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第4話 「クラフツマン」

 

 春も中盤になると緑が一気に芽吹き、アスファルトやフロントガラスの照り返しが強くなった。
 あーあ……なんでこんな日に講義なんてあるんだろう。
 飛び石連休となったゴールデンウィークのせいで、連休の合間に重い足をひきずりながら大学に向かった。
 いいお天気だなあと思いながら電車の窓の外を眺め、こんなにいい陽気なのに講義に出なきゃならない自分がちょっとかわいそうになる。
 大学に着くとキャンパスは明るくてまぶしくて、みじめな感じがいっそう引き立つのがまたくやしい。
 多文化理解概論の教室は3階。あまり広くないけれど、2面が窓になっているので見晴らしがよかった。
 その景色が左手に広がるよう窓のそばの席に座って外を見た。
 正門を入ってすぐのところに芝生の一角があり、ちょっとした木陰やピクニックベンチがしつらえてあった。
 せっかくいい天気なんだから、どうせならあのへんで講義してくれればいいのになあ……いつだったか短期留学案内のパンフレットに載っていた北米の大学の写真を思い出してため息をついた。
 芝生の一角から歩道をはさんで反対側は、L字型の校舎になっている。
 今日は設備の一部を手入れしているのか、建物にはメッシュシートがかけられていて、その内側にスチールパイプの足場が組んであった。
 シートの中が透けて、職人らしいひとが何人か作業をしているのが見えた。
 冬のあいだに傷んだ部分をゴールデンウィーク中に補修する予定なのかもしれない。
 講義がはじまるまでまだ間があったので、ぼんやりと足場にいるひとを眺めた。
 さわさわと葉っぱのゆれる音がしていた。
 その葉擦れの音のむこうに、ベビーピンクのタオルをかぶったひとが地上で作業しているのを見つけた。
 タオルをかぶっている職人さんはほかにもいたけれど、ピンク色はひとりだけだった。
 どきり、と自分の鼓動が聞こえた。
 ――まさか。
 ううん、そんなはずない。
 ぐうっと窓に肘を近づけて、目をこらす。
 伸びっぱなしの髪と、グレイの半そでTシャツの下に黒いロングTシャツ、カーペンターパンツ、軍手。
 ……似ている。
 タオルからはみだした髪とか、背格好とか。
 わたしがヒツジタオルをあげたあの男のひととよく似ていた。
 でも、ピンクのタオルをかぶってるってだけで、別人かもしれないし。
 じっと目をこらしてよく見てもわたしの位置からは遠すぎて、そのタオルにヒツジが飛んでいるかどうかわからなかった。
 タオルをかぶった職人さんは、道具を手にすると足場へあがった。
 なんの作業をしてるんだろう?
 あらためて観察すると、足場の上の職人さんたちは校舎の外壁を修復しているようだ。
 ひび割れとか雨漏りとか、そういうところを直しているのかな。
 漠然とそんなふうに思いながら、職人さんたちの姿を目で追った。
 見ていると、ヘラみたいなもので何か塗りつけたり削ったりしている。
 へえ、あんなこともするんだ……ふだんはあまり接点のない専門分野を見せられているような気がした。
 小さな発見をしたみたいに。
 細かい作業が多くて集中力が要りそうな仕事なんだなあ。
 でも、小学校の図工の授業でさえ四苦八苦していた不器用なわたしにはむずかしそうな課題。
 やっと教授が教室に入ってきたとき、そんなことを考えていた。

 

    ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

 多文化理解概論の講義が終わって外にでても太陽はまださんさんと照っていた。まぶしくて、思わず右手で目の上にひさしを作ってしまった。
 地上に降りると、教室の窓からから眺めていた箱庭の付属物みたいな足場が見上げるほど大きかったんだと気づく。
 外壁の修復作業に使うんだもの、高いところにあるのはあたりまえだ。
 なんだか今日は発見が多いなあ。
 そんなことを考えながら、足場のそばへ近づいた。
 いた――メッシュシート越しに、ベビーピンクのタオルをかぶったひとが見えた。
 足場に立って、片手に持った板の上から粘土みたいなものをすくい、壁の一角に塗っている。
 メッシュシートが風にゆれるかすかな音がした。
 校舎の中やキャンパスを移動する学生たちの声や足音。新緑のさざめく音。大通りを走る車の音。
 そんな音を聴きながら、わたしの視線はベビーピンクのタオルだけに注がれていた。
 シートとシートのあいだにあいたわずかな隙間からそのひとのすがたを見つめるとき、心臓がうるさいくらいにどきどきした。
 近くで見たら、ピンクのタオルにもこもこした小さなヒツジの模様が飛んでいるのがわかった。
 まちがいない。あのひとだ。  
 板の上にのせた粘土のようなものを小さなハンドルのついたヘラですくい、ていねいに壁の亀裂に埋めこんでいる。
 迷いのない軍手の指の動きに、どんな顔して作業してるんだろう、という好奇心がわきあがった。
 ……やっぱりあの、落ちくぼんだ疲れたような目で仕事してるんだろうか。
 わたしを見たときとおなじ、ほかのことなんかどうでもよさそうな目で。
 それとも仕事をしてるときは別で、もしかしたら何かの感情の切っ先が見えるんだろうか――。
「あぶない! そんなに近づくとあぶないよ、お嬢ちゃん」
 もっと足場に近づこうとしたら、ななめ後ろから声が飛んできた。大きな声にびっくりして飛び上がりそうになる。
 振り向くと、別の足場に立っていたねじり鉢巻きのおじさんがこわい顔をしてわたしを見ていた。
「古い雨樋とかね、外して落とすこともあるからぶつかったら怪我しちゃうよ」
「……はい、ごめんなさい」
 思わず首をすくめて数歩後ずさりした。そうしながらも視線でヒツジタオルを探す。
 彼もこちらを見ていた。
 あいかわらずの不精ひげと、元気のなさそうな瞳。黒とかグレイとか圧倒的に無彩色が多い中で、ベビーピンクだけがほんわり色づいている。
 ほとんど身動きせずにちらっとわたしを見て、それから何事もなかったように目を逸らした。
「あの!」
 とっさに呼び止めてしまったあとで、やっぱり何を言えばいいのか迷った。
 充分に足場から離れて、もう一度ヒツジタオルに呼びかける。
「ちょっと……あの、ひどいじゃないですか!」
 何が『ひどいじゃないですか』なのよ、と心の中で自己ツッコミを入れた。
 何もしてないから『ひどいじゃないですか』って、公の場でそんなこと口にするわたしのほうがずっとひどい。
 でも、名前も知らないひとの注意を引くすべが、わたしにはなかった。
「聞いてるんですか。あなたね――」
「……なんだぁ、おい! 平野! 呼ばれてるぞ」
 声を張りあげようとしたそのとき、さっきのおじさんが横やりを入れてきた。
 平野。
 そう呼んだのかな。
 おじさんに顔を向けると、おじさんはまっすぐヒツジタオルのほうを見ていた。
「平野! いいから、降りていってやれ!……ったく、気になってしかたねえ」
 最後の言葉はつぶやきになった。
 ごめんなさい、おじさん。ゆっくりと一度目を閉じるようにして、ちょっと頭を下げた。
 平野さんていうのか……名字がわかっただけでもラッキーだ。
 そんなことを考えているあいだも、ゆっくりと粘土の残りを保護したりへらをきれいにしたりして平野さんはなかなか足場を離れようとしなかった。
 おそらくふだんから、あまりきびきびしたひとではないのだろう。おじさんからメシ食ってこいだの、女の子を待たせるなだの口うるさくまくしたてられ、やっと一区切りついたらしい平野さんが足場を降りてくるまでにはもうすこし時間がかかった。
 ワークシューズの足で地面に降り立った彼を正面から見た瞬間、このあいだの夢が鮮やかによみがえった。
 壊れたオルゴールと、ヒツジタオル。
 あれはどんな意味だったんだろう。
 そんな夢の余韻が頭の中をぐるぐる渦巻いたせいか、言葉がなかなか出てこなかった。
 何を言えばいいのかわからない。
 わたしの前に立ったまま、平野さんは白い軍手をはずしてカーペンターパンツのポケットにしまった。
 彼のTシャツの袖や靴についた、粘土の乾いた汚れやほこりばかり見ていた。
「……平野さんていうんですか」
 見上げて訊くと、彼はやっとこちらを見た。
 だけど、わたしのことを見てはいても形として認識してないんじゃないかと思えるような目をしていた。
 声を聞いているだけで、頭ではわたしじゃないべつの次元のことを考えているような、そんな感じ。
 目頭から鼻にかけての切れこみが鋭い。反対に目じりはたれ目だけど、にこりともしないせいかつっけんどんな印象だった。
「そうだけど」
「あの、このまえ言ったこと、覚えてます?」
 小首をかしげたかどうかというだけで、あとは無反応。
 おそらく、知らないか覚えていないかのどちらか。
「そのヒツジのタオル、あげたのわたしですからね」
 そこで思い出したのか、右手でタオルを取ろうとしたのであわてて止めた。
「いいです。タオルは平野さんのものだから」
 すなおに手が下がる。
 ねじり鉢巻きをしていたさっきのおじさんが『メシ食ってこい』と言っていたのを思い出し、思いきって訊いた。
「お昼、もう食べました?」
「……いや、まだ」
「じゃあいっしょに食べてもいいですか?」
 平野さんはわたしを見て、つい、と視線を地面に落とした。
「なんで?」
 われながら、どうしてこんなにこのひとに固執するのかわからなかった。
 もうすこし、話してみたい。
 ただそれだけだった。
 だけど、そんなことを正直に口に出してもただのへんなやつ扱いされそうな気がして、かわりに答えた。
「わたしもこれから食べようと思ってたところだったから。だれかいっしょしてくれるといいなと思って」
 もっともらしいけど、よく考えるといろいろおかしい言い訳でつじつまを合わせた。
「……じゃ、いっしょで」
 地面から目をあげてそう答えてくれたとき、視線が合った。
 だけど相変わらずわたしを突きぬけて地面を見ているような瞳に、ほんのすこしだけ胸が騒いだ。

 

 

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4/30/2009