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    「 理想の恋のこわしかた 」

SCENE 1 * 涙のロイヤルミルクティ 1 *

 

いままで目にしたどんなスポーツともちがう。
こんなに不思議なものがあるなんて。

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 知らない。
 あんな男はもう知らない。
 にび色の空の下、 ぼたん雪が舞う中を歩きながらそう思った。
 かつかつかつかつ。黒のショートブーツが歩道の上で軽快に鳴る。歩道のタイルにところどころはめこまれている港町のレリーフを見ていたら、知らず目頭がじんじんしてきた。
 ……泣かないわよ、あんな男のためになんか。
 どうせわたしの撮る写真はしょせん三流レベル、あんたのとは比べものにならないわよ。それでも教わるところのほうが多かったから進んでアシスタントもしてきたのに。
 それなのに。
 ……わたしより6つも年下のモデルとタヒチだと?!
 あんな、わたしのことをそばにいて当然の付属物だと誤解しているような男のためになんか、もったいなくて泣けない。
 いま決めた。わたしはあいつが息を呑むほど超大物になって見返してやる。
 『おまえをないがしろにした俺が悪かった』
 そう言わせてやる。そうなってから謝ってきても、悪いけど、とても許してあげられないわね。
 ひとつ大きく鼻をすすって見上げたら、激しく舞い散る雪の花の中、空にそびえたつ白い建物が目に入った。
 ……ベイサイドなんとかホテル。
 確かそんな名前のホテルがあったわねここに……へぇ、こんな立派な建物だったんだ。
 白い外装の、いくつもの細長い窓がついた背の高いホテル。入り口には車寄せのロータリーがあって、雪の中でちょっと寒そうな表情をしたドアマンが立っている。
 そんな様子を歩道から眺めながらホテルの前を通りすぎようとした時、となりにもうひとつ建物が寄り添っているのに気がついた。
 こちらは背が低くて平たい。ダンスホールみたいなガラス張りの1階エントランスと、その周りに巻きつくように直接2階に上がれる階段もついている。
 ガラス張りのエントランスの内側には、高いところに『国際交流試合開催中!』と横断幕がかかっていた。
 ……国際交流試合? なにかのスポーツかな。
 今時めずらしく力強い毛筆で書かれた横断幕に吸い寄せられるように、1階のエントランスへと近づいた。
 中を覗くと、トレーニングウエアにウインドブレイカーを着た男の人たちがなにやら長い棒のようなものを抱えて奥へと消えていく。
 天井から下がっているまぶしいライトの光。連なるように並んだプラスティックの椅子の背。
 遠慮なく視界を横切るぼたん雪はまだまだ止みそうにないし、かといってひとりでレストランやカフェに入る気分にもなれない。
 どうせ他に行くところもないし、ちょっと覗いてみようかな。
 こつんこつん。
 歩道のタイルをたたくショートブーツの音に後押しされるように、ガラス張りのエントランスのドアに手をかけた。

 

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 国際交流試合なんてマトモな名称を掲げているわりに、ドアはすんなりひらいた。
 そこからさきほどのプラスティックの椅子の背が見えるところまでは長テーブルと大きな自動販売機があるだけで、清掃員さん以外係員らしき人の姿も見えない。
 てっきり入場料が要るものと思っていたわたしが辺りを見回していると、販売機の横のごみ箱からごみを集めていた青い制服に帽子姿の清掃員のおじさんがごみ箱の上に屈みこんだままの姿でこちらを見た。
「ああ、申し訳ないっすねぇ、今日は試合入ってないんで」
 白いマスクをかけていたおじさんは叫ぶように言った。
「練習見学ならタダだから、良かったらアリーナ入って見ていけば?」
 それだけ言って、また清掃作業に戻ってしまう。  
  ……まあ。
 試合がないなら横断幕も下ろしておけばいいのに。
 また焦げつくような苛立ちがぶり返してきて、口がへの字に曲がるのがわかった。
「タダ?……タダで見られる練習って、どんな練習よ?」
 なじるような口調になってしまった。
 苛立ちをおじさんにぶつけてもしょうがないのに、世の中すべての男性に対して腹が立つのを抑えきれない。
 すると苛立ちがおじさんにも伝わったのか、ごみ袋を持ったままでじろりと見返された。
 きつく伸びた眉と、どこか獰猛な感じのするまなざし。
 ……やばい。
 違うわ。
 このひと、おじさんなんかじゃない――。
 そう思った時だった。清掃員さんがマスクをあごまでずらして言った。
「ここでやってるのはね、アイスホッケーの国際交流試合。ザイセイナンな中、少しでもホッケーを広められればいいなって目的でやってるの。んで、今日はたまたま練習日なの。わかんなかったらいいよ、入んなくても」
 ザイセイナンていうのは財政難のことか、と少し経ってから気がついた。
 なんだか、漢字の書きかたはわからないけど、この単語はじめて使ってみました、みたいな口調だった。
 青いゴム手袋でがさがさとごみを集める音は怒っているし、わたしの内側をなでてゆくざらついた感覚は消えてないんだけど、ちょっと可笑しくなってしまって笑いをこらえるのに苦労した。
「あっそう。じゃあ入る」
「は?!」
 清掃員さんは絶妙のタイミングでわたしを振り返り、ぽかんと口をあけた。
 入らなくてもいい、って言われると入りたくなるあまのじゃくなこの性格はなんとかならないものかしらね、本当に。
 そう考えながら、こつこつと靴音を響かせてアリーナの中へと進んだ。
 心の中で清掃員さんにアカンベーをしながら。

 

 中は寒かった。
 今日は外が大雪だから特別そう感じるんだろうか。オレンジ色のマフラーにあごをうずめ、アリーナを見渡してみる。
 広くて、白くて、寒い。
 それが第一印象だった。
 フィギュアスケートの番組で見るような細長くて白い氷のリンク。観客席をうろうろしてる人はまばら、というか、ほとんど関係者のみだ。
 こうして見る限りはなかなかきれいで整ったリンクに見えた。
 でもこれだけの規模のものを維持していくのも大変なことなんだろう、というのは素人目にもわかる。さっきの清掃員さんが言っていたザイセイナンという言葉が重みを増した。
 氷の上では黒や白の練習着を着たひとたちが幾人か練習をしていた。ヘルメットをかぶっているから顔はよく見えない。
 プラスティックの椅子の間を走るコンクリートの狭い階段を下りながら、リンクに近づいてみる。シャーッと氷を削る音がどこかから聞こえた。
 へぇー、ここって、中から見るとこんな感じなんだ。
 天井たかーい。下が氷で白いからまぶしーい。わー、あんなところに小さなゴールネットが――。
 リンクを囲っている強化ガラスに両手をつけて中を覗きこんだ瞬間、ガコーンと大きな音がとどろいて、両手が弾き飛ばされそうになった。
 どん、という衝撃音が続けてやってくる。
 がつんがつん、ごぉん。
 なにかを蹴る音と、掘る音と、押しつける音。ボードと強化ガラスがたわむほど揺れた。
「い」
 ……やっ、と言ったつもりだったけど、悲鳴にならなかった。
 今にもガラスが外れてこちらに向かって落ちてきそうだった。
 びっくりして両足が後退する。
 強化ガラスから離れてリンクの中を見回すと、すこし離れたところで黒の練習着と白の練習着を着たひとたちが滑りだしたところだった。ベンチのどこかから笛の音や野太い声が届く。
 今のって、あんな遠くからの衝撃だったの?
 それとも、ここでぶつかって次の瞬間にはもうあんなところまで滑ってったってこと?
 ……なにがなにやらさっぱりわからないわ。
 なんだかよくわからないけど。
 でも。
 ――すごい。
 どきどきしながら少しだけまたガラスに近づいて、リンクの中を見た。
 黒い練習着が5人、白い練習着が5人。あと、小さなゴール前にキーパーらしきひとがひとりずつ。
 見ていると、時々ベンチの向こうからも何人か出てきて交代しているらしく、みんなくるくるくるくるよく動く。
 薄い刃のホッケーシューズでよくあんなにスイスイ動けるなぁ。フィギュアのスケート靴で千鳥足もできないわたしから見たら魔法みたいだ。
 長いスティックを振りあげてシュートするさまも、足を使うサッカー選手とはまた違う独特のバランスがあってかっこいい。
 へえー、ゴールの裏も滑っていけるのね。
 あんなにぐいぐい押しあったり引っぱったりして反則取られないのかしら。
 そんなことを考えている間もリンクから目が離せなくなった。
 新しいものに触れた嬉しさと、これまで知らずにきてしまったことへの後悔がないまぜになった。
 まだ練習は続いているし、もっと見ていたい。
 けど、寒い。
 関東を覆っている大寒波の影響もあるのか、猛烈に寒い。
 なにかあったかいものでも飲みたいな……そう思ってあたりを見回したけれど、売店の窓はシャッターが閉まっていた。
 そういえば、さっき入ってきたところに自販機があったっけ。
 手袋をしっかりはめ直し、白いコートの襟を立たせてもういちどエントランスへ向かった。 

 

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