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18

 

「なあ、教えてくれよ」
 霞月は哲笙を見据えて言った。
「大統領のためなら人殺しもできるおまえと、反逆者を処刑した俺と、どっちが本当の愛国者なのか」
 氷のように尖った声とは裏腹に、哀しい笛の音を思わせる問いかけだった。
 その行く先で待っている答えを知っているのかいないのか、霞月の表情を冷めた微笑が彩ってゆく。それを見つめながら、哲笙は頭の裏で過去をふりかえっていた。
 クリムゾンのアカデミーに入って最初に教えられることと、愛国主義の果てに過激派に変わってゆくテロリストの間には、薄っぺらな紙一枚しか隔てるものがない。極端な正義感は、いつの世も動乱を引き起こす。
 まず国民の上に立つことを考えろとたたき込まれた時、クリムゾンの中に役人の匂いを感じた。
 権力との一体感、エリートじみた優越感、その裏に潜む、まったく別の罪悪感―― あの罪悪感こそが壁となるはずなのだ。自分たちに、法律を施行する権利などないと。
 そのバランスが崩れた霞月は過激派になり、罪悪感に堪えきれなくなった哲笙は捜査局に転身した。
 再び霞月が口をひらいた。
「ここはクリムゾンの中枢を握る〈陰の司令室〉だからな、局長と頻繁に会っていても会話がすべてオフレコになっていても、誰も文句は言わん。キュカリ国際情報調査局は、外からの介入に関して世界有数の強固さを誇っているが、その障壁の内部からは簡単に操れるってことだな」
「おめでたい上の連中は、おまえみたいな同胞が国を裏切るとは夢にも思っていないからさ。209条汚職にまで関わって、アジアをすべて敵に回したのと同じことだ」
「へえ……もうそこまでバレたか。早いものだな」
 霞月は局長のデスクに腰かけたが、銃口は吸いついたように哲笙から離れなかった。
 険しい表情のまま哲笙が続ける。
「厚かましい者ほど悪知恵に働く頭があるってわけだな、胡ウー一族に目をつけるとはね」
 メナンデスの口角がぴくりと動いた。
「華僑社会のトップに立つ胡ファミリーだよ。彼らは、キュカリだけでなく世界中に散らばって、莫大な数の傘下企業を持っている。一説には政界とも強い絆を作り、国を操ることも可能だといわれてるらしいが……」
 今回の一連の事件を語る時、哲笙はこの胡一族も重要な位置を受け持っていることに気がついた。

 


 中国、日本、韓国、タイ、シンガポール、キュカリといった顔触れで、209条の取り決めが成され、理事はキュカリの手に委ねられた。
 これは海外資本の中小企業に有利なように制定され、急成長を続けているたくさんのアジア資本の企業にかげながら富が流れ込むしくみになっている。
 国内でも流通が潤い、企業たちは結束して多岐に渡るイベントを支えはじめた。その企業の背後を探ってみると、やがてキュカリでも大手の財団の姿が浮き彫りになってくる。それが胡一族だった。
 ここで、すべての鍵を握るひとりの人物が浮かび上がってくる。胡一族とも関わりを持ちかなり幅広く権力を携えている者だ。
 仮に、この人物が通産大臣をそそのかして――過去に関わった不正などを暴くなどと脅して――条約の取り決めをすすめたとする。それによって傘下企業を成長させ、胡一族はますます強大になってゆく。
 そうして計画が軌道に乗ってくると、次に彼は邪魔な通産大臣の生命を奪った。大臣は多分おぼろげながら真相を知っていたのだろう。秘密が洩れるのを恐れて家族の命も狙われた。
 同時に、以前から「見えない情報提供者」が哲笙をサポートしていた。顔も名前も明かさないこの人物が送ってよこしたヒントのうち二つは、この仮説を組み立てるジョイントの役目となった。
 ひとつはクウリュン市警察部長補佐の事件。
 彼の長女はファーイースタン・インシュアランスに勤務していた。この保険会社は胡一族の傘下企業であり、彼女が配属とほとんど同時に幹部クラスの職を得ていたり、部長補佐の預金口座額が最近かなり増えていたことを考慮すれば、かげで何らかの手配がされていたのは明らかである。
 そういうものと引きかえに、彼は市警のコンピューターに入り込み操作を加えた。こうして前科を消された者たちが、通産大臣の次男である紀柾のアパートに忍び込んだ。目撃者がいない場合、前科のない人物はそれだけで検挙に時間がかかる。
 しかし彼らはたまたま哲笙が紀柾のアパートにいたことを知らず、計画はすべて失敗に終わった。部長補佐とその家族は口止めのために殺されたことになる。
 二つめのヒントはもっと衝撃的だった。
 それは写真を複写したもので、そこには幾人かのセキュリティに囲まれて二人の大物が写っていた。丁寧にも胸から上を丸で囲んである。
 一人は代々胡一族の長についている側近、それもかなり上層の者。そしてそのあとに続くようにして写っていたのは――クリムゾン局長、メナンデスだった。
 写真は背景の一部に建物が見える。二重構造が施されたその建物を、哲笙が見間違えるはずはない。
 これは二人がクリムゾン本部から出てくる瞬間なのだ。胡一族とはいえ、民間人があの厳しい警戒網の中を敷地に踏みこむには官房室から許可がいる。局長自ら出局につきあうなら、それなりの関係があるということだ。
 多分、敷地内だからある程度安心してこういう行動に出たのだろう。
 ということは、この写真を撮った人物はクリムゾンに勤めている者の可能性が高い。哲笙は密かに、内部にスパイがいるのかもしれないと考えていた――。

 


「……おまえが思ってたより、あの大臣はあくどかったぜ。賄賂を受け取ってたことをネタにゆすっても、簡単に首を縦には振らなかった。不正をもみ消すのには手慣れていたらしいが、クリムゾンが相手じゃそういうわけにもいかないと判ったんだろう。すげえ条件を言い出しやがった」
 その時の情景を思い出したのか、霞月は愉悦の声を洩らした。
「209条汚職の片棒担ぐかわり、おまえをクリムゾンから追い出せ、とね」 
 聞いたとたんに身体がカッと熱くなった。
 なんてことだ。力一杯手を握りしめたまま、哲笙は息をのむ。
「あのままクリムゾンにいたら引き込まれると思ったんだろうな。俺としても、おまえほど才知のある男なら利用価値があると考えてたから、先手を打たれたってわけだ。それで、おまえはめでたく反逆者よばわりされることになったのさ。覚悟はできてるよな」
 これがあの友なのだろうか、という気持ちが胸をかすめた。目を閉じれば、瞬く間に何年も前の思い出が鮮やかによみがえるというのに……。
 あの頃は射撃の腕を競い、夜を明かして学科試験に備え、互いに助けあった同志だった。無類の読書好きだった霞月に影響されて、専門書しかなかった哲笙の本棚にも彼からゆずり受けた文学書が並ぶようになった。
 少々先走りすぎるところはあったが、自分の知らない分野に関して目を瞠るような情報を持っている霞月を、哲笙は全面的に信頼し友人としてあわく尊敬もしていた。
 それとも自分が見ていたあの彼は本当の霞月でなく、いま目の前にいるのが真実の姿なのだろうか。
 もはやどちらでもいいことだった。
 霞月が自分に銃口を向けている。瞳が映しだすものはそれだけであり、額の裏側で危険を知らせる何かがさかんに点滅していた。
 こいつは敵だ、と――。
 それが真実だった。真実は鋭い光の矢となって、まっすぐ心臓を突き射してくる。その眩しさと痛みに目を細めながら、哲笙はノスタルジックな感情より自分の双眼を信じることに決めた。
「反逆者で何が悪い? 封建的な権威に従ってばかりで、統率者の一声で罪を犯すような派閥に加わったおまえの言えることじゃない。クリムゾンは根本から腐ってることが判らないのか」
「偉そうな口をたたくな。世の中どこも腐ってんだよ、アメリカも日本もロシアも、外面だけは大国で中身は空洞だ。キュカリが世界を操ったって文句はいえない立場だぜ」
「……キュカリが、何だと?」
 声が硬くなった。霞月の後方に座っていたメナンデスに目を向ける。
「答えろよ! 貴様、何をたくらんでやがる」
 それまで黙って二人のやりとりを聞いていたメナンデスは、ひとりがけの大きなイスから笑みを投げた。
「たくらんでいるんじゃない、これは育成なのさ。クリムゾンはもうすでに私の手の中にある。あとはそれを〈楽園〉に育てあげるのみ」
「楽園?」
 抽象的な言葉を吟味するように繰り返す。
「世界中を見回してみたまえ。争いのない平和な国が理想だといっても、それを実現させるだけの経済力と人材を備えた国は数えるほどしかない」
 メナンデスは、優雅に両肘をデスクについて話を続けた。
「わが国は経済力もさることながら、統率された軍を持ち、欧米諸国にもひけをとらない情報機関さえ携えている。クリムゾンの情報収集能力は世界有数だ。職員の質もいい。ここにもし、莫大な予算が組みこまれれば世界の法律施行機関にもなりえる。だがクリムゾンの暴走を恐れている大統領は、そんなことをやすやすと許可しないだろう。それで私は胡一族に国際情報の一部を売却して、資金援助を申し込んだ」
「……世界各国の機密をリークしたということか」
「そうだ」
 そのひとことを聞いて二人の間に沈黙が落ちた。
 世界の情報を手に入れること――それは胡一族にとって世界を牛耳る第一歩とならないか。
 情勢をどこよりも早く仕入れ、経済界の動きを読むことが、国際ビジネスに関わる者にとってどれほど重要かは周知の事実である。クリムゾンの力を持てば、それも可能なのだ。
「幸い、情報収集に長けるということは情報を消すことも堪能という意味だから、政府に出す報告書のつじつまを合わせるぐらいはお手のものだった……そうしてクリムゾンを最強の組織へと育てつつ、まずはアジア支配から手を染めた。北京からジャカルタまで、どの国の政府にも情報提供者を抱えている。彼らはいわば、アンテナだ。今やアジアは、完全に私の手の中にあるのだ」
 メナンデスは立ちあがって緩やかに両腕を広げた。そのしぐさはまるで、何百何千という観衆を前にした演説者だ。
「〈楽園〉の真の意味は世界規模まで広めることにあるから、欧米諸国にもすでに打診はすませてある。クリムゾンの海外支局はここ3年で倍に膨れた。集められた情報のおかげで各国の間はますます縮まり、遠く離れた国の元首が眠る時に使う夜具の模様までわかるようになった。その首を掻くのもつけたままにしておくのも、私の一存ということだ。〈楽園〉とは――クリムゾンによって統一されるこの世界を示している」
「ふざけるな、クリムゾンの目的は集めた情報を分析して大統領に報告することだ。その情報を使って勝手に他国をあやつる権限なんてない」
「他国を操ることが、ひいては世界統一につながるんだとしたら? ムダな争いをやめさせ反逆者を消して、皆が同じ思想を持つようにしむけた先に平和がやってくるかもしれないのに、それでも君はまだ同じことが言えるかね?」
「ひとの心を満たすものの基盤にあるのが自由だと知らない人間に、平和なんか実現できやしない。国民と大統領をあざむいて打ち立てるのがおまえの言う平和か」
「私はあざむいてない! 君は……もっと頭のいい男だと思っていたが、父親よりもの判りが悪いな。〈楽園〉はもうすぐそこにあるというのに。クリムゾンの能力を駆使すれば、私の計画は実現するんだ。必ず実現するんだ、必ずな。世界の平和は私のものになるんだ」
 メナンデスの瞳はもう何も映していなかった。彼が見つめているのは、楽園という名の透き通った虚偽だ。
「――あんたは、狂ってる。夢と現実の区別もつかなくなったか」
 やっと言いたいことが見つかったように、哲笙はそう吐き捨てた。言うべきことはそれだけだった。
 霞月がスライドを動かす軽い音がした。
 怒りで顔を赤黒く染めているメナンデスから目をそらし、反射的に霞月を見る。
「……いつも冷めた目をして理路整然と言葉を並べやがる。俺はてめえのそういうところが大嫌いだったよ、久下」
「おまえほどの男が真実を見極められないはずがない。甘い言葉にのせられるな、霞月」
 もはや友の耳まで届くはずもなかった。
「その優等生ヅラのおかげで、敵が何倍にも増えることになる。真っ向から対立するならまだしも、抜け目なく器用に立ち回ることに関しちゃベテランだからな。俺は昔から……そんなおまえが窮地に立たされるところを一度見てみたかった」
 右手をまっすぐ伸ばし、ピタリと銃口を定めてくる霞月の瞳は、戦慄が走るほど隙がない。ほんの一瞬、恐怖が脊髄をつらぬいた。霞月はあとを続けた。
「おまえが、苦しげにひざまずいて許しを請うところを拝んでみたかった。今やっとそのチャンスがめぐってきたってわけだ」
 本気だ。
 とっさにそう思った。目を見ればわかる。こいつは本気で俺を殺すつもりだ。
 心の中でささやいた次の瞬間、ビシッ、と肉を裂く音がして上体が大きく揺れた。
 霞月の発した弾丸が右手の甲を貫通していた。あっという間に右手が鮮血で赤く染まってゆく。痛みはあとから這いあがってきた。
「局長、じゅうたんを少し汚しますよ」
 さらりとそんなことを言って、再び霞月がひきがねを引く。2発目は右の二の腕に当たった。
 今度は紛れもない激痛が身体中を稲妻のようにかけぬけた。痛みで視界が歪み、四肢を踏んばると呼吸が乱れて、口から荒い息がもれる。
「痛いか? 痛かったらそう叫べよ。死にたくないんだったら命乞いしたっていいんだぜ、俺が聞いててやる」
「……どうせ、殺すつもりだろうが」
 怒鳴ったはずなのに大声にはならなかった。
 足がふらついたので背中から壁にもたれかかり、そのままずるずると腰を下ろす。腕から流れ出た血液でシャツがべたついた。
「死にたくないと本音をもらせば、生きて帰れるかもしれないぞ」
 嘲笑に歪む彼の顔を見上げた、その時の感情が何なのか説明はつかなかった。
 霞月の射撃の腕を以てすればプロのスナイパーにもなれる。自力で逃げることが不可能だと、よく判っていた。
 こいつは俺の友なのだ。狙いを定めたら外さないことは俺がいちばんよく知っている。そう考えて即座に訂正する。
 違う。
 友だったのだ。
 その言葉が、流れ出る血液と混じって哲笙の身体を熱くさせた。恐怖はもう感じなかった。
「そんなことで、満足なのか」
「なに?」
「俺の本音だと? そんな陳腐なものに執着するなんて……おまえみたいな外道とかかわった俺も下らねえけど、おまえは本物のバカだな」
 霞月は瞳を細めると、意を決したように両手で銃を握りしめた。
 その焦点はまっすぐに哲笙の心臓に定まっている。もうあとはなかった。
 どうせあとがないなら、何をしても同じだ。死ぬ間際まで自分を押し隠すほど、嫌な人間になりたくはなかった。
 大きく息をつくと少し痛みが和らいだ気がした。
「きさまの言う愛国者だったら、俺はクリムゾンを辞めたりしてねえよ。偉そうな大義名分にごまかされて自分を見失ったから、捜査局に鞍替えしたんじゃねえか。そんなことは、俺を反逆者よばわりしたてめえが一番よく知ってるはずだろう?」
 死の恐怖よりも強い憎悪があるということを、哲笙は初めて知った。
「俺を殺しても殺さなくても、おまえの行く手はもう変わらない。私怨に駆られてその先を見誤るとは――地に墜ちたな、霞月」
 霞月は屈辱に顔を歪めて、ひきがねの人差し指に力をこめる。
 全身が総毛立ち、もう駄目だと思った瞬間。
 ひどく大きな物音がして局長室のドアがあいた。
 メナンデスと霞月が同時にドアを振り返る。
 哲笙はその隙を逃すはずなかった。
 上体を滑らせるようにして素早く左手を伸ばし、窓際に退けてあった自分の銃を掴む。霞月が息をのんだ。
 それは、わずかな誤差だった。
 霞月の発射した弾丸が、今しがたまで哲笙のよりかかっていた壁にくいこんだ。
 哲笙は肩から床に転がってひきがねをひいた。指を固定したまま発射した弾は全部で4発。
 弾丸はすべて霞月の身体をうち抜き、じゅうたんに次々と赤い染みを落とす。しっかりした響きをともなって、霞月は悲鳴ももらさず床に倒れこんだ。
 最後に、ひゅっと息を吸い込んで絶命する友を、哲笙は身をちぎられるような思いで見つめていた。言葉は何も浮かんでこなかった。
「お、おまえは――」
 メナンデスが戦慄のあまり震えた声で叫ぶ。
 その視線の先に、よく知った人物が立っていた。哲笙はその姿を認めるなり目を瞠る。
「……高遠さん」
 呆然とした彼の目の前を、さきほどの局長秘書が拳銃を構えて横切ってゆく。彼女はそのまま指先で霞月ののどもとに触れ、高遠を振り返って静かに首を振った。
 ダークグレイのスーツにがっちりとした体躯の高遠史城は、局長室に踏み入るとメナンデスの目の前で内ポケットに手を伸ばし、レザーケースをとりだした。
「捜査局特務課の高遠命知たかとう めいちだ。209条その他国際犯罪に関わった者として、メナンデス局長を連行する」

 

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