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17

 

 比嘉田霞月は、今までと同じように笑顔を浮かべてそこに立っていた。
 いつもと違うのは、その右手に握られた拳銃が哲笙に向いているということだけだ。
「どうしたんだ、さすがのおまえも唖然としてるのが俺にもわかるぞ?」
 それが可笑しくてたまらない、というように霞月はのどを鳴らした。
「無理もないだろう。おまえは訓練生時代からの親しい友人だったんだから」
 自分の椅子に背中をあずけて、ホルヘ・メナンデスがそうあとをつないだ。とたんに哲笙は両肩に重みが加わるのを感じた。危殆を含んだ重さだった。
「……おまえの、しわざか? 最初から」
 何から訊いていいのか判らなかった。すべての出来事が頭の中を無秩序にうず巻いて、言葉は途中が抜け落ちたようになる。
 霞月が軽く首を振った。
「おまえの弟のアパートを襲ったのは違うぞ。あれは幸運にも局長が別に手配してたんだ。もし任されてたら、おまえ相手に俺だってどこまでやれたか自信はない」
「親父と麻名城は?」
「秘書と運転手は苦しまなかったはずだが、大臣には悪いことをしたよ。きちんと心の臓を狙ってさしあげればよかったな」
「きさま――!」
 哲笙のかかとが床を蹴った。
「あの至近距離で、おまえが急所をはずすわけないだろうが。初めから肺を狙ってやがったくせに!」
「おい、これが見えてるんだったらそれ以上近づくな」
 右手を伸ばして霞月が銃を向ける。その先端には消音器がついていた。
 一瞬、哲笙の動きが止まる。霞月は続けた。
「銃を床に置いて、足で窓のほうへ蹴るんだ」
 慎重な動作で腰のホルスターから自分のオフィサーズ46を抜き出し、床に置く。それを靴の先で蹴とばしながら、彼を睨みつけた。
「いつから局長のイヌに成り下がった?」
 聞いたとたんに、霞月が鼻を鳴らしてメナンデスを見た。顎をしゃくって、メナンデスは続けろと彼を促してやる。
「威勢のいい台詞だな。ここへ来てそんなことをほざくからには、何か心当たりがあるんだろう?」
「おまえほどじゃないよ、霞月。俺の質問が先だ、答えろ」
 初めて霞月の表情が気色ばむ。しかしすぐ小さく頭を振った。
 気を鎮めるように薄いくちびるをつりあげ、気味が悪いほどゆっくりとした動作でデスクに体をもたせかけると、霞月は口を開いた。
「他でもないおまえだ。聞かせてやるとするか」

 

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 ――9年前、比嘉田霞月は私立大学を卒業してアカデミーと呼ばれる国際情報調査局の訓練校に入った。
 アカデミーには、親が軍人であるとか政府に関わる仕事をしているからという理由で入校する者もいたが、霞月のように冒険を求めてやってくる好奇心旺盛な若者も大勢いた。
 全寮制のこの訓練校では、情報調査から護衛に関わることまですべてのクラスが開かれている。
 こういう私設の訓練校につきものの陰気くさい雰囲気はあまりなく、訓練生たちは若く血気盛んで、ハメを外しすぎて問題を起こし退校になる者すらいるくらいだったから、ちょっと様子を見ただけでは普通の大学か大学院の生徒たちと変わらなかった。
 もっとも、アカデミーでは60点以下は赤点とされており、ひとつでも単位を落とすと退校になるので、真面目に勉強しないとさっさと振り落とされる厳しいところではあったが。
 半年に渡る課程も終わりに近づくと、訓練生は希望する部署を決めなければならない。
 霞月は迷わず作戦部を希望した。射撃の腕を考えると護衛部も決して悪い配属先ではなかったが、大統領や政治家をまもる立場よりも、情報提供者を操作しながら極秘任務につくほうが彼の興味をひいた。
 作戦部は海外勤務者がほとんどを占めているが、国内にいる外国人スパイを操る者もいる。霞月は2年ほど中東へ赴任して、その後、国内勤務にあてられた。
 4年が過ぎ、彼はのちにクリムゾンの命運を分けることとなった、ある任務に関わることになった。
 北米のある大企業の調査室から派遣された者が、市場で争っているキュカリ大手の石油会社を統括する玉城グループを脅しているという。
 当時玉城グループは、中東のある一国が着手しだした新鉱区に目をつけていた。その地域から石油が採掘される可能性は極めて高く、各国の資本家たちは何とかして新鉱区を落札しようと躍起になっていた。
 そこで玉城は政界に揺さぶりをかけ、クリムゾンを動かしてくれるよう頼んだ。クリムゾンを利用すれば、相手国の情勢を探るだけでなく、落札に必要な条件さえつかむことができるからだ。
 ところが事情を知った北米側が、民間の調査員を使うならまだしも、政府の管轄である調査局自ら指揮をとるのは公平ではないと言いだした。今すぐに手を引かなければ、北米での玉城の事業に圧力をかける、と訴える準備まで見せはじめる。
 ことが公になると、それぞれの国にも影響が出るのは明らかなので、要求をのむなら穏便に済ませると言う。玉城側は、政治家の間でも極秘に扱われてきたこの計画がもれたのはスパイがいるからだと主張し、クリムゾンに内密にとり押さえて欲しいと頼んだ。
 それで霞月は早急に、外国企業に情報を提供している者に近づくことになったのだ。霞月の他にも何人か作戦部職員が同じ任務を任されていたが、彼らは身元を隠されていたので互いに素性を知らされていなかった。
 言いかえれば任務は個人で遂行されており、これがのちに悲劇の発端となった。 




 クリムゾンは、以前から外国企業とつながりのある情報提供者の身辺調査に力を入れていた。
 誰でもスパイになれるわけではない。情報がいちばん高くつくのは、国や世界を動かす大企業の中枢にいる者か過去に関わっていた者、あるいは彼らに近づける者――。
 褐色の肌に漆黒の長い髪を持つクローディア・アハマットは、この最後のカテゴリーに属していた。
 QTS(Qucali Telecommunication Services)に勤める彼女の帰り道で、霞月は偽装のギプスをはめたままアクシデントを装い、買い物帰りの紙袋を路上にぶちまけた。
 片腕を怪我しているのでうまく拾えないことがわかると、クローディアは仕方なくという感じで手伝ってくれた。霞月はその時路上にわざと財布を広げておき、自分と恋人らしき女性の写っている写真を彼女に見せることに成功した。
 彼はどこから見ても恋人のいる普通の若い男そのものだった。これが孤独な独り者なら、必要以上に親しくなるのを避けようと彼女もそっけない態度をとったかもしれない。
 だが、明朗で幸せそうな彼は不必要に若い女性に関心を示したりせず、それがクローディアの警戒心を解くカギとなった。
 それからしばらくして、霞月は偶然をよそおい2度目の接近を試みた。そこで、恋人とは別れたばかりで落ちこんでいるということを口走り、わざと素っ気ないそぶりで去る。そうすることによって、クローディアの心に霞月を印象づけるためだ。
 だから、3度目に会うのはもはや偶然でなくても構わなかった。霞月は彼女に好意を寄せていることを婉曲に伝え、また会う約束をした。
 霞月は偽名を使い、肉親はすでになくこの街でコンピューター関係のセールスマンをしていると話した。
 むろん、すべてクリムゾンから手配された完全なシナリオだから、もしクローディアが彼の素性を探ろうとしても同じ答えにたどり着くはずだった。
 実際、彼はこの任務を目的としてクリムゾンからコンピューター会社に送り込まれた、事実上は本物のセールスマンだったのだから。しかしその事実を知るのはクリムゾンでの彼の上司だけである。
 はた目には、霞月とクローディアのふたりはごく普通の恋愛をしているように見えたはずだった。霞月にしても、美しい彼女とかけひきなしに恋愛できたらどんなに楽しいだろうと一度ならず夢見た。
 けれど美しいばかりでなく彼女は聡明でもあった。
 クローディアのアパートにしかけた盗聴器は彼女にかかってくる電話の内容をひとつ残らず伝え、コンセントのネジの穴に取りつけた広角レンズつきのカメラは彼女の行動をすべて見守っていた。
 クローディアはQTS職員という肩書を利用して外務大臣の自宅とオフィスの電話を盗聴し、北米の諜報部員に情報を売っていた――スパイだったのだ。




 運命は、思いがけない形で訪れた。
 霞月とは面識のなかったクリムゾンの職員が、先に北米側の派遣調査員にコンタクトをとってしまったことが発端だった。調査員はすぐさま自分の情報提供者を解雇し、証拠を抹消した。何も知らされぬまま解雇になったクローディアは、それ以後当然警戒するようになる。
 そしてある日、ほんの出来心で入り込んだ霞月のコンピューター回線から、思わぬ事実を突き止めてしまう。
 彼のアクセスしている回線は、すべて『009』で始まる電話番号。電話帳のどこにも載っていないが、電話局に勤める者ならその意味を知っている。
 これは、国の特別行政地区につけられるエリア・コードだ。
 特別行政地区――。クリムゾンという言葉が彼女の頭に浮かんだ。
 クローディアにとって、他人のコンピューターに侵入するのはそれほど厄介なことではなかった。パスワードでなく暗証番号だけでアクセスできる機密文書なら、解除できる違法のソフトウェアを持っているからだ。
 クリムゾンともあろうものが、6ケタの暗証番号だけでアクセスさせるなんて、簡単すぎる。
 ほんの少しそう思ったが、恋人と呼べる男が何をしているのか知りたい好奇心のほうが強かった。
 逆探知されていると気がついたのは、霞月のファイルを開いてだいぶたってからだった。クローディアはすぐに自分のパソコンのスイッチを切ったが、膝が勝手に震えだし、知らず知らずのうちに涙がこぼれた。
 逃げよう。
 とっさに思いついたことはそれだけだった。けれど、荷物をまとめ始めたところへひょっこりとあらわれた霞月を見て、彼女の心臓は止まりそうになる。
 悟られてはいけない。隙を見て逃げるのだ。彼女は自分にそう言い聞かせた。
 霞月の態度は普段と変わらなかった。だから、クローディアはその間際まで、恋人の本性を知らなかったことになる。
 クリムゾンは調査局である。彼らには表面上、法律を施行する権利はない。暗殺行為にしても同じだった。しかし、職員が身につけた技術を見れば、それはただの建前だということが瞭然である。建前をうまく利用すれば、裏に潜む真実を隠せないわけではない。
 まして、クローディアは国の情報を外国企業に売っていたスパイである。反逆罪で突き出すこともできる罪人を、警察に首をはさませず巧妙に細工して抹消するのは、調査局の得意とするところだ。
 当然クローディアはそのことを知っていた。だから逃げたのだ。
 そして――助けを求めて飛び込んだ電話ボックスで、追って来た霞月に射殺された。




 クリムゾンに於いて、機密情報を洩らすということはその意志の有無にかかわらず重罪である。
 仮にそれが理由で追い出されるとすれば、一生目に見えない烙印を押されて生きることを意味していた。自己破産などと違って時効のないそれは、記録となって行く先々で霞月の身上調査書に載ることになるのだ。
 そんな時に手を差し伸べてきたのがメナンデスだった。当時人事課の責任者だった彼は、霞月と関わった作戦部職員に圧力をかけ、彼がクリムゾンにいられるよう取り計らった。
 メナンデスにしても、クリムゾンが丹精込めて育て上げた職員を、たった一度の過ちで手放してしまうのには抵抗があったのだ。
 結局、中東の新石油鉱区落札は他国の手に渡り、クリムゾンには過去最大の汚点が残った。
 その後、大統領が変わると同時にメナンデスは局長に就任し、霞月は官房室に入ることになった――。

 

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