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    「 理想の恋のこわしかた 」

SCENE 5 * こうしましょうか *



  本気で惹かれてるって伝えたら、このひとはわたしのものになってくれるだろうか。


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「せっかく靴はいたんだから、すこし滑ってみればいいのに」
 ボードに両肘をついたかっこうのまま、きつい眉のしたで目を細めてみせる。
 その後ろを小学生の軍団が色とりどりのマフラーや手袋をひらめかせながら、楽しそうな声をあげて通りすぎていった。
「なんだよ、そんなに信頼ないのかな俺」
 はぁ、とため息まじりでひとりごとをこぼす。
 ……ちがいます。
 スケートのレベルが高すぎてついていけないんだってば。
 アイスホッケーをしてたんだからそりゃ上手いんだろうなぁ、とは思ってたけど。
 靴をはいてからも躊躇しているわたしの心をほぐそうとしてくれたのか、じゃあちょっと見てて、と言って滑りだした後ろ姿を見失ったのがあまりに早くて呆然とした。
 とてもいっしょに滑れそうになんかない。ベンチに座ったまま、リンクで貸しだしてもらった白いスケート靴を見下ろした。
 スケートなんて滑ったのはもうだいぶ昔だし、やっぱり転ぶのはこわい。
 そんな気持ちが顔にでてしまったのか、リンクを一周して戻ってきたカレルが手袋をはめた大きな手をにゅっと突きだした。
「手、ひいててやるから」
 滑りたいというよりは、そばにいたい、触れてみたいという気持ちのほうが強かったのかもしれない。
 ヨコシマだなぁ……でも、近づきたいという気持ちに偽りはない。
 そっと手袋の片手をとって立ちあがる。ゆっくりと慎重に、氷のうえに刃をのせた。
 硬くて白いリンクに目をしぱしぱさせる。
「……手、離さないでね?」
「離さない」
「おいて行かないでね?」
「おいて行かない」
 声が笑ってるみたいだった。でも足元から目が離せないから、顔をたしかめることができない。
 つーっと、世界が後ろに動いてゆく。ひんやりした空気が耳をかすめた。
 リンクのざわめきが遠くなったように思えるのは、大きくなった鼓動のせいかな。
 向き合いながら、器用に後ろへと滑ってゆくコーヒー色のセーターの腕のあたりをつかみ、ゆっくりと顔をあげた。
 ……やっぱり笑ってる。
「なんで笑うのよ?」
「え? だってすっげぇ慎重なんだもん。もっと早く滑っていい?」
「や……ちょっと待って待って!」
 ぐっとスピードをあげられて、声がふるえた。
「大丈夫、ちゃんとつかまえてるから」
 距離が縮まる。
 髪が触れる。
 ほとんど胸に抱えられるかっこうになった。
 つ、つかまえてるとかそういうことじゃなくてね……近づきすぎなんだってば。
 お願いだから、これ以上引き寄せないで。
 ……心臓がこわれそう。
 そう考えたら、恥ずかしくてしたを向いた。
 滑ってるうちにカレルの体が半分リンクの内側に向いたせいでわたしのバランスが崩れ、つま先の刃が氷にひっかかる。
「わ」
 あっと思った時には体が傾いて、気づいた彼があわててわたしを抱き寄せた。
 額と頬がぶつかる。胸と胸が密着した。
 怖かったせいもあってセーターごと抱きしめてしまった。
 すうっとスピードが落ち、カレルがボードに背中を押しつけるようにして止まった。
「……ラッキー」
 両腕でわたしを抱えたまま、おどけた様子で言う。
 困った……もう顔があげられない。
 耳まで熱くなった。

 

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 1周目は体が緊張したまま滑り、2周目は緊張のせいでふらふらしたまま終わった。
「佐藤さんて、ホッケー始めて何年?」
 リンクの青いベンチに並んで腰かけ、紙コップに入ったロイヤルミルクティで手をあたためながら訊いてみた。
 氷もシューズも体に同化したみたいに馴染んでいたから、かなり経験があるんだろうなと思った。
「初めて防具をつけたのが6歳くらいだったから……もう17年」
 頭で数字を計算して気がつく。
「てことは23? なんだ、同じ年なの」
 てっきり年上かと思っていた。
「何月生まれ?」
「7月」
「じゃあわたしのほうが学年はひとつうえか。3月生まれだから」 
 23年前は例年よりソメイヨシノの開花が早くて、わたしの生まれた日には花が見れたのだという。それでよしのという名前になった。
 たった4ヵ月先に生まれただけなのに、学年という区分では分けられてしまう。すこし不思議な感じがした。
「もっといくつも年上なのかと思ってた」
「やだ、そんなに老けてる?」
 思わず片手で自分の頬に触れる。
「ちがう。そうじゃなくて……ごめん。言い方がまずかったな。もう会社に何年も勤めてるって感じの、大人っぽい雰囲気だったから」
 コーヒーに口をつけてから続ける。
「俺なんかとはちがうんだろうな、って」
 さがってゆく声に、どこか引っかかれるような気がした。
「『俺なんか』?」
 カレルの言葉をそのまま訊き返す。
 一瞬こちらを見て、それからゆるゆると首を振る。
「いや、よしのさん、かっこいいなって」
 ……シュート姿があれだけサマになってたひとがなにを言うのやら。
「ぜんぜん。才能ないからアシスタントしながら勉強しようと思ってたけど、いつまでたっても怒られてばっかりでいい写真撮れないし。もうほんと、やめちゃおうかなって何度も考えた」
 ほんとうに、何度も何度も、あきれるくらいに。
 そんなわたしは、やっぱりかっこよくなんかない。
「ホッケーもできないし、スケートだってろくに滑れないのよ。氷のうえで、そういうことが難なくできるひとのほうがずっとかっこいいと思うけど?」
「ははは、すげぇ殺し文句」
 ええと。
 充分、本気だったんですけど。
 内心ちょっとすねながら、やわらかい色の瞳を見た。カレルもわたしを見たので、一瞬、視線がかちあう。
 琥珀にも似た瞳を向けられると、やっぱりすこしそわそわした気分になる。
 嬉しいような、楽しいような、ちょっと不安な気持ち。
 わたしが抱いているのと同じ気持ちを、カレルも持っていてくれるといいな。
 だけどもしそうだったら、きっとわたしは舞いあがりすぎて自分がわからなくなってしまう。
 だから、もうちょっとこのままでもいいかな。
 そんなふうに考える。
「でも、写真やめてないんだろ。だったらやっぱりかっこいいよ……俺は、やめたから」
 ホッケー、とつけ足して、リンクに視線を移す。
 その視線がまだ愛情に満ちている気がした。だから訊いてしまった。
「どうして?」
「……どうしてだろうな。ドミと比べられてるような気がしたのかも」
 コーヒーを飲んで、続ける。
「4人きょうだいなんだけど、年も近い男兄弟だから小さい頃はすげぇ仲良くってさ、ドミのあとばっかり追っかけてて。俺もああなるんだって勝手に期待して。でも実業団にはいれるヤツなんか一握りだろ。それがわかって、あきらめた」
 話を聞きながらロイヤルミルクティを口に含み、しばらく黙りこんだ。彼の視線はずっとリンクに注がれていた。
 たくさんのひとたちが、白いリンクの中を流れている。楽しげな音楽と歓声は、永遠のBGMみたいに途絶えることがない。
 甘い味といっしょに、カレルの話してくれた言葉を飲み干した。
「たしかに、実業団にはいれるひとは一握りかもしれないけど……」
 わたしもリンクに視線を向けながら言った。
「でもそれって、佐藤さん、あなたがホッケーできなくなっちゃうってことじゃないでしょ」
 好きなことなら、つながっていたいと思うんじゃないだろうか。
 そう考えてここで働いているんじゃないだろうかと思った。
 だってリンクのうえって、時々アイスホッケーの試合や練習の場面とオーバーラップしそうな気がする。
 独特の音の響きかたとか肌に感じる冷気とか、ちょっとしたことですぐにあの、ジャッと氷を削る音や何かがぶつかる音がよみがえってくる。
 不思議な場所。
「カレルでいいよ」
 穏やかに言われて横を見た。
「よしのさんに呼ばれるなら、下の名前がいい」
 金田さんからオオカミみたいだと言われた目を細めて、カレルはそう言葉をつけたした。
 まいったなぁ。
 話せば話すほど実感する。
 ――このひと、外見と性格がぜんぜん一致してくれない。
 そしてそういう繊細でやわらかな印象が、どんどんわたしのアンテナを引きつける。
 もう、なんていうか……ずっとそばにいて、手放したくない感じ。
 本気で惹かれてるって伝えたら、このひとはわたしのものになってくれるだろうか。
「じゃあ……こうしましょうか」
 なに、というように、カレルがわたしを見る。
「わたしのことも下の名前で呼んで。だって、わたしとカレルは同じ年だし、同じくらいかっこいい人生を歩んでるんだし――」
 "ともだち"だもん。
 そう言おうとして、やめた。
「共鳴してるみたいでしょ?」
 ともだちよりもっと大きな存在になりたいとこんなに強く思ってる分際で、シラをきりとおせるほど嘘はうまくない。
 本当はわかってほしいけど、もうすこしこのままで。
「……じゃあ、そういうことにしておこうかな」
 矛盾した気持ちを見透かしたのかどうなのか、心臓がはねあがるくらい大好きな琥珀の瞳がわたしを射る。
「今日すっごく氷のコンディションいいんだ。もう1周、してみる?」
 長い人さし指でリンクを指し、ぐるっと円を描いて続ける。
「ちゃんと手、つないでるから」
 低いその声を聞いたら、きゅっと体温があがった気がして、右手で自分の耳に触れた。
 さっきリンクのうえで抱きとめられた時と同じくらい、熱を帯びた耳をさわりながら考える。
 答えなんて、もう決まってるのになぁ。
 あっさり高鳴る心臓が可笑しい。
 だってこんなにあなたが――。
「なんで笑ってんの?」
 覗きこんでくるカレルの顔も笑っていた。
 ――あなたのことが好きだから。
 今のところは、心の中、ひとりでそう答えるだけにしておく。
 かわりに首を振って言った。
「なんでもない。じゃ、戻りましょうか……ねえ、あと5周くらい滑ったら日本リーグからスカウトきちゃうかな、わたし?」
「……その時はシューティングコーチな」
 自分を指さして笑うカレルの声が リンクから届く歓声にかぶさって、ひときわ楽しそうに聞こえた。
 そこで、わたしたちはいっしょにベンチから立ちあがった。
 

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