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彼女のとなり

 

 

 配られたシラバスに視線を落とす。
 ベイカー・ホールの教室は生徒でいっぱいだった。
≪……で、席決めは来週月曜にします。その後の変更は認めません≫
 シラバスの予定表を確かめながら、教授の顔も見ずに話を聞いていた。
 ……げ、毎時間授業の前にポップクイズかよ。
 中間と期末試験の範囲なげーよ。
≪だからこのクラスに好きな人がいる人は、えー、早めにとなりの席を確保しておくように≫
 生徒の間から失笑がもれた。
 ったく、なに呑気なこと言ってやがる。アメリカ人は教授までおキラクだぜ。
 脚を伸ばしてため息をついた。
 最前列は前に誰もいないからいいよな。
 課題をこなしていくだけの数学のクラスなら、ここにいたって指される心配もないし。
 何よりインターミディエイト・アルジェブラなんて名ばかりで、日本人には高校生並みのレベルだ。
 楽勝。
 間違いなく今学期のGPAは上がる。
 ――2年の最終学期。
 この学期が終われば、建築専攻の選抜過程に入る。
 その後はひたすら、あるかないかわからない卒業目指すしかないから今のうちに息抜きしておかないと。
≪来週月曜日に座席決定ですよ! 好きな人のとなりはちゃっちゃとキープ!≫
 ポロシャツを着た人の良さそうなその教授は、授業が終わる前にまた繰り返した。
 ……この人、本気かよ。

 

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 その週はずっと同じ席で授業を受けた。
 最前列の右端。
 しかもとなりはアメリカ人にしちゃ珍しいほど痩せた男だった。
 だから肘も肩も膝もぶつからない。
 先生の説明もよく聞こえるし、自分でもいい選択をしたと思っていた。
 なのに。
 席決め当日の月曜日。
 いつもより遅れて後ろのドアから教室に踏みこんだら、となりの席に座っていたのは知らない女の子だった。
 コーヒーみたいな色の髪とちっちゃな頭。
 ジーンズに包まれた細くて長い足。
 青いチェックのシャツ。
 ……えーと、この席にはいつも、痩せた男が座ってるはずで。
 そいつはくるくるのカーリーヘアで、半分寝てるみたいなサエない顔してたヤツで。
 あとはどんなだったか覚えちゃいない。
 覚えてないけど、断じてこんな女の子じゃないのは確かだ。
 一瞬、どうしようかと迷った。
 俺、となりに座ってもいいのかな?
 でも、まだ座席決定したわけじゃないし。
 ……とりあえず、無難にひとつ後ろの列にしておこう。
 そう考えて、まだ空いている二列目の右端に腰かけた。
 すぐに体の大きな男が入ってきてとなりに座られる。壁際に追いやられた。
 ちくしょう、最悪じゃねーか。
 続いて先生があらわれた。
≪オーケイ、今日は席決めの日です。みなさん、ちゃんと好きな人のとなりを確保しましたか?≫
 ――してねぇよ。
 そう自己ツッコミを入れた瞬間、斜め前の席の彼女がふり返った。
 目が合ってしまった。
 ネコみたいに弓なりのカーブを描く、ブルーの瞳。
 あわてて目を逸らし、机を見た。
 ……びっくりした。
 なんだよ。
 とんでもなく可愛いじゃんかよ。
 やっぱりとなりに座っておけば良かった。
 回ってきた座席表に自分の名前を書き込みながら後悔したけど、もう遅かった。

 

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≪ねえ――どうして今日は違う席に座ったの?≫
 数学のクラスが終わると、教室を出たところでそんな声がした。
 思わず辺りを見回す。
 俺。
 じゃ。
 ないよな?
≪あなただってば! そこの、背の高いダーク・ヘア。"フジ・ジャズ・フェスティバル"ってTシャツ着てる人!≫
 ……俺だよ。
 そう思っていると、となりにコーヒー色のショートヘアが並んだ。
 さっきの、斜め前の席にいた子だ。思ってたより小柄だった。
≪今日で席決めでしょ? 決まったらもう変えられないのよ?≫
≪……知ってる≫
 答える声がくぐもってしまった。
 ほとんどグレイに近い青い瞳で見返される。
≪どこの人? 台湾? 日本?≫
≪日本人≫
 言いながらやっと気がついた。
 そうだ。
 セイジだったかマサだったか、誰かが言ってた。
 数学のクラスを取ると、『テューター狙い』がいるって。
 テューター狙い。
 隙あらば近づいて、勉強を教えてもらおうとする学生のことだ。
 英語でハンデのある留学生が、現地学生を頼るのが普通なんだけど……。

 

『アジア系は目立つし数学に強いから、アルジェブラのクラスなんかだと逆に狙われるんだよ。アキラも気をつけろよ』
 言われて、確かこんなふうに答えたと思う。
『まさか! セイジたちと違って俺は地味にやってるからヘーキだって』

 

 ……なんだ、そういうことか。
 はあ。
 肩から力が抜けた。
≪わたしのとなり、まだ空いてるの。良かったら移ってこない?≫
 あっさり言われたんで、なんて答えればいいのか判らなくなった。
≪大丈夫。座席表なんていちいち確かめないし、黙ってればわかりゃしないわ≫
 ……そんなに数学苦手なのかな?
 でもなんか。
 ここまで可愛い子だと……複雑な心境。
 黙ったままでいると、彼女ははっとしたように笑顔を作った。
≪あ、ごめん。名前も言ってなかったわね。わたし、エレナ。数学専攻の1年生≫
 ――なに?
≪数学専攻?≫
≪そう。アルジェブラはこのクラスが初めてだけど、あの教授いいわよね、フレンドリーな感じで≫
≪……テューターは?≫
≪は? 数学の? ええ、してるわよ。お小遣い稼ぎって程度だけど……≫
 彼女の声を聞きながら口元が笑い出した。
 今の、質問と答えの意味が微妙に違ってたんだけど。
 ま、いいか。
≪なに? なんかおかしなこと言った?≫
 不思議そうに訊かれた。
≪いや……なんでもない≫
 答えながら、外へ出た。
 彼女といっしょに。
 見慣れたはずのアリゾナの陽射しが眩しくて、ちょっとひるんだ。

 

 

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≪管理人のつぶやき≫
シラバスは講義の概要、ポップクイズは小テスト、アルジェブラは代数学のことデス。
≪ ≫は英語の会話だと思ってくださいネ。
えー、留学生シリーズ。『BE MY LADY』に出てきたセイジくんの友だちが今回の主人公。
時間的には『BE MY LADY』よりちょっとあとの設定です。
……ホントにいますよ、こういうこと言う教授(笑)。