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 ――多民族国家・キュカリ国は、国語のクカ語だけでなく英語、日本語、中国語などさまざまな言葉が使われている。
 国土は北から順にタラダン、オリトウ、カフナ、カムナギ、イヅユル、バハの6つのエリアに区分され、タラダン語とイヅユル語は地方公用語の二大勢力になっている。
 独立以前はそれでも多数の地方言語が存在し、このままではキュカリ人同士でも言葉が通じなくなると案じた政府が独立後間もなく教育に力を注いだので、今では95パーセント以上の国民がクカ語を使えるようになった。
 公用語では英語が使用率の7割を占め、読み書きはできない者でも聞き取りや会話に慣れているので、実際はほとんどの国民が理解しているといわれている――。

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 キュカリ国の首都・カムナギ。
 経済大国らしく高層ビルが立ちならび、道路が整っているそのさまは未来の国のようだ。林立するビルの谷間を縫うように首都高速道路が横たわり、おびただしい数の車が行き来していた。
《本日はこのあと省内定例会議が入っております。夕食後は大統領主任補佐官と面談になります》
《判っている。このままでいい》
 天井から床までガラスのはめこまれた窓越しに、首都高速を見下ろして、久下正禅くげ しょうぜんは流れるようなタラダン語で背後の秘書・麻名城宴まなぐすく えんにそう告げた。
 欧米人と並んで見劣りもしないのは仕立てのいいスーツのせいばかりではない。骨格自体が大柄なのだ。
 高い鼻梁の端正な顔立ちに鋭いまなざし。大部分が白くなってはいるが、頭髪はふさふさとしている。
《先日の件につきまして、佑久様からお返事をいただきました》
《……》
《私が至らないばかりに申し訳ない、と》
《彼女ひとりの責任ではないと伝えておけ》
 そとの景色から顔をそむけて、正禅は革張りの椅子に身をまかせる。
《万事にそつがないと思っていたのに、あれが結婚で失速するとはな。冥土へ旅だつ前に、孫の顔くらい見ておきたかったが――こればかりはどうにもならん》
 親なんて無力なものだ、とつぶやく彼に麻名城は無言で軽く目をふせた。
《あいつは行ったのか》
《はい、数日空けるとおっしゃいまして》
《数日ですめばいいが……どちらにしてもできる手はうて。私のことなど、親とも思ってないやつだ》
《……》
《何をしても構わん》
《承知いたしました》
 麻名城はさらに頭を低くして、静かに言った。

 

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「えっ、紀柾のお兄さん? あんまり似てないわね」
 夜になって帰宅した、もう一人の同居人・波葉はあけっぴろげにそう言って、哲笙に笑顔を向けた。
「こんなカッコいい兄貴をかくしてるなんて紀柾も水臭いじゃない。私、同居人のシャンカール・波葉・エリンです。どうぞ波葉と呼んでくださって結構よ」
 マリンブルーのシルクのタンクトップの胸はふくよかで、巻きスカートの下のくびれた腰のラインは完璧。思わず視線が釘づけになる。
 ゆるいくせのある髪は腰に届き、彼女が動くたびに鈍く音をたてた。
 濃いまつ毛に縁どられた大きな瞳に褐色の肌の波葉は、4分の1インド人の血をひいている。エキゾチックで美しいその外見にもかかわらず、口が悪くズサンな性格が災いしてほとんどの男から敬遠されている女である。
「ほんと、水臭いよな。タラダン語が話せるなんてひとことも言ってなかったじゃん」
 憤懣やるかたないといった面持ちで、椅子にふんぞりかえっている藤女の言葉に波葉が目を瞠る。
「タラダン? ということは、そっちの出身なの?」
 哲笙はソファに腰かけたまま説明した。
「いや、俺たちはカムナギで生まれて育ったんだ。両親がタラダンの出身で、うちの中ではタラダン語を使ってたから家族間ではいまだに抜けなくてね。でもこのとおり、国語にはなんの不自由もないよ」
 多民族国家の上に移民族間の結婚が多いキュカリ国では、両親と子供の第一言語が異なることもそう珍しくはない。
 この国に複数存在する地方言語は、もともと国語のクカ語から枝わかれして発展したため、文法や語順など非常によく似ている。そのため子供の頃から慣れさせれば、二つ以上の言語を同時に習得させることも難しくないといわれている。
 家族間では地方言語を話す一方、学校では国語を使い、やがて外国語を習う子供が急増しているかげで、日本やシンガポールと同じように幼い頃から受験戦争に身を投じる姿も多くなっていた。
 識字率は93%を越え、国内に散らばる大学・短大への進学率は日本のそれに準ずる。教育に関しても、キュカリは先進国と呼ばれておかしくない位置にいた。
「……でも考えてみるとあたしたち、紀柾のことそんなによく理解してないみたいだな。そういうのって悲しいな」
「それはお互い様でしょ、紀柾だってあたしたちのこと判ってるとは思えないわよ」
「誰がそんな後ろむきなこと考えながら友達になるのさ? 少なくともあたしは、紀柾に隠してることなんかなかったからね」
「藤女って……たぶんこれがあたしでも、紗宗でも同じこと言うんでしょうね?」
 波葉は軽くため息をついた。藤女の顔には当然、の二文字がありありと浮かんでいる。
「俺も、そんなにあいつのことは判ってないと思うよ。もともと俺たちは仲のいいほうじゃなかったし、たぶん君たちのほうが同居人というぶんだけあいつを知っているはずだけど」
 そう言った哲笙の声には、不思議なほど感情が感じられなかった。
「そうよね、兄弟なんてみんなそんなものでしょ」
「君は一人っ子?」
「あたし? 冗談でしょ、7人兄弟の6番目よ」
 波葉は愉しそうに笑った。
「兄弟は多いほうがいいね。二人しかいない兄弟だと憎しみをほかに紛らわす術もない。だから、あいつは俺を拒否することしか知らないんだ」
「たしかに、7人もいるとひとりやふたりとケンカしてもスペアは掃いて捨てるほどいますからね。しぜんに柔軟性も身につくわ」
「ちょっと……ちょっとちょっと待てッ!」
 藤女が首を振って二人の会話を遮った。
「そんなこと今はどうでもいいだろッ! 何を話してるんだ、あんたたちは……言わせてもらうけど、お兄さん?」
 いらだったような面持ちで、藤女は椅子から立ちあがる。
「哲笙だ」
「その哲笙さんは、そこまで自分と弟の関係をよく判っているんだったら、来れば問題おこしそうだってことぐらい予想できたはずだろ。どうしてわざわざ煽るようなことしたのか、そのへんの理由、弟のことをよーく判っているあたしたちに言うつもりはないのか」
 言葉に皮肉が含まれているのはすぐ判った。
 最初に見た時から、いい感情など持っていないらしい。動物的に勘のいい女だと思いながら、哲笙は事務的に済まそうと決めた。
「たしかに君の言う通りだ……悪かった、弟がどんな人達とつきあっているのか知らなかったんでね。それによって対処が違ってくると思ったから、様子を見ていた」
「はあ?」
 二人は、微妙に音程の違う声で和音を奏でながら哲笙を見た。
「率直に言わせてもらうと、俺はあいつを連れ戻しにここへ来た。キショウはうちの中で、特に親父とうまくいってない。7年前建築家になることを反対されて出たまま、コンタクトを断ったんだ」
「家出したの?」
「まあ、そんなものか。あいつが知恵をつけて可愛がってもらっていた建築家の師のところへ転がり込んだりしたもんだから、よけい親父と折り合いがつかなくなってね。それきりあの二人は口もきいていない」
「それきり、って7年もか?」
 7年。
 ひとことで言いきれるほど簡単な時間でないことは、よく判っていた。
 藤女が彼と知り合いになってから、まだ3年と少しである。その間、紀柾は家族のことはおろか、過去についてもほとんど喋ったことがなかった。
 ただひとこと、師の周紺良しゅう こんりょう氏にはどんなに感謝してもしたりない、親以上によくしてもらった、と口癖のように言っていたけれど。
 その言葉の裏に、こんな真実が隠されていたなんて、おそらく誰も予想しなかっただろう。
「……俺から見ればどちらにも非があるんだ。例えば親父はひどく押しつけがましい面も持った人で、何でも自分の納得のいくようにしたがるところがある。俺たち息子は彼のあとを継いでいくものだと考えているし、キショウはそういう親父の性格を知っていながら、どうしても我を通したがる。ほんの少し冷静になってうまく説得すれば、親父だってあんなに理不尽な言いかたはしないはずだった」
「お父さんのことなんか今はどうでもいい。なんで……もっと早くに来なかったんだ?」
 顔を上げると、二重瞼の大きな瞳が見つめていた。
 哲笙が知っている女の中でも美人の部類にはまず入らないが、貴石の輝きを伴ったこの黒い瞳と透き通ったトーンの声からは独特の印象を受ける。
 琥珀色の肌は、長時間外にいるため日に灼けた自分の皮膚とは異なる民族の血が混じっていることを物語っていた。
「たったひとりしかいない兄弟なのに、親父さんに見放されて兄貴のあんたが助けてやらなかったから、周さんしか頼る人がいなかったんだ」
「藤女、ちょっと待って――」
「だってあたしは、こんな兄貴なんかよりずっと紀柾のこと考えてるんだよ!」
 同居人の口をふさいで、藤女は哲笙の胸元めがけて人差し指をつきつける。
「“自分の我を通したがる”だって? それは本当に我がままで向こう見ずなやつに使う言葉だよ。この3年間、仕事ひとつ勝ち取るのにあいつがどんなに頑張ってきたか知ってるのか? 紀柾は将来有望な建築家への階段をのぼりつめてるんだ、その才能すら伸ばしてやれなくて何が家族なもんか」
 藤女の声はもともと少年のような響きを持つ。にごりのない透き通ったその声は、冷静な哲笙の神経を揺さぶるように広がった。
 ソファから立ち上がった彼は、つきつけられた指を軽く払うと正面から藤女を見据えた。
「俺はここに弟を連れ戻しに来ただけなんだけどね、知ったふうな口をきいて他人の家のことに干渉しないでくれないか」
「紀柾のことを、他人だと思っているのはあんたのほうじゃないのか? おおかたその頑固な親父さんとやらに言いつけられて来たんだろう」
「自分より弱い者に手をあげるのは、モラルに反するんだが……特に女性には」
「女だと思わなくて結構! こっちも腕には自信があるからな、手加減なら必要ないぞ」
 もはやこれまでだわ、と波葉は十字を切ってクッションを片手に安全圏の玄関先へこそこそと引き下がる。
 がんがんがん、と凄まじいノックの音が響きわたり、一同がドアの方を振り返った。

 

 

「こんばんは!」
 いったいどこにノックの意味があるのか、と思わせる態度で若い男がドアを開けてリビングに入りこんでくる。
 膝の薄くなったジーンズにシャンブレーのシャツ。哲笙より5、6センチは背が高い。モデルや俳優にも、ちょっといないほど端正な顔立ちだった。
「……あれ、波葉こんなとこで何してんの?」
 ドアの後ろで膝をかかえて座っている波葉に訊いてから、そこでやっと見知らぬ人に気がついたらしく情けない声になった。
「来客中でしたか、こりゃどうも失礼。いや、もう帰りますのでお構いなく……」
「ちょっと待って、紗宗。あんたいいところに来たわ」
 踵を返そうとする男のシャツを掴んで、クッションをほうりだすと波葉は必死の形相になった。まるで、彼をのがしたらこの場は収拾がつかなくなる、とでも言いたそうだ。
「あのね、こちら紀柾のお兄さんの……ええと、どなただったかしら?」
「久下哲笙だ」
 吐き捨てるように彼が言う。
「そう、その久下哲笙さん」
 場違いに明るい波葉の声に少々眉をひそめながらも、紗宗は再びリビングに足を踏み入れた。
「紀柾の兄さん? そりゃまた珍しい。あ、俺はやつの悪友で清劉紗宗という者です」
 ひとなつこく差しだされた右手を拒む理由を見つけられぬまま、哲笙はつられて握手を交わしていた。
 気後れしたところのない男だな、と思いつつ間に合わせの笑顔を作る。登場の頃合いを計って家に入って来たのだとしたらなかなかの策略家だが――。
 わずかにそんな思いが哲笙の胸を掠めたが、それが真実か否か、少々タレ目の黒い瞳の奥を読みとるには遅すぎたようだ。
「いやあ、紀柾に兄ちゃんがいるなんて知らなかったな。てっきりあいつは一人っ子かと……俺がそうなもんでね、あいつもそうかなと思ってたんですよ、あはははは」
「アハハハハじゃねえよ、脳天気ヤローが」
 やりきれない表情のまま、藤女は哲笙から離れて腰をおろし毒づいた。
 今にも火花を散らしそうだった闘志は、紗宗のおかげで見事にどこかへ吹っ飛んだらしかった。
 登場によって場の雰囲気をガラリと変えられるのも、紗宗の人徳だと考えて波葉は胸をなでおろした。あのまま哲笙と藤女の二人が掴み合いにでもなったら、いくらなんでも取り押さえようがない。
 果たして紗宗が役に立つかどうかはナゾだけど、一応ガタイもあるわけだし、あの通り脳天気な性格だから、たいていの争いごとには巻き込まれずにすむわね、と一人つぶやきながら波葉はキッチンへ飲みものをとりに行く。
 キュカリは移民で成り立っている国である。二世以降はアジアの血が混じった者が最も多く、哲笙自身も台湾系と日系の血を引いている。
 紗宗の容貌は東洋的でありながら、体格はどう見ても白人並だ。彼の先祖がどこから来たのか、またどんな血が混じっているのか、ひとことで言い当てるのは不可能に近い。
「おい、紀柾のやつ何してんだ? せっかくお兄さんが会いに来てんのに。俺、呼んでこようか」
 紗宗が笑顔のままで腰をあげた時だった。階段のほうから大声がした。
「今更うちになんか帰らないからな、俺は!」
「……あれま、どうしたの、大声だして」
 驚愕に目を見ひらく紗宗を完全に無視して、紀柾はリビングの中央まで大股に足を進めてくる。
「いくら説得しようったって無駄だ、さっさと帰れよ」
「落ち着いてってば」
「藤女も藤女だぞ、何でこんなやついつまでも居座らせてんだよ」
「だから落ち着いて話をするためだろ? 聞かなくちゃ引き下がりそうにないよ、あんたの兄さんは石頭で」
「おい藤女、おまえの話題微妙な方向に転換しはじめてるぞ」
 紗宗が横から茶々を入れる。いらついた紀柾はたまらず怒鳴り散らした。
「あーっ、うるせえなッ! 哲笙と話すことなんか何もないんだよ」
 感情的な弟と反対に、乾いた低い声で哲笙が言う。
「俺と話したくないならそれでも構わないが、あの親父が黙って引き下がるとは思えないぞ」
「知ったことか。だいたいどうして連れ戻しになんか来たんだよ、絶縁なら今この場でだってできるだろ。さっさと切ってくれていいんだよ、関係なんかッ」
 絶縁、という過激な単語を耳にして、友人たちの視線がいっせいに紀柾に注がれる。気まずさを伴った重苦しい空気が、ゆっくりとその場をのたうっていった。
 哲笙は無言で紀柾を見据えている。
 誰もが二の句をつなげずにいるところへ、言葉を投げかけたのは紗宗だった。
「まあまあ、そんなにぴりぴりしなくても。せっかく久しぶりに再会したんだし、どうかな、お茶でも一杯……」
 素早く紀柾に笑顔をむけて、ソファに座らせようと手を伸ばす。
「いらねえよ!」
 待て、と言う隙もあたえないほど鮮やかなしぐさで――吠えるように怒鳴って、紀柾は足音も荒くドアをあけて外にでていった。
 その見幕にふたりの同居人は毒づいたが、紗宗は再び哲笙に向き直る。
「ったく、あれがはるばる訪ねて来た兄貴に対する態度かよ? すみませんね、失礼なヤツで。なんせ反抗期の子供ひとりかかえてんのと同じでして……」
「どっちが兄貴なのよ」
 波葉が冷ややかな声をかぶせる。
 7年ぶりとはいえ、一緒に育ってきた弟の行動パターンはある程度予測がついている。哲笙は、殴り合いにならなかっただけまだましだと思っていた。
「突然やってきて悪いが、2、3日厄介になるよ。あのとんでもないヤツを連れて帰らないと困るのは俺なんでね」
 そう言ったとたんに睨みつけてくる藤女の視線を真っ向から受け止めて、不敵な微笑を送り返す。
「ヤなやつ!」
 すぐに、心に浮かんだ言葉は口に出さないと気がすまない、というような悪意に満ちたせりふが飛んできた。
 コラ、と叱咤する紗宗の声がそのあとに虚しくつづいた。

 

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