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第5話 「後輩」

 

 大学のすぐ近くにあるお弁当屋さんで、平野さんは唐揚げ弁当と緑茶を手にとった。
 はじめて入ったお店だったけど、お弁当だけじゃなくて洋風惣菜もサンドイッチもあって、品揃えはしっかりしていた。わたしはお惣菜の棚から、えびサラダサンドとペットボトルのジャスミン茶を選んだ。
「いつもここで買ってるんですか?」
 会計をすませてお弁当屋さんを出るときに訊いてみた。
「……時々」
「仕事場って、このあたりが多いんですか?」
「工務店が近いから」
 ふうん、そうなのか。
 そんなに漫然と大学生活を送ってるとは思わないけど、近所の工務店に勤める職人さんがこのあたりで仕事してることに気づかないくらいにはぼんやりしてたんだな、わたし。
 平野さんに続いて歩いていると、後ろからぱたぱたという足音が聞こえた。
「メイ先輩! ランチですか?」
 秋穂ちゃんだった。
「朝の講義だったんでしょ。わたしは午後からなんですー、やだなあ」
 透明なカップに入ったアイスラテをストローで飲みながら、秋ちゃんがわたしの横にならんだ。
 前を歩く平野さんのことは気がついていないようだ。
「先輩、英語得意でしたよね。今度教えてくださいよ。もう、今のセミナーのクラス、すっごいレベル高くて」
 うん、と生返事をしながら、わたしは平野さんの背中ばかり見ていた。前を向いたまま歩き続ける彼は、振り返りもしないし何も言ってこない。
 翻訳のセミナー担当だという教授の話題にシフトした秋ちゃんの話を聞きながら構内に入った。
 さっきの足場とは反対側の芝生の一角に、ピクニックベンチが2台置かれている。
 そのうちの1台に買ってきたお弁当を置き、平野さんは腰をおろした。
 一拍遅れて、わたしもベンチのそばで足を止める。
 秋ちゃんだけがそのまま二、三歩進み、とちゅうで気がついてわたしを振り返った。
「え? どうしたんですか、そんなとこで」
 なんて言っていいかわからなかった。
 わたしはベンチに座った平野さんを見てから、秋ちゃんに視線を戻した。
「ええと、その……今日は、ここで食べようかな、なんて」
「は?」
 秋ちゃんの顔が怪訝そうになる。そこではじめて気づいたように平野さんを見た。
 一瞬眉をくもらせて、サンダルとスキニーパンツの足ですたすたとわたしのそばまで引き返してくる。
「ここで、ですか」
 ピクニックベンチを指さしてはいるけれど、秋ちゃんの目は平野さんを見ていた。
 かさかさ。
 平野さんはわたしたちにおかまいなしでレジ袋からお弁当を取りだし、ぱきっとわりばしを割る。
「このひとと食べるんですか?」
 秋ちゃんの声が固さを帯びた。
 ……警戒してるんだ。
 なんでこんなよく知りもしないひとと。
 そう問われた気がした。
「あの、ほら、このまえタオル渡したでしょ。平野さんっていうんだって。今日はお弁当いっしょにどうですかって、わたしがお願いしたの」
 自分でもどうかしているんじゃないかと思う。
 公園の茂みで寝ていたホームレスまがいの見知らぬひとにヒツジタオルを押しつけて、その次はカフェの近くで偶然見かけて呼び止めて。
 3回目の今日は、キャンパスで校舎の修復作業をしていたその彼をランチに誘っている。
 こんなかかわりあいかたって、どう考えてもおかしい。
 それでも、話してみたかった。
 どうして"ニュートラル"でいられるのか知りたかった。
 だから、なるべく自然に聞こえるように言ったつもりだった。『わたしが』のところに、多少アクセントをおいてしまったかもしれないけど。
 秋ちゃんは聡いから、きっとわたしの言いたいことをわかってくれると思った。
「……そうですか」
 うなずくと、秋ちゃんのきれいなラテ色のショートボブが肩先で揺れる。
 やっぱり。
 わかってくれると思ったんだ。
「じゃ、わたしもいっしょしていいですか」
 えええええ。
 と思ったところでわたしの横をすりぬけてピクニックベンチに入りこみ、平野さんの向かいに腰を下ろす。
 口をはさむチャンスもなかった。
「どうせ講義までまだ時間あるし。メイ先輩のランチにつきあいますよ」
 秋穂ちゃんは、平野さんを完璧に無視してわたしに笑いかけた。

 

    ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

「平野さんて、下の名前はなんていうんですか?」
 秋ちゃんがとなりに座ったわたしを見ながら問いかける。
 わたしは彼の顔を見るけれど、答えが返ってくる気配はない。
 しかたなく、もう一度その問いをくりかえした。
「下の名前、なんていうんですか?」
「……礼示」
 咀嚼と咀嚼の合間に、ぽつりとこぼすような答えだった。
 レイジという響きが、わたしの耳には英語で『怒り』をしめすRageの音にも似て聞こえた。
 ……怒りどころか、このひとからは炎すら思い浮かばない。どっちかっていうと、まるで動きのない『凪』って感じなのに。
「ふうん。名前だけならまあふつうですね」
 秋ちゃんが屈託のない声で言う。
 明るい声のせいでほがらかに響いたけれど、なんとなくわたしはそわそわした。
 気持ちを落ちつけようとジャスミン茶のペットボトルの口をひねってあけ、お茶をひとくち含んだ。
「このお仕事はじめてもう長いんですか?」
 これもやっぱりわたしに向かって訊かれ、平野さんは答える気配がなかったのでわたしがくりかえして訊いた。
「長いんですか、このお仕事」
 さっきの粘土みたいな塗りものを使っていた様子だと、どこか熟練工のように思えた。
「長くないよ。半年くらい」
 へえ……ちょっと意外だった。
 じゃあ、転職したばかりなのかな?
 お箸を持っているのはごつくて土の汚れがしみついているみたいな手だったけど、何かの仕事をもっと長い間かけて通りぬけてきたように思えたから。
 サンドイッチを噛むと、マヨネーズの酸味が口に広がる。おいしかった。
「そのわりには……だいぶ年上ですよねー、メイ先輩より」
「きっとほかにも仕事してたんだよ。ほら、職人さんだから」
 ペットボトルからジャスミン茶を飲んで、わたしがかわりに答えた。
 平野さんはもうほとんどお弁当を食べ終わっている。
 わたしは、お箸を動かしているごついその手を見ながら訊いた。
「うちの大学では、このあとどのくらい残ってるんですか、修復作業」
「さあ。そういうのは棟梁が決めるから」
「あ、さっきの、ねじり鉢巻きのおじさん?」
「そう」
 小柄だけど威勢の良さそうだったおじさんを思いだしてふっと笑ってしまった。
「棟梁って……そのひとから言われた作業をこなすだけですか」
 なあんだ、と秋ちゃんが小さく笑った。
「自分の意思で考えたり動いたりしなくて、それでいいんですか? 平野礼示さんは」
「秋ちゃん……」
 どうしてつっかかるものの言いかたをするのかぜんぜんわからなかった。
 さっきのそわそわした気持ちから不安と不快のまじった気持ちになってしまい、わたしは秋ちゃんの腕にそっと手を乗せた。
「だって、先輩」
 アイスラテの入ったカップをにぎる両手にちからがこもる。
 だいじょうぶだよ、という意味もこめて、ブラウスに包まれた秋ちゃんの腕をぽんぽんとたたいた。
 そんなに警戒しなくても。
 このひとはだいじょうぶ。
「職人は」
 ぴりり、とお弁当の空き箱を輪ゴムで閉じて、平野さんが口をひらいた。
「言われたとおりの作業をするのが仕事。自分の意思で考えたり動いたりするのは芸術家のすること」
 すごい。
 このひと、こんな長い文章もしゃべれるんだ。
 いままででいちばん長い言葉が平野さんの口からこぼれおちるのを、わたしは口をあけたままで聞いていた。          
「――俺は、そういうのはもういい」
 不精ひげのせいでくちびるの表情が読めない。
 感情の伴わない声は、何を思っての言葉だったのかまるで想像もできなかった。
「はあ?」
 秋ちゃんが明らかに機嫌の悪そうな声をあげたけど、平野さんはかまわずベンチを立って背中を向けた。
 お弁当の空き箱を入れたレジ袋を片手でぶら下げ、もう片方の手にお茶のペットボトルを持って足場のほうへ歩き去る。
「なんなの、あれ。意味わかんない」
 もう、と怒ったような後輩の声が、わたしの耳を通り抜けていった。
 いま、なんて?
 『俺は、そういうのはもういい』?
 ……どういうこと?
 手の中ですこし乾きはじめたえびサラダサンドに目を落としながら、平野さんの言葉を反芻していた。

 

 

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5/01/2009