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第6話 「自己紹介」

 

 ゴールデンウィークのあいだの授業は当然、すべて休みだった。
 でも棟梁がほかの職人さんたちと話してるのがちょっぴり聞こえてしまった。休みのあいだも修復作業があるんだそうだ。
 そう考えたら平野さんのことが気になりだして、休みの日もけっきょく大学まで足を運んでしまった。
 いいお天気だった。
 それだけでかなりうきうきした気分だったのに、大学構内に入って足場のそばに立っている平野さんを見つけたらもっとうれしくなった。
 校舎の壁を見上げながら、棟梁のおじさんと何か話している。
 ベビーピンクのヒツジタオル。
 ずっと使ってくれてるんだ……たったそれだけのことなのに、心が軽やかになってゆく。
 彼を見ていると、楽しい気持ちになった。不思議なひとだと思った。
 ゆっくりと近づいていくと、棟梁のほうが先にわたしに気づき、平野さんの腕をちょっと小突いた。
 もこもこしたヒツジ模様のタオルをかぶった彼が振り返り、わたしを見る。
 その瞳が、ちょっと考えごとをしたようにゆれた、と思った。
「こんにちは」
 わたしは手をあげて、平野さんと棟梁に笑いかけた。
「なんだい、今日も平野といっしょに弁当食うのかい? お嬢ちゃん」
 おじさんがにやにやしながらわたしと彼とを見比べた。
「……あ、はい。約束したんで」
 とっさにそんなでまかせを言った。
 平野さんがぐりん、と首を回してわたしを見ながら、そうだっけ?という感じで小首をかしげる。
 にっこり笑顔でそれに応えた。
 でまかせを言ったりこじつけたり……なんだかわたし、平野さんのまえではどんどん悪い子になるみたいだな。
 ちょっとうしろめたく感じたけど、鼓動が速くなるのを止められなかった。
 けっしていやだと言わない平野さんに、甘えているのかもしれない。
 でも。
 いっしょにいたいんだもの。
「おーおー、じゃメシにしろ。午後は反対側をおなじようにやっといてくれ」
 おじさんはしょうがねえな、と言いながら首にかけたタオルで汗をぬぐい、わたしたちから離れていった。
「お昼、いっしょしてもいいですか?」
 道具を一箇所にまとめてかたづけている平野さんにいちおう確認をとる。
「いいけど……約束なんかしたっけ?」
 まだ解せないのか、声に不信感がまじっていた。
「してない。でも話したくて」
「……変わってるな」
「え?」
 意味をつかみかねて訊き返すと、平野さんがまっすぐわたしを見た。
 はっきりとわたしという人間を見ているんだと、そのまなざしからわかった。
「あんたは変わってる。あの友だちに怒られてもしらねえぞ」
 とがった声だった。
 『あの友だち』って……秋穂ちゃんのこと?
「あの子は後輩。失礼な態度だったことは、かわりにわたしが謝ります。ごめんなさい」
 ふっと息をつく音がして、平野さんのくちびるの両端がすこし歪んだように見えた。  
「そういう意味じゃない」
 くちびるは真一文字でもへの字でもなかった。でも微笑したとはいいがたい表情だ。
 せっかくなにかの感情が垣間見れたと思ったのに、こんな冷たい表情だなんて。
 一度くらいは楽しそうに笑った顔も見てみたいな。
 手洗い場に向かった平野さんの背中を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

 

    ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 

 

「……この前の話ですけど」
 ピクニックベンチで黙々とお弁当を食べる平野さんの向かいに座り、わたしはそう切りだした。
「『自分の意思で考えたり動いたりするのは芸術家のすること』ってどういう意味ですか?」
「べつに……言ったとおりのこと」
 わりばしでごはんを口に運びながら、平野さんが言う。
「じゃあ、『俺は、そういうのはもういい』って?」
 沈黙。
 校舎より低いところを、ツバメが一羽すべるように横切っていった。
「もしかして、前は芸術家をしてたとか?」
 自分用に買ってきたサンドイッチを頬張りながら訊いたけれど、平野さんはお弁当に視線を落としたまま、何も答えてはくれなかった。
 そのようすが、都合の悪いときに母の前でだんまりを決めこむ父のすがたに似ていた。
 おそらくわたしの問いは正解か、それに近いところを突いていたのだろう。
 答えないせいで、かえって正しい答えが浮き彫りになった気がした。
「ふふふふふ」
 サンドイッチを食べながらふくみ笑いをしたら、しゅっと平野さんが目をあげる。
「……何?」  
「いーえ、べつに。お弁当、おいしいですか?」
 まあね、と答えて平野さんはまた目線を落とした。
 しばらくごはんを頬張り、ペットボトルのお茶で喉をうるおす。
 ごくり、ごくりと鳴る喉仏が視界の端に映ると、わたしの鼓動はまたゆるゆるとスピードをあげた。
「そっちの話でもすれば? 俺のことばかりじゃなくて」
 頬杖をつき、どうでもよさそうにつぶやく。
「あ、そうですね。じゃ、名前……名前は知ってますよね」
「さあ」
 がっくりした。
 やだ。名前、言ってなかったっけ?
 でも秋穂ちゃんとのやりとりからわかりそうなものだったけど……まあいいか。
「佐藤メイです。メイはカタカナのメイ。ここの大学の異文化コミュニケーション専攻の4年生です」
 ふうん、ともうーんともつかない声が平野さんの喉から聞こえた。
「得意科目は英語。苦手なのは……えーと、そうだな、お料理」
 言ってから、料理は大学の科目じゃなかったことに気づいて自分で笑ってしまった。
 平野さんは黙って聞いていた。どうでもよさそうに聞き流してるって感じだったけど、やめろとは言われなかった。
 ほんとうの気持ちを言えば、彼のことをもっと知りたかった。
 でも、相手のことを知るにはまず自分のことから教えなくちゃ。それって、コミュニケーションの基本でしょ。
 わたしはどんどん話しつづけた。
「家は神奈川の山のほうで、家族は両親とお姉ちゃんがひとり、お兄ちゃんがふたり。上のふたりはもう結婚してるけど。去年から子猫2匹が新しく家族になりました」
 言いながら、こんなふつうの自己紹介をしたのは久しぶりだと思った。
 知り合いになる子もそうでないひとも、たいていはわたしが外国人か日本人かという質問をとっかかりに訊いてくることが多かった。
 彼らの言葉をそのまま使うなら『ハーフ』なのかとか、もしそうならどこの国との『ハーフ』なのかとか。
 自分のバックグラウンドを訊かれることは、必ずしもいやなことじゃない……カレルなんかは毛嫌いしてるようだけど。
 わたしだって逆の立場だったら、もし外国というものが身近でなかったら、似たようなことをまったく考えないでいることはむずかしいと思う。
 興味を持ったひとが対象だったらなおさらだ。
 でも最近はその思いが純粋であればあるほど、ちょっとしんどい。
 外国に対するもののとらえかたがあまりに画一的だったり、盲目的な憧れをぶつけられたりすると。
 わたしだってあなたとおなじだよ。
 基本的なところじゃなにも変わらないのに。
 そう言っても、なかなか受け入れようとしないひとも世の中にはいるのだ。
 小中高大と年々そういう経験は減ってきてるし、似たような境遇の子と知り合えばみんな似たような思いをしてるんだなあと確認したりもするけど。
 できたら『ハーフの』とかの枕詞も形容詞も持たずに、最初からまっさらな『佐藤メイ』として知り合いになれたなら、とずっと願っていた。
 こんなふうにごくふつうの自己紹介ができることは、わたしにとっては新鮮なおどろきだった。
 もうひとつ――目の前のひとが、わたしのことなんかまるで気にせずごはんを頬張っていることも。
 あいかわらず視線を落としながらお弁当を食べている平野さんの、不精ひげと日に灼けた喉元ばかり見ていた。
 汚れたグレイのTシャツの襟元。ときおりそこからのぞくのは、色気もなにもないボールチェーンの鎖。
 見つめながら、ひっそりと考えた。
 このひとの笑顔が見られるなら、どんな悪い子にでもなるのにな。
「ねえ、平野さんのことも教えてよ」
 あなたのことが知りたいのだというこちらの意思表示は、これまでになんどもしたつもりだった。
 お弁当をきれいに食べ終えた平野さんが、わりばしと空き箱をレジ袋に入れる。
「名前と職業。それで充分」
「それだけじゃ足りないでしょ。どこに住んでるのかとか、趣味とか歳とか、休日は何してるのかとか……」
 平野さんがピクニックベンチからすうっと立ち上がる。
 勢い、座ったままのわたしは彼を見上げるかっこうになった。
「面倒くさい」
「なっ」
 ……はあ? そんな言いぐさってありなわけ?
 どうでもよさそうな答えかたにわたしが鼻白んでいるうちに、平野さんはきびすを返した。
「いーっだ! けぇーち!!」
 とっさにそんな悪態しか思いつかない自分に腹が立つ。
 平野さんは足場に戻りながら、とちゅうでレジ袋に入った空き箱をゴミ箱に放った。
 その平然とした態度によけいカッとなる。
「平野の秘密主義! ズボラで面倒くさがりのスットコドッコイ! オタンコナス!」
 大声を出したせいで息があがる。
 子どもじみたわたしの声がキャンパスに響いて、いらだちがいっそう募った。  

 

 

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5/06/2009