>>NOVELS >>INDEX
* 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 *


    「 理想の恋のこわしかた 」

* 涙のロイヤルミルクティ 2 *

 


 自動販売機のところまで戻ってみると、さっきの清掃員さんがまだいた。
 がっしりとした木製のベンチにどっかり腰をおろして、右手には紙コップを持ち、一休みしているようだ。
 さっきとちがって帽子をあみだにかぶっているところがいかにも休憩中という風情だった。
 湯気の立つ紙コップをすすりながら、わたしに気がついて、あ、という感じで眉をあげた。斬りこむような目をこちらに向けてくる。
 げ、と思った。
 目が合うと、体のどこかがざわざわしてくる。
 なんかこのひと、苦手だ。
 なんだろう。ヘビに睨まれたカエルの気分になってくる。
 わたしは目を合わせないようにしながら販売機へと足を進めた。
「練習、見たの?」
 低い声で訊かれて肩が揺れてしまった。
「見たわよ」
 清掃員さんを見ずに答えた。
 コートのポケットから財布を出し、小銭をたしかめたらため息がでた。
 ……やだ、35円しかないじゃないの。
 仕方なく一枚しか入ってなかった千円札をだす。財布の中の全財産が1035円の女ってのもなんだかわびしい。
「どうよ?」
「え?」
 千円札のしわを伸ばしながら訊き返す。
「ホッケー」
 投入口に入れたお札は、ぐいーんと耳障りな音をさせて戻ってきた。
 それをまた入れなおしながら答える。
「……今まで目にしたどんなスポーツともちがう、って感じかな」
 わたしの声にぐいーんという音がかぶさった。アカンベーの舌みたいにお札が戻ってくる。
 こういう時の販売機って、くやしいくらいに思い通りにならない。ほんとに腹が立つ。
「それって、どういう意味?」
 またよけい苛立たせるように質問をやめないんだよこの清掃員さんが。
 内心イライラを募らせながら、わたしは何度もお札を入れては吐きだされ、入れては吐きだされしていた。
「面白いってことよ。だからこうして、あったかいもの買いにきてるんでしょ。じゃないとアリーナ寒くって居られないわよ」
 ぐいーん。
 いっこうに飲みこまれてくれない千円札に、はぁ、とさっきより盛大なため息をついて肩を落とした。
 すると清掃員さんはぷっと鼻先で笑い、ベンチから立ちあがると制服のズボンのポケットを右手で探りだした。
 こちらに近づいてくる。
「コーヒーでいい?」
 声と投入口に小銭の落ちる音が重なった。
「え?……いや、ロ、ロイヤルミルクティで」
 あわててそう言ったわたしを、コーヒーのボタンを押そうと前屈みのかっこうになったまま遠慮なく見あげてくる。そうすると、三白眼になってよけい怖いのだということを知っているようなしぐさだった。
「……この中でいちばん値の張るものを頼むわけ」
「だ、だってコーヒー飲めないし」
 しどろもどろになった。
 どうせなら好きなものを飲みたいじゃない。
 それに訊かれたのがいきなりだったから、いちばん高いなんて知らなかったんだもん。
「じゃ、ま、いーか」
 しょうがねーな、と言いたそうな雰囲気でふたたびポケットを探り、小銭をいくつか出してきて投入口に落とす。
 姿勢を伸ばしたその時、青い制服の二の腕のところにオレンジの刺繍で"佐藤か"と入っているのに初めて気づいた。
 "佐藤か"?……疑問形? 名前?
 それに、となりに立たれたらよくわかった――このひと、けっこう背が高い。
 わたしは身長170センチ。しかも今日はヒールの高いブーツを履いてきたからもっとあるはずなのに。
 清掃員さんはそんなわたしの心中などお構いなしに、でっかい左手の人さし指でロイヤルミルクティのボタンを押してくれた。
 四角くくりぬかれた空間にかぽっと紙コップが配置され、音を立てて湯気の立つ液体が注がれる。
「ここの自販機、設定温度が高くなってるから火傷しないように気をつけて。ホッケー見るなら、次からはもっとあったかいかっこうしてきたほうがいいよ」
 それだけ言ってポケットから取りだしたマスクをかけ直し、背中を向けた。
「え、あ、あのっ」
 反射的に呼び止めてしまってから後悔した。
 あ?って感じで振り返った清掃員さんは、マスクで顔半分が隠れているせいか鋭いまなざしに凄みが増していて、あんまりに怖くて卒倒しそうになった。
 でも、呼び止めておいてなんでもないなんて言ったら殴られそう……。
「……ありがとう」
 がんばって言ったのに、なんだか気弱な声になってしまった。
 顔の上半分しか見えない清掃員さんは笑ったのかどうなのかよくわからない反応を返し、キャスターつきの大きなごみ箱を転がしながらどこかへ去っていった。
 ひとりになってから、販売機のまんなかにある小さい扉をあけて紙コップを取りだし、がっしりとした木製のベンチに腰かけた。
 さっき、あの"佐藤か"とかいう清掃員さんがしていたように。
 ほのほのと湯気の立つ熱いミルクティは、一口すすってみると、やわらかく甘い味がした。
 美味しい。
 ……こうして手袋をしたまま紙コップで両手を暖めていると、わたしより6つも若い女とタヒチへ行ったあの男の顔なんか遠い昔の記憶のように思えてくる。
 ふふふ……不思議。
 斬りこむような鋭いまなざしをした清掃員さんのほうがよっぽどインパクトがある。
 苦笑いしたらわずかに白い息がほろほろとこぼれた。
 もうすこし。
 もうすこしだけ、ここでこうしていよう。
 それからまたアリーナへ戻って、ホッケーの練習を見る。がこーんとか、ごつんとかいう音が耳から離れない。
 ――惹かれている証拠だ。
 もし明日、試合があるのなら、その時はカメラを持ってきて写真を撮ってもいい。ファインダーを覗いたら、違ったものが見えるかもしれない。
 紙コップから優しい色の液体を一口含むと、甘い味が胸の奥をひっかくように沁みて、また目頭がじんとした。
 
 

>>BACK
>>NEXT


>>NOVELS
>>INDEX