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彼女のとなり 3

 

 

 ……デートって呼ぶには、あまりに他愛ない状況だよなこれ。
 そう思いながらコンクリートの歩道の上を歩いていた。
 となりにはコーヒー色のショートヘア。
 今まで気がつかなかったけど、エレナの髪は細くて、くしゃっとしてて。
 なんか、触り心地よさそう。
 ……あー、だからって、許可もなく勝手に触っちゃいけないことは判ってるけど。
 アイスホッケーの熱血乱闘シーンを充分堪能した後も、彼女の態度は変わらなかった。
≪すっごいわねー、ホッケーっていつもあんなに乱闘があるのかしら?≫
 キャンパスの夜道を寮に向かってふたりで歩く。
 乾いた空気が髪をなでた。
≪1ゲームであの数はちょっと多すぎじゃないのかなあ。ペナルティボックス一杯だったし≫
≪いえてる……それに、ルールがちょっと複雑だわ。オフサイドってなに?≫
≪サッカーと同じだろ。パックが攻撃ゾーンに入る前に、選手が攻撃ゾーンに入ることじゃない?≫
≪……サッカー、好きなの?≫
≪日本では人気あるよ。こっちもリーグあるじゃん、あんまりテレビでやってないけど≫
≪え、テレビ見てる暇ある? 建築専攻って大変そうなのに≫
≪はは、そうだな。呆れるくらい時間がかかりそうだよ、卒業まで≫
 それも、悪くないけど。
 考え込んだら、歩道の向こうから、カッカッカッと何かがコンクリートを叩く音がした。
 オレンジがかった明かりに照らされて、トレーニングウェアを着た人影と犬が浮かび上がる。
 それは、ちょっとびっくりするぐらい大きな犬だった。
 白いむく毛の大きな体。長い舌を出しながら、じいっとこちらに目を向けている。
 なんていう犬種だっけ? 
 ヨーロッパの山に住むでっかいヒツジみたいな――。
 そこで、いきなりネルシャツの腕をつかまれた。
≪……え?≫
 つかまれた、というより、腕を引き寄せられた。
 有無を言わさず。
 エレナの足が動かなくなったので、歩道の上で立ち止まる。
 トレーニングウェアの男性が、かぶっていた野球帽をとって小さく頭を下げてくれる。
≪やあ、こんばんは。いい陽気ですね≫
≪は、はぁ、まあ……≫
 語尾がかすれた。
 ……何が"まあ"なんだよ?
 暑いのか寒いのかもわかんなくなってきたくせに。
 考えてるうちにどんどん近づいてくる。
 犬の低い息づかいがはっきり耳に聞こえた。
 その瞬間、エレナがしっかり腕にしがみついてきたので、いっそう頭が混乱した。
 ほんの数秒経つうちに、俺たちを通り過ぎて歩き去ってゆく。
≪……大丈夫?≫
 とりあえず、そっと腕に触れ、そう訊ねてみた。
≪びっくりした……≫
 ……いや、びっくりしたのは俺のほうだって、ぜったい。
 どきどきして目の前が波打っちゃってるよ。
 まだ腕を抱えたまま歩き出されたので、流れで腕を組んで歩く格好になった。
≪あんな、ヒツジみたいな顔した犬が怖いわけ?≫
 顔をのぞきこみながら笑ってしまった。
 それは。
 ふだん大人っぽく見える表情が、心配になるくらい頼りなく思えて。
 そんな彼女に引き寄せられて、つまりあの犬よりは信頼されてるわけか俺?って、純粋に嬉しかったからなんだけど。
 青い瞳で容赦なく睨まれた。
≪アキラなんか嫌い≫
 ……は?
≪ヒツジみたいな顔してたって犬は犬! 知らない人の、それもあんな大きな犬なら誰だって怖いでしょ! 無神経だわ≫
 さっと腕が離れてゆく。
 フードのついた赤いパーカーの背中をため息まじりに追った。
 ……なんだよなー。
 さっきまで俺にくっついてたくせに。

 

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 エレナの寮と俺の寮は10分ぐらい離れている。
 彼女のはまだ新しい建物で、1年生しか住めない。半分が男子ハウス、もう半分が女子ハウスだ。
 俺が住んでる寮は古くて、屋根裏にはゴーストが出るとかいう噂までついている。
 時々エアコンが止まる、キャンパスいちボロい寮でなかなかエキサイティングな日々を送っているわけだけど。
 女子ハウス側の入り口の浅い階段を数段上がったところで彼女が振り返った。
 心臓がひとつ、大きく揺れた気がして胸が痛くなった。
≪……ずいぶん、静かなのね、さっきから≫
 そりゃ……まあね。
≪コワイから≫
≪なにが?≫
≪……いろいろ≫
 またろくでもないこと言って機嫌を損ねたくないし。
 もう会うのヤダとか言われたら立ち直れないし。
 どんどん際限なく気になりだしてるきみのこと。
 ぜったいこの腕から離したくないとか思い始めてるし。
 そう告げて逃げていかれたら、それこそ俺の人生は終わりだし。
≪わかった≫
 エレナはそう言って、ジーンズのポケットから寮のカギを取り出した。
≪じゃ、わたしが怖くなくなったらまた声かけて……おやすみ≫
 勝手に完結し、目も合わせずにさっと身をひるがえす。
 反射的にその手をつかんだ。
 あれ……?
 俺ってこういうヤツだっけ?
 自分で自分がわからなくなる。
 階段を数段はさんだ上と下で、しっかり目が合った。
≪言ってないだろ。きみがコワイなんて……言ってない≫
≪じゃ、なにが怖いの?≫
≪えーと……い、犬≫
 苦し紛れに言ったらエレナの目が丸くなった。
≪犬?≫
≪そう。さっきのヒツジ犬、実は俺も怖かった≫
≪ウソつき≫
 ばっさり見破られた。
 ……はい、ウソです。実家に帰れば3匹の柴犬が待ってる身だよ俺は。
 天を仰ぐしかなかった。
 ……ああもう、お手上げだ。
 どうしても俺に言わせたいらしい。
 それでも、いいか――今は引き止めるほうが優先順位が上。
 降参して、手は離さずにそのまま階段をのぼる。
 ウソつきだって言われてもいい。
 誤解が解けるまでには、もっと気の利いたことを言えるように決心しておく。
 でも。
 この気持ちだけは、きちんと伝えなきゃ生きてる意味がないだろう、と思った。
 そうしようと思えば、今すぐ手を振り払ってあのドアの向こうへ行くこともできるのに。
 エレナは、無神経だって呼んだはずの俺の手を離さなかった。
 探るような瞳を投げてよこし、足元を見て、また俺を見た。
 ……そんなふうに、じっと見つめられると決心が鈍るんだけど。
 引き寄せようかどうしようかまだ迷っていると、寮のドアを中から押し開けて出てきた誰かとぶつかりそうになる。
≪うわ! おおっと! 悪ィ≫
 階段の一番上で手すりにもたれ、隙間がなくなるくらい胸に抱き寄せた。
 好奇心の入り混じった表情で俺たちを見つめる学生から彼女を遮るように。
 男はふっと笑って階段を降りていった。すぐに陽気な口笛の『ONLY YOU』が聞こえてくる。
 ……騒がしい男だな。
 名前も知らないけど、支持サンキュー。
 そう思って笑った。
 またウソつきだと詰られないように、逃がすつもりはないという意思を込めて抱きしめた。
≪わかった。じゃ、失ったら本当にコワイと思ってるものが何か教えるから≫
≪……え?≫
≪もう少し――ここにいる気、ない?≫
 ちっちゃい頭と肩は腕にきちんと収まった。
 くしゃっとしたコーヒー色の髪をなでる。
 細くてベリーみたいな香りがする髪の毛は、やっぱり触り心地も良かった。
 俺の腕の中で、エレナは安心したようにひとつ吐息をついた。

 

 

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