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15

 

 ストライカーズには服装規定というものがない。
 部署によって背中にロゴの入ったジャケットなどを支給しているところもあるが、犯罪捜査に関わる捜査員のほとんどが動きやすい楽な格好をしているのが普通だ。
 それでも、特別任務課だけは別である。彼らはトラブルシューターズと呼ばれ、勤務中はおとり捜査以外スーツ着用を義務づけられていた。
 大統領から直接任命された捜査局長が率いる捜査局は、キュカリ全土に15の支局を持ち、国の中枢にあたるカムナギ州は6つの所轄によって区切られている。
 今、哲笙はカガド支局にあてがわれた自分のオフィスにいた。
 カガド市は1960年初頭まで首都だった大都市であり、そこで働く支局員たちはカムナギ州において中核部隊に相当する。
 蛍光灯を消したうす暗い室内には、いたるところに紙が散乱しており、アルミ製のキャビネットは半開きでファイルがはみだしている。壁には大判のコルクボードがかかっていて、一面に新聞記事やメモがピンでとめてあった。無造作にとめられたそれらの紙は、溢れかえって今や壁まで侵食しはじめている。
 机の上には、パソコンの青白く光るモニターとキイボード。そのわきに積みあげられたコーヒーの紙コップが、長い時間の経過をあらわしていた。
 ダークスーツのジャケットはとっくに放りだされて背後の本棚にひっかかっているし、久しぶりに結んだネクタイもゆるめられてのど元があらわになっている。哲笙は背中を弓なりに反らせて、けだるそうに椅子にもたれかかった。
 国立図書館のデータベースに収録された、新聞記事や雑誌などの定期刊行物にアクセスしていた。モニタの中に呼びだされた新聞記事の上で
、カーソルが戸惑ったようにまたたいている。
 クリムゾンの解雇、クウリュン市警部長補佐の心中事件、ファーイースタン・インシュアランス……いったい何の関係があるというのか。
 いくら考えてもつながりすら見えずに、哲笙はいらついて荒々しく椅子から立ちあがる。
 こんな手のこんだ回りくどいイタズラをするヤツの気がしれない。いやがらせなら、自分なんかよりもっと適任の政治家が腐るほどいるというのに。
 哲笙のつま先が、プラスティックのゴミ箱を派手にけとばした。ガコン、と味気ない音をたててそれは床に転がり、中身がちらかってあたりは一層雑然となった。
 かたづける気など初めからなく、コルクボードの前のコーヒーメーカーに歩みよる。すっかり冷めきったコーヒーを紙コップに注いでひとくち含みながら、ボードにとめられた記事の切りぬきをぼんやり眺めた。
 ――209条受理。
 唐突に目に飛びこんできたのはそんな単語だった。
 だいぶ前に受理された国際貿易に関する条約で、アジア先進国の通商産業省が提案したものだ。キュカリ国の通産大臣だった久下正禅が、その中枢に加わっていたのは言うまでもない。
 国際貿易。209条。条約受理。
 胸の内で反芻しながらコーヒーをすする。一瞬のできごとだった。
 頭のどこかに、まるで切りとられた写真の一部のような映像がわりこんできて、またたく間に消失した。フラッシュバックに似ていた。
 それはどこかで見た新聞の広告だった。新聞広告? 209条? はっとした。
 そういうことか。
 哲笙は再びイスに腰かけた。左手がマウスを握る。
 209条というのは確か――さっきどこかで関連記事を見たはずだ。検索をサブジェクトに合わせる。国際貿易とタイプするとしばらくしてリストがあらわれた。
 けれどもその数は多すぎて画面に収まりきらない。検索を209条だけにしぼる。さらに国内関連にせばめると、そのリストに上がったものは全部で11あった。
 哲笙の双眸が、ひとつひとつファイルをひらいて吟味してゆく。思った通りだった。
 輸入税を引き下げるかわりに、自国に流入してくる海外資本事業に関する規制を敷く。しかしその規制もある一定の年間業績を収めた事業にしか適応されず、したがって比較的規模の小さなものは流入に関してさほどチェックが厳しくないということになる。
 うまいかくれみのだ。なぜここに気づかなかったのだろう。
 逆を言えばこれは――中小規模の海外事業にスポットを当てた条約ということにならないだろうか?
 だから最近、海外資本の企業が新聞紙上をにぎわせているのだ。海外資本――ファーイースタン・インシュアランスも含まれている。
 哲笙はずらりと後援会社の並んだ新聞広告を思い出して、再び朝刊にカーソルを合わせた。
 そう考えながら見ていると、かなりひんぱんにこの種の広告が載せられていることに気づく。オフィス建設、エキスポ、コンサート、イベントアート。どれも企業のバックアップなしには成功しないものばかりだ。
 手当たりしだいにそれらの広告を見ながら、哲笙はふとあることに気がついた。後援会社のくみあわせにパターンがあるのだ。
 ひとつの広告に6つのバックアップがつくとしよう。この6つの会社のうち、4つまでが別の広告でも名をつらねている。
 ファーイースタン・インシュアランスの場合も例外ではない。高い確率で名前を並べる企業がいくつかある。
 ここに並んだ企業は――何か、例えば親会社が同じであるとか政治的派閥が同じだとか、横のつながりがあるということだろうか。
 親会社。スポンサーはどうだろう? 何でもいい、つながりを見つけるのだ。
 そう考え出すと矢も楯もたまらず、空腹も忘れて没頭した。
 時計の針がすれ違ったのは2度目まで覚えていた。
 その後に襲ってきたのは驚愕で、哲笙は自分がとんでもない間違いをしているのではないかと何度も確認するはめになった。
 けれどもその度に、彼の双眼はそれがほぼ真実であることをつきとめた。
 不意にカサリという紙をめくるような軽い音が聞こえた。だがプリントアウトの用意をしていた哲笙は、すぐにそちらへ視線を向けなかった。
 ドアには郵便物などの書類をさしこめるスリットがあいていて、ドアの内側にとりつけられた薄いプラスティックの箱に入るしくみになっているからだ。紙をめくるような音というのは、誰かがそのスリットに何かを落としていった音である。
 集めたデータをプリントアウトしながら、哲笙は閉めてあったドアに進んだ。黒い箱の中に収まっていた茶封筒をつまみ上げ、中身を確かめる。とたんに鼓動がはやまった。
 あわててドアを開ける。
 すでに真夜中近い廊下に人影はなかった。それでも構わず飛びだしてゆく。
 無人の廊下をかける、哲笙の足音が壁にはねかえってかすかにこだました。角を曲がっても誰も見当たらない。なぜすぐ確かめなかったのかと思わず壁を打つ音だけが、その場に虚しくひびいた。

 

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 パシフィック・キャスルは、キュカリでも5指に入るハイランクのホテルである。利用客も海外要人から資産家、実業家、著名人などさまざまで、警備網のしっかりしたことで有名だ。
 その一室で、トラブルシューターたちはテーブルを囲んでいた。
 インテリを気どるクリムゾンの連中と違って、煙草のけむりの絶える間がない。肺ガンにでもなって命をちぢめられるなら儲けもの、といった風情だ。
 同僚のカルティニが、8つ切り判のモノクロ写真をテーブルの上に置いて訊く。
「これ、分析課にまわしてみたのか」
「もちろん。ヤツらをたたき起こして分析させ、その足で来た。合成もCGも、細工は何も使われてないそうだ」
 カルティニはため息とともに軽く首を振って、たった今哲笙が広げたひとつの途方もない仮説に、すくなからず衝撃を受けていることを示した。
 他の同僚も、それぞれ頭の中で具体的な図式を組み立てようとしているのは見てとれた。
「確かにつじつまは合ってるようだが……言ってることがでかすぎる」
「本当だとしたら俺たちの手にすら余るぞ、哲笙」
 哲笙はゆっくりと目を伏せた。
「情報提供者が最初に送ってきた雑誌記事は、この仮説にどう結びつく?」
「解雇されたクリムゾン職員は国の目をくらますためのもので、真実は別のところにあるとも考えられる」
「……そうだな、あの事件も最初から洗い直してみる必要があるな」
「これが真実なら、キュカリ始まって以来のスキャンダルになるぞ」
「そこまでして、メナンデス局長はいったい何をたくらんでるっていうんだ?」
 同僚たちの言葉に瞳を上げて哲笙が言う。
「――それを今から暴いてやるのさ。俺は、クリムゾンに入る」

 

 

 ただ局長に会いたいといっても、そう簡単に通してもらえないのがクリムゾンの玄関である。
 しかし、元職員だった哲笙にはいくつかのコネクションがあった。官房室の比嘉田霞月に連絡をとると、すぐ上に打診してくれた。メナンデス局長は来月初めに日本を訪問する予定なので、その1週間前までなら空いているという。
 哲笙は数名の同僚をともなって面会の予約を入れることに成功した。霞月に連絡してから2日――異例の早さである。
 すぐに、哲笙を含めた4人のトラブルシューターでチームが構成された。
「クリムゾンもストライカーズもやってることは大して変わらないのに、どうしてこう……敵陣に乗り込むような気がするんだ」
 ホルスターのブローニングを確かめながらそうぼやくカルティニに、哲笙は答える。
「クライアントが違うからさ。やつらの依頼人は大統領だけど、俺たちの場合は国民だ。この国を象徴してるのがたったひとりと見るか、それともひとりひとりがモザイクのように国を形づくっていると見るか……その違いだ」
 そういう意味では情報調査局も捜査局も、依頼人の違う同業者。どちらが正しいという類のことではない。これは価値観の問題なのだ。
 自分が選んだのは後者だった。やはり政治家には、どこか馴染めないようにできているらしい。
 そこで哲笙のスマートフォンが振動した。ディスプレイにあらわれた名前は紀柾。
「……ちょうどよかった、今からそっちへ行く」
 それだけ勝手に告げて、通話を切る。
 すぐにドアをあけて紀柾たちの部屋に向かう。セキュリティは哲笙を確かめてから内側へ通した。部屋にいた紀柾、紗宗、藤女、波葉の4人が振り向く。
「このホテル内でのことはすべてチーフの黄にまかせたから、何かあったら彼を頼れ」
「何かあったらって?」
「どこか行くのか」
 藤女と紀柾が同時に訊いた。
「身内が絡んでるんで本来なら外れるべき立場だが、まあいろいろと使われてるんだ」
 それを聞いて、紗宗が確認をとるようにたずねた。
「まさか……クリムゾンですか?」
 一呼吸の空白があった。
 黙ったままの哲笙とは逆に、他の者は狼狽した様子で紗宗を見ていた。
「市警察の周りでも不穏な動きがあって気がついたんです。どうやら今回の件には大きな権力が噛んでるらしいって」
「親父を殺したのもやつらなのか? どうしてクリムゾンが俺たちの命を狙う必要があるんだ?」
 すぐには答えない兄を見て、紀柾は再び口をひらく。
「答えろよ。どうせもう思いきり狙われてるんだから、知ってても知らなくても同じだぜ。むこうはとっくに俺たちを殺すことにしてるんだろ。何も知らないなら見逃してやろうなんて考えるほど鷹揚な人種じゃないはずだ」
「キショウ、それは……」
 言い終わる前にスマートフォンが振動したので、哲笙は席を立つと通話スイッチをタップした。
『哲笙? 私よ』
 美凪だった。大丈夫だ、という意味も含めて部屋にいるセキュリティにうなずいてみせる。
『ちょっとこっちまで来てもらえないかしら』
「急用ですか」
『ここへ来る時に金庫の中身も持ってきたんだけど……さっき整理してたら妙なものが見つかったの』
「何です?」
『――鍵なの』
 それを聞いて彼は眉根をよせた。すぐに行くと告げて、通話を切る。
「捜査の途中で来た、続きは帰ってからだ」
 部屋の中央の紀柾たちを振り返って言い、そのままドアへ向かう哲笙を追いかけるように藤女がイスから立ちあがった。
「待てよ、哲笙。クリムゾンへ行くって、何するつもりなんだ」
「俺は捜査中の身だ。少し放っておいてくれないか」
 部屋を出ながらそう言われて、彼女は不満そうな表情を作った。
「あんたの身を心配して言ってるんだぞ」
「そんなこと頼んだ覚えはないぞ、親切の押しつけはただのおせっかいと同じだな」
「おせっかいだと?……その高慢な口のききかたは何とかならないのか」
 声のトーンが変わっていた。
 とっさに立ちあがりかけた紗宗の腕を強く引いて、波葉は何とか彼をなだめるのに成功する。哲笙はそれを見て軽くため息をつくと、藤女と共に廊下にでてドアを閉めた。

 

 

「まったく、君を見てると高慢にもなるさ……どうして俺にばかり、そう食ってかかる? たまには素直に従ったらどうなんだ」
「哲笙が理屈でねじふせようとするからだろ。あたしは、そういうふうに分析されるのが大嫌いなんだよ。それに食ってかかってるわけじゃない」
 黒曜石のような瞳が、哲笙を見据える。
「自分の好きなひとだから気になるんだ」
「わかったわかった。頼むからでかい声でそんなこと言うな。誰かに聞かれたらどうするつもりなんだ」
 てのひらで藤女の口を押さえ、哲笙は諭すようにそう言った。その手はすぐに振り払われた。
「『誰かに聞かれたら』? 好きだと言ってるのはあたしのほうなんだぞ、どうしておまえがまわりなんか気にすることがあるのさ? だいたい、ひとから好意を寄せられることが人間としてどんなに意義のあることか理解できないなんて、哲笙はどうかしてる」
 どうかしている……。
 その一言に、胸を衝かれた気がした。
「あたしは遊びでこんなこと言ってるんじゃない。迷惑なら迷惑だとハッキリそう言えばいいじゃないか。他人の目を理由に、まわりくどいことを言ってるのは哲笙のほうだ。そうやって、いつまでもあたしをだませるとでも思ってるのか?」
 訊かれて、哲笙の手が止まる。
「あたしは、ひとの目ばかり気にして好きなものも好きだと言えないような人生送るのはごめんなんだ。どんなに世間から認められてても、打算だけで感情が殺せると思うなよ!」
 返す言葉は何も見つからなかった。不思議と怒りはなかった。
 そうだったのか、と珍しく揺らぎだした自信のたて直しかたを探しながら、涙も流さず悲鳴をあげるひとを初めて目の当たりにしたと思った。
 他人から好意を寄せられることが、どんなに素晴らしいことかわからないなんて、心がどうかしている――。
 モリノとの結婚が決まった頃の自分を思い出して、そういえばあんなふうに雲の上を歩くような気持ちは、離婚という名の網にすくいとられていたんだな、と改めて気がついた。
 どうしてこんな女がいるんだろう。
 それが哲笙の正直な感情だった。
 自分の価値観だと思っていたものが世間の価値観とすりかわり、いつの間にか意志さえ埋没して見えなくなった。頂点を極めることが自分の欲望だと思っていたのに、真実はそうではなかった。
 いつもいらついて、とうてい自分を好きになどなれなかったのはそのためだ。抑制のきく性格が、自我までも押さえ込んでいたのかもしれない。
 だから。
 だから――その留め金を外そうとした藤女には、あんなに簡単に感情が流されたのだ。
 なんて女だ。そう思ったとたんに表情がゆるんだ。まっすぐに彼女の目を見ることができなくて、視線が足元をはい回る。
「君には、参るよ――」
 頭が下がるというのはこういうことか、と感じながら左手が藤女のもたれている壁に伸びた。
 二人の距離が縮まる。
「いつでも勝手に踏みこんできて、俺をふりまわして……そのくせどこか凛然としてる。不思議なひとだ」
「男のひとはみんなそんなことを言う」
「俺は君みたいな女には口説かれない。ぜったいにうまくいかないのがわかってるからな」
 今までつきあってきたどの女にもない、気の強さと瞳の美しさ。藤女はその透明な瞳で哲笙を見つめると、少年とも思える声で言った。
「うまくいかないなら、うまくいくようにすればいい。そんなことでくじけるようならここまで関わったりしない」
「自信家な女も嫌いだ、扱いにくくて思いきりが悪い。女なんて星の数ほどいるんだ、何を理由に君みたいな女を選ぶものか。これだけは言っておく……俺は、一生君に惚れたりしない」
「結構だね。ここで好きだなんて言われちゃ、簡単すぎてつまらないからな」
 哲笙はそれを聞いてさっさと背をむけた。歩きながら心の奥で毒づく。
 負けず嫌いが。あとで泣きごとを言うなよ。
 その言葉を反芻して、あとのことを考えている自分に可笑しくなった。
 どうやら俺は、本当に――どうかしているらしい。

 

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