラテ屋』と呼ぶ。
 でもわたしたちのあいだでは通じてるんだから、まあいいか。
 そう思いながらうなずいた。

 

   ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 カフェ『アステリスク』は、覆いもすっかりとれて改装が終わっていた。
 外装の壁はこげ茶色の乾いた土壁のように塗ってあって、表面がでこぼこしている。
 ところどころツタがからみついているのかと思ったけれど、近くでよく見ると本物じゃなくて描きこまれた模様だった。
 土壁じたいに陰影がついていてツタ模様が暗いので、作りこんだ印象を受ける。レトロなカフェのイメージとも合っているような気がした。
 小窓の前にできたお客さんの列の最後尾に、勇馬と連れだってならんだ。
「今日は暑いからアイスラテもいいね」
 小窓の上に掲げてある黒板のようなメニューボードを見上げたときだった。
 その窓のすぐ下、ならんでいる黒や茶色やチョコレート色の髪にまじって、ベビーピンクの布が見えた。
 ぽつぽつと、何か小さなものが散っている。
 ヒツジだった。
 ベビーピンクに、もこもこしたヒツジ。
 あー、なんだかふんわりのほほんとした形で、かわいいな。
 ――あれ? でもあの模様って、どこか見覚えがあるような。
 じっと見つめて、それがわたしの持っていたタオルとおなじものだと気づくまでに7秒はかかったんじゃないかと思う。
 無造作に頭を覆ってうしろで結んだだけのタオル。
 はねまくった髪が襟足からのぞいていた。
 小窓の下に立っているそのひとを見定めようと、すこし背伸びをした。
 ならんでいるお客さんのあいだから見え隠れしてるのは、霜降りのようなグレイのTシャツのごつい肩。
 もっとよく見ようとするとヒツジタオルはすっと横に逸れ、つぎのお客さんが前に進んだ。
 ヒツジタオルは注文の品を手にしたようで、列の反対側を通ってこちらに向かってくるところだった。
 息を詰めるようにして待った。
 ベビーピンクのタオルを頭にかぶったそのひとは、グレイのTシャツに黒っぽいカーペンターパンツをはいていた。
 タオルの下からのぞく髪はくしゃくしゃで、何日もシェーバーをあてていないようなひげが顎の輪郭を覆っている。
 古着みたいなTシャツと、眠そうな目、乾いたくちびる。
 おじさん、というほどの年齢じゃないのかもしれないけど、その風貌はまさしくおじさんと呼ぶにふさわしいほど野暮ったかった。    
 ヒツジタオルがのっそりとわたしの横を通りすぎてゆく。
「……あの、ちょっと」
 声をかけた瞬間、心臓がどくんと大きく揺れたような気がした。
 えっ、て感じで勇馬がわたしを見る。
「ちょっと、そこのひと!」
 声が大きくなったせいで、そばにならんでいたひとが何人か振り返った。
 なのに、ヒツジタオルには聞こえていないみたいにどんどん遠ざかってゆく。
「だれ?」
「……ごめん、先行ってて」
 勇馬にそれだけ言い残して、列をはずれた。
 はっきりとした理由があるわけじゃないけど、あれがわたしのヒツジタオルか確かめたかった。
 たったそれだけの好奇心でわたしはそのひとを追いかけて、Tシャツの広い背中にもういちど声をかけた。
「待って、ねえ、待って!」
 期待と不安と、ほかにも言葉にならない気持ちがぐるぐるうずまいて声がふるえた。  
 

 

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4/27/2009