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 かすかな音を聴いた気がして、まぶたをあける。右腕のクロノグラフはまだ4時前をさしていた。
 ……夢か。
 哲笙は息をついて再び目を閉じる。
 ここ何カ月か熟睡していなかった。うとうととして夢ばかり見たと思うともう朝になっている。職業柄、短時間で体を休めるくせはついていたというのに。
 人間が草木に触れる音が、小さいながらも今度ははっきりと聴こえた。外からだ。
 哲笙は横になっていたソファから身を起こすと、すばやく自分の荷物をまさぐって、黒いセミオートマティックを取り出した。
 S&W・モデル5946、通常オフィサーズ46と呼ばれる。スタンダードではなく、安全装置が反対についた左利き用のデザインだ。
 慣れた手つきでそれを構えて窓の外を見る。
 人影が視界の端をかすめた。指先で慎重にブラインドを押し下げる。わずかなすきまからのぞいた庭先に、まず見えたのは男。
 片手に拳銃を構えてこちらに背を向けている。その様子からして、誰かの背後をカバーしているのはすぐ判った。
 中に入られている。心の中で舌打ちして哲笙は再びブラインドを閉じた。足音を立てないように慎重な動作でリビングのすみに行き、壁を背に廊下を確かめる。
 三度目の音がした。バスルームだった。
 両手でしっかりと自分の拳銃を握り、バスルームの前まで進む。ほんの少し息を吸いこんで時を待った。
 ややあってバスルームのドアが中から開き、暗闇から二人の男があらわれ――あとは、あっという間だった。
 廊下にいた哲笙に気づくと、男たちは懐から拳銃を引き抜いた。それを一瞬で認め躊躇せずに自分のひきがねを引く。
 ドンドンドン、と胸を揺さぶるような音をとどろかせて哲笙の拳銃が閃光を吹いた。つづけて玄関のドアが蹴破られる音がする。
 それはほとんど動物的な勘だった。廊下に躍りでてきたもうひとりの額を鮮やかに撃ち抜いて、哲笙は素早く二階へ駆けあがった影を追う。
 4人目は踊り場にたどり着いたところだった。
「この野郎!」
 生暖かい息と共に低いうなり声が哲笙の耳をかすめた。
 それをかわすだけの間もおかずに掴みかかられ、哲笙は男ともみあいながらバランスをくずし、階段を滑り落ちるようにして落下した。
 凄まじい音がしてわずかに家がゆれる。激痛が左の肩をつらぬいた。階下に落ちながらしたたかに肩を打ちつけて、哲笙のセミオートマティックが左手をはなれた。
 ガッ、と脳髄にひびく音がした。続けて、頬骨が砕けるかと思うような衝撃が哲笙を何度となく襲ってくる。
 殴られるたびに目の前が白くスパークした。手加減している場合ではなかった。
 顔が近づいたその瞬間をねらって哲笙の指先が垂直に男の眼球をついた。鋭いうめきと共に男の両手が胸もとからはなれる。
 渾身の力をこめて左の拳をみぞおちに打ちこみ、間髪おかずに急所を蹴りあげた。
 驚愕にゆがんだ襲撃者の口から、なにごとか声がもれた。聞きとれるほど明瞭ではなかった。
「誰のさしがねだ?」
 男の腕をねじりあげて聞く。
「答えなければ容赦しない」
 ぞっとするほど冷ややかな声だった。
 左手に力をこめて男の手首をひねる。次の瞬間、骨の折れるいやな音がして、男は低くうめいたきり動かなくなった。
「おい!」
 口の端から白い泡がのぞいていた。
 毒を含んだのだ。やられた、という言葉が頭をかすめる。悔しさにくちびるを噛んだ。
「哲笙!」
 二階から藤女の声がした。哲笙は自分の拳銃をひろって、注意深くあたりをうかがった。
「侵入者だ、まだ他にいるかもしれない。あいつらは?」
 紀柾と波葉のことだ。藤女はうなずいた。
「大丈夫」
 それから床に倒れている男に気づいて眉を険しくする。右腕が変な方向に曲がっていた。
「そいつは、死んでるの?」
「誰のしわざか吐かせる前に自殺した」
「自殺?」
「そういうふうに仕込まれているプロさ。誰かが、ここにいる人間を狙ってるってことだ」

 

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 市警察から事情聴取の刑事たちがやってくる前に、紗宗は電話を受けて駆けつけていた。
 器用に亡きがらをよけつつ現場を歩き回っている彼の口から、絶えずつぶやきがもれている。背筋を伸ばすと、今度はリビングで手元の鏡をのぞきこみながら顔の傷を消毒している哲笙に視線を移す。
「身元のわからない死者4人。うち3人は正確に額または心臓を撃ちぬかれて即死」
「へえ、やるもんだな」
 ソファから立ちあがり、バスルームの洗面台へとむかう哲笙はその顔も見ないで答える。
 紗宗はあとを追って、死体をよけながらそこへ踏みこんだ。
「ひとごとみたいに言わないでください。あなたのしわざでしょう」
 ぴしゃりと、はねつける言いかただった。
 指先をきれいに洗ってタオルでぬぐいながら、そこでやっと哲笙は目を上げた。
「ほかの誰かが拳銃を持っていた可能性だってあるんじゃないのか」
「たまたま通りかかった誰かが、運よく拳銃を持っていてしかも射撃の名手だったと?」
「そうそう。顔だけじゃなくて頭もいいとはね」
「はぐらかすのはやめたほうがいい。それとも署まで来ますか」
「なるほど君はこういう性格だったわけか。たいした二重人格だ」
「俺のことを話してるんじゃない、あんたいったい――何者なんだ?」
 思わず片手が哲笙の腕を掴む。強い色を放つ瞳は妥協を許さなかった。ほんのすこしの間があって、哲笙は対峙したまま平然とそれを振りほどく。
 答えもせずにリビングに戻っていく背に罵りの言葉を浴びせながら、紗宗は再びそのあとを追った。
 哲笙はフックにかかっていたジャケットを掴み、左手で内ポケットから黒いレザーのケースを引き抜いた。大きさは薄い財布ほどだ。
 二つ折りになったそれを上下に開いて悠然と告げる。
「捜査局特務課の者だ。今は休暇中だが」
「……ストライカーか」
 レザーケースの片面にある銀のバッジを見て、絞りだすように紗宗が言った。下の部分は透明な窓になっていて、写真付きのIDカードが収められている。
「もともとはクリムゾンにいた。大統領が代替わりして捜査局に回されたんだ」
「クリムゾンだと?」
 紗宗の顔が思わず険しくなった。
「クリムゾン出身のストライカーなんて聞いたこともないぞ」
「だろうな、局長も稀なケースだと言っていた」
 どうりで強いはずだ、という言葉をやっとの思いで飲みこむ。
 最初からただものでない雰囲気を持った男だとは気づいていた。こうなると狙われた藤女たちより、運が悪かったのは家に忍びこもうとしたあの男たちのほうではないかとも思えてくる。
「――あのさあ、よく判んないんだけど、クリムゾンとストライカーズってどこがどう違うんだ?」
 突然そう訊かれて、二人は同時に声のしたほうを見た。

 

 

 藤女がトレイにマグカップを乗せてキッチンから出てくるところだった。
 紗宗の顔が曇る。
「今の話、聞いてたのか」
「何か聞いちゃいけないことだったのか?」
 逆に問いかえされて彼は返答につまった。
「『ストライカーか』のとこからしか聞いてないよ」
 マグカップの紅茶をすすりながら呑気そうな笑顔を作る。
 はい、紅茶どうぞ、と二人にカップを差しだして平気な顔でソファに座りこむあたり、こいつらしいと思いながら紗宗は片手でこめかみを押さえる。
「あの二人はどうしてる?」
「紀柾も波葉も部屋。刑事さんの事情聴取にはちゃんと協力するって。で、さっきの質問だけど」
「なあ藤女。おまえこんなとこにいて平気なわけ?」
 紗宗は努力して話題を遠ざけようとした。
「何が?」
「あそこに転がってるの、死体だよ」
「ああ、そんなこと」
「そんなことって、怖くないの?」
「だって死んだ人間は襲ってこないだろ。生きてる人間のほうがよっぽど危ないよ」
「あのね……そういう問題じゃないでしょ」
 ため息をついてぼやく。
 はぐらかそうとするほうが間違っている、とでも言いたそうに哲笙が下を向いて笑いだした。確かにこの犯罪大国では、生きている人間のほうが危ないに違いないのだが。
「……失礼な人だな、急に笑いだしたりして」
 藤女が彼を睨んだ。とりあげられそうになったマグカップを間一髪で掴んで、哲笙はあわてて弁解する。
「判った、今説明してやるからまあ待てよ」
 そうやすやすと他人に心を開くようには見えなかったが、この男にもこんな鷹揚なところがあったのか、と思いながら、紗宗は彼が紅茶をひとくち含むのを横目で見ていた。
「――クリムゾンというのは、キュカリ国際情報調査局の通称だ。海外にスタッフを派遣して情報を集め、ブリーフィングして大統領の補佐をするのがおもな仕事だが、重要人物の警護もしてる。俺がいたのは、その護衛部というセクションだった」
 護衛部とは、むろん大統領をさしての言葉である。
 官邸やその他、国の中枢をつかさどる人物とその家族のボディガードもする。海外へ出ることも少なくない。
 クリムゾンはほかに作戦部、情報部、技術管理部の四部門から成り立っている。IDカードに押されたスタンプが深紅なのでクリムゾンと呼ばれるようになった。
「ストライカーズっていうのは? どう違うの」
「法を破る者に対して『打撃を与える者』という意味だからね、地方の警察だけでは手の回りきらない大がかりな事件、たとえば誘拐犯を探したり広範囲にわたる犯罪の検挙に協力している。クリムゾンは諜報活動に重きをおいているがこっちは警察活動がおもな内容だ。この二つの組織の最大の違いは、クリムゾンの直接の権限は大統領が持っているのに対して、ストライカーズは局長が独自で判断を下しているというところにある」
「ストライカーズのほうが融通がきく、ということかな。あなたが破格の待遇なのもそのへんに関与しているんでしょう」
「……君はほんとに察しがいいな、ただの現場捜査官にしておくのは惜しいよ」
 いかにも驚いたように哲笙が眺めやる。あまり嬉しくもなさそうに紗宗は礼を言った。
「特務課って何をするの?」
「一般にトラブルシューターズと呼ばれてる。普通の捜査官では解決の困難な事件を任されるんだが、早いはなしが捜査局のほうで持てあましている厄介ごとを押しつけられるやつらのことだよ」
 トラブルシューターとは、もともとは修理の専門家や紛争解決者のことを指すが、キュカリ国の警察関係者においては一掃屋の意味になる。
 人質救出や麻薬・人身売買のおとり捜査など技術と経験がものを言う事件に出向き、わいてでる虫のような犯罪者を文字どおり一掃する者たちのことだ。
 そっけない哲笙の口調とは裏腹にトラブルの一言にはどんなものが含まれているのか察しがついて、紗宗は頭の中で彼のプロフィールを描きはじめる。
 刑事たちの到着を知らせるノックの音が響いたのは、その時だった。藤女がドアをあける。
「朝早くから失礼させてもらうよ」
 と、巡査部長らしい人がバッジを見せた。彼のうしろで控えているのは現場検証員だ。ラテックスの手袋がひらめいた。
 哲笙はソファから立ちあがり、藤女のかたわらに行くとIDカードを見せながら手早く説明する。
「捜査局特務課の久下ですが、今回の責任はすべて私にあります。できれば局のほうにも連絡をいれたいのですが」
 言い終わらないうちに巡査部長の顔つきが一変した。
「久下特務官でございますか! 失礼しました、自分は市警察の邦良留くによしとめと申します」
 凛としたその声に、玄関にいた検証員たちが彼にならって身をこわばらせた。その様子を見て藤女が目をまるくする。
「何なりと指示を申しつけてください。市警察でも全力を尽くします」
「現場検証と検屍の結果を、至急カガド支局A−5班久下あてで回してもらえれば幸いです」
「はッ、承知しました。では早速」
 邦良留は慇懃に頭をさげてその場を横切った。つづく者たちも哲笙のそばを通りながらきちんと目礼をしてゆく。
 なるほど、そういうことか。どうりで隠すようにしていたわけだ、と紗宗は思った。これではうかつに自分の肩書など口にもできない。
「なあ、どうしてみんな哲笙には態度が違うんだ?」
 哲笙が検証員につづいて奥へ消えたところで、藤女は小声でそう訊ねてきた。
「地方警察は事実上、ストライカーズの管轄下なんだよ。その特務官だぜ、さからえばこっちのクビが飛ぶ」
 紗宗は片手で首を切る真似をしてみせた。
 彼自身の地位が捜査局で破格のあつかいなばかりでなく、その上哲笙の父親は大臣である。若い者はともかく、邦良留のような年の者は国のために働いているという自覚を忘れないので上下関係に厳しい。
「じゃ、紗宗も気をつけないとね」
 あっさりそう言われて我に返る。確かに少々口のききかたを間違えていたかもしれない。
 けれど、むこうだって身を明かさなかったから承知のはずである。紗宗は心の中で自分にいいきかせる。どちらにしても、哲笙が分別のあるおとなで幸運だった。同じ久下大臣の息子でも紀柾だったらこうはいかない。
「……兄貴が父譲りの冷静な男で助かったよ」
「え?」
「いや、こっちのこと」
 紗宗はそう言って笑った。

 

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