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    「 理想の恋のこわしかた 」

SCENE 6 * 甘いオオカミ 2 *


 

 わたしが磁気カードを用意するのを待って、先に改札を通るよう促してくれた。
「……駅まで送る」
 早口でそう言って、それきりまた口をつぐむ。
 つらい思いをさせたのかな。わたしの放った一言で。
 たしかに、お兄さんが実業団の選手だったら、同じ夢をあきらめざるをえなかったひとにとってはつらいこともあるだろう。
 でもわたしが言いたかったのは、ゼロかパーフェクトかの二者択一じゃなくて、もっとちがう意味のことだったのに。
 そう思ったら、なんとかして気持ちの軌道修正をはかりたかった。
 降りる駅までの数十分のあいだ、並んでつり革につかまりながら、わたしたちは今日いちばん長い沈黙を抱えた。
 行楽帰りの家族連れ、楽しそうな学生たち、日曜も仕事モードのひとたち、電車の中はさまざまなひとであふれていた。
 ときおり窓ガラスにカレルの表情が映ったけれど、気持ちは読みとれないまま、電車はわたしの降りる駅のホームに滑りこんだ。
 カレルの家は反対方向だから、いったん降りなくちゃならない。ドアがあいてホームに降りたった時、どうしてもこのままにしておけなくて、腕に触れた。
 振り向いた彼に訊く。
「ねえ……ちょっといっしょに歩いてくれない? すぐ、そこまででいいから」
 いいよ、という声がすんなり返ってきて拍子抜けした。怒ってるわけじゃなさそうだった。
 ぱらぱらと散在する乗降客のあいだを縫って、並んで歩いた。
 改札を通りすぎ、ひとけのない裏道をゆく。あたりは夕暮れ時で、遠い空に太陽のしっぽが見えた。
「いつもこんな道を歩いて帰んの?」
 歩きだすと、カレルが訊いてきた。
「ううん、いつもは大通りを使ってる。弟といっしょに住んでるから、迎えにきてもらうことが多いかな」
「大事にされてるんだな」
「……そうかな。でも口答えばっかりでぜんぜん可愛くないよ」
「はは、可愛いきょうだいなんて絵に描いた理想だろ」
 口調はあっさりしてるけど、目が優しかった。
 4人きょうだいだと言ってた佐藤家も、だれかを駅まで迎えに行ったりだれかに口答えしたりしながら、それでもあたたかい家庭としてごく普通に機能しているんだろう。そんな気がした。
「わたし……カレルがリンクでシュート練習してるの見た時、本当にびっくりしたの」
 線路と道を隔てる金網に沿ってゆっくりと歩きながら、言葉を紡いだ。
 カレルは黙って聞いていた。
「あんな狭いゴールに吸いこまれるように、きれいにはいるもんだなあって。その時は交流試合を見る前だったから、純粋にカレルのことしか知らなかった。お兄さんも、ほかのだれも、比べる対象なんかいなかった。でもきれいだってことはわかった」
 電車の近づいてくる音が聞こえた。
「今日はじめてスティックを持って、自分でやってみてやっと気がついたの。いとも簡単に当たってるように見えるけど、やっぱりだれにでも簡単にできるようなことなんかじゃない。あなたはすごいひとなんだって。そういうふうに感じるのって、わたしだけじゃないと思う」
 そこで、足を止めた。カレルの足も止まる。
 近づいてくる電車の音がいちだんと大きくなった。
「けっこう注目されてたんだよ、ストラックアウト。だけどパーフェクトの時に、たとえ嬉しくてもどーんて前面にださないのがカレルのいいところで、それでも見てるひとはちゃんと見てると思う……でもこれって、もしかしてすっごく素人の意見なのかな」
 そこで、規則的な音を立てて、特急が通りすぎた。風にあおられた髪を右手でおさえる。
 電車の音はしだいに遠のいていった。
「……わたし、的外れなこと言ってる?」
 柔らかな色の瞳がわたしを射る。
「ねえ、教えて。かっこいいと思ったものをかっこいいと言って、なにが悪いの? あなたに惹かれたら、いけないの? わたし、どうしたら――」
 わたしの中にある熱をさぐるような視線を投げつけたあと、カレルは右手で金網をつかんだ。
 あいだに横たわっていた距離が、一気に縮まる。
 はっとして息を詰めた。
 かしゃん、と軽やかな音がして背中が金網に触れた。
 それで、もう後ろに進めなくなったと知る。
 すこし身をかがめてなおも近づいてくる大きな体躯に、反射的に目を閉じた。
 右手で金網をつかんだまま、カレルは左手首をわたしの頭と金網の間にすべりこませる。
 くちびるが重なった。
 言葉を発する時間もなかった。
 言えたところで結果は同じだっただろう。どこかでそう直感している自分がいた。
 軽く触れあわせるだけのキスじゃなく、すくいあげて抱きあげるような感情的なキス。
 しっかりしないと足ががくがくして立っていられない――こんなキス、いままでだれからもされたことがない。
 かなり切羽詰ってるはずなのに、頭の中でそんなことを考えた。
 線路を隔てた向こう側でひとの気配がする。夕闇にまぎれているけど、こちらの影が目にはいれば何をしているのかくらいは想像がつくだろう。
 セーターの胸においたこちらの両手にちからがはいったせいか、くちびるはそのままで体だけがわたしを気遣うようにいったん離れた。
 絶妙のタイミングで息継ぎをし、もういちど角度を変えてくちづけてくる。
 されるがままだった。
 片手で金網をつかみ、もう片方の手で髪をなでながら、どんどん領域を狭めてくる。わたしの体は今や金網に縫いつけられているのと同じだった。
 髪をなぞるように触れてくるカレルの指がふるえている。
 男のひともふるえるんだ、こういう時……そう思ったら、なんだか胸が痛くなった。
 そっと息継ぎをして、やっと突きあげるようなキスに流されずに踏みとどまる。
 わたしの呼吸が整って落ち着いてくると、カレルは右肩を落とした体勢からまっすぐになり、今度はゆっくりとたしかめるように触れるだけのキスをした。
 名残惜しそうにくちびるが離れた瞬間、どんな顔をすればいいのかわからなくて、赤くなった頬をうつむいて隠した。
 わたしの肩のうえに顔をふせたカレルの髪が頬をくすぐる。その体勢でため息をついたあと、両手でわたしの横の金網をつかみ、不意に両肩を揺らした。
「なんか、俺……すげぇ余裕ない感じ」
 自分で自分を笑っているらしい。吐息に合わせて肩が上下する。
「怒った?」
 ……自分からしてきたくせにそれはないでしょう。
「怒った」
「でも謝ったりしないぞ。あんなふうに言われたら男は単純だから誤解するだろ」
「まあ、じゃあ誤解するたびこんなキスしてるの。そっちのほうが問題ね」
「……ちがう」
 さっと顔をあげて覗きこんでくる瞳が探るようにわたしを見る。
「ちがうんだ。そうじゃなくて……よしのはいつも、もしかしたら俺はすげぇやつなんじゃないかって気分にさせてくれるから、こわいだけ」
「こわい?」
「そう。実際の俺が、思ってるよりずっとパッとしてなくてだめなやつだって知って……その、離れていかれたらどうしよう、って」
 ……まあ。
 思わず目を瞠る。
「パッとしてなくてだめなやつって……たとえばぜんぜん余裕なくて、めちゃくちゃ単純ですぐ誤解しちゃうようなひとのこと?」
「……ひでぇな」
 言いながら、降参、って感じで目じりがさがる。
「そんなことで離れていくと思ってるの? ほんとうに?」
 こめかみに落ちてきた髪を指先でそっと梳いてやる。まっすぐなわたしの髪とはちがう、毛先にわずかなクセのあるやわらかい髪だった。
「もう遅いのよ、カレル。だってこんなに、どうしようもないくらい――惹かれてるんだもの」
 目線がぐっと近づいた。体温がじかに伝わってくる。
「俺のこと誤解しててもいい。単純でどうしようもない男だって呆れてても構わない」
 琥珀を含んだやわらかな色の瞳がわたしを見て揺れた。
「会えない日は、よしののことばっかり考えてる。いっしょにいると、ほかのことがろくに考えられない。こんな気持ちになったのは初めてだ」
 きつく伸びているはずのカレルの眉が、いつもとちがう、しゅんとした形になった。
 鋭いシュートを放ってみせた時はオオカミみたいだと思ってたのに、今のまなざしに獰猛さはまるでない。その無防備な表情に、わたしの中のなにかが揺さぶられる。
「俺ずっと――よしのとこうなりたかった」
 決定的だった。どうしてわたしの名を口にするこのひとの声だけ、こんなに甘く響くんだろう。
 両手を伸ばし、首をかき寄せてキスをした。
 すくいあげ、絡めとり、長めの髪のあいだに指を入れる。
 言おうと思ったことを先に言われてしまっただけなのに、背筋がびりびりした。
 胸に収まっていなければ腰からくずおれてしまいそうだ。
 自由になったくちびるで目じりに触れ、そのまま耳元に持っていった。
「誤解なんかじゃないよ。わたしの心の中、見せてあげられたらいいのに……カレルにだけ」
 その言葉でスイッチが入ったように、痛いほどのちからで抱きしめられた。


 オオカミに咬まれてしまった。
 甘い、わたしだけのオオカミに。
 咬まれた心が、赤く疼く。
 その疼きを癒そうとして、わたしはもういちどカレルのうなじを引き寄せ、くちびるを求めた――。
 

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≪管理人のつぶやき≫
不器用な人ほど甘くなるという定理。よろしければ、感想などお待ちしていますネ。