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サイト開設7周年記念
き み し か い な い


第2話 「なんどでも」
side:RISSEI

 

「……え、美味しいじゃん!」
 雛子の声に驚きがまじるのを、楽しい気持ちで聞いた。
「だからオススメだって言っただろ」
 鼻で笑ってやったが、返事するのも忘れるほどせっせとレンゲを動かしている。
 芝麻糊は見た目が黒々としているせいでぎょっとされることもあるけど、日本には汁粉という似通った食べ物があるから気にならないひとも多い。
 インスタントじゃなく、天然の黒ごまを練って作ったペーストだ。そこらへんのレストランで出されるものとは違う。
 ……ま、そんなトリビアをひけらかしたところでこいつには関係ないんだろうけど。
 さっきまで世界の終わりを見てきたような顔色だったのに、いまは頬がやわらかな桜色になっていた。
 仕事でどんなヘマをしたのか知らないが、体にやさしいこうしたものを食べられるうちはきっとだいじょうぶだ。
「気に入ったらいつでも食いにきていいぞ」
  一息ついて雛子は、うん、とうなずいた。
「中華デザートってさ、侮れないね。さすが4000年の歴史」
 胸の中に、ぱあっと灯りがともる。ふきだしたくなった。
「……4000年とかなんとか、そんなこと言ってんのは日本人だけだぞ。長すぎて俺らはもう年数なんかだれも口にもしねえ」
 こんなことを言って、ことあるごとに民族の誇りを前向きに刺激してくれる日本人はなかなかいない。
 この国に生まれてよかったと思うのは、雛子みたいなやつと話しているときだ。
 表情がやわらぐのを眺めていたら、厨房のほうから玲がにやにやしながら顔を覗かせているのに気がついた。
 ……ったく、なんかへんな想像してやがるな。
 心で舌打ちしてから、背筋を伸ばす。
「んじゃーな」
「うん、ありがとね」
 身をひるがえす寸前、雛子の髪が偶然俺の肘にふれた。
 ほんの一房だったけど、そこだけ体温があがったような気持ちになる。
 飾り棚のむこう側、厨房に入ろうとすると、奥から出てきた玲が案の定からかうような声で訊いた。
≪なごみ系って感じでかわいいひとだね、立城の彼女?≫
≪うるせえよ≫
 なごみ系という言葉はなかなか当たってるなと思いながら、手を振って追い払った。ふたりでしゃべるときはたいがい広東語だ。
≪3番テーブルにジャスミン茶お持ちしまーす≫
 銀の盆にティーポットとカップをのせて、玲は入れ違いにフロアへと出ていった。

 

  |||||     |||||     |||||

 

 中学校まで地元の華僑学校に通ったけれど、日本生まれの日本育ち、家庭と学校を一歩出れば日本語という環境で育った。
 日本では、華僑学校を含めた民族学校は各種学校としてしか認められていない。
 たとえ日本語に不自由してなくても、日本の高校を出ておかなければ、大学受験のときにややこしい手順を踏まなければならないのが俺ら華僑や華人の子弟だ。
 だから高校は県立高校へ進学した。
 高校では名前をいうと好奇の目をむけてくるひともいたけれど、おなじ中学の出身者もいたし、みんなでがやがややっているうちにだれも気にしなくなった。
 その後で進んだ大学のバドミントン同好会で、小牧雛子と知り合いになった。
 気晴らしに足を運んだ同好会で顔を見かけて、そういえば同じ学部だったなと思ったのが最初だった。  
 ……あれは、大学に入った年の秋だったと思う。まだ苗字で呼びあっていたころのことだった。
「ごめんね。ほんとごめん……」
 何十回目かの『ごめん』をつぶやいて、雛子が盛大に鼻をすすった。
「べつに雛子のせいじゃないでしょ。そんなに泣かなくても」
 ファミレスのシートで横に座った斎藤が肩をゆすってなぐさめる。体育会系に細胞まで染まっている彼女は動きも声も大きいせいか、刺激されて雛子の目からはいっそう涙があふれた。
「あーあ、これはしばらく泣かさないとだめかなぁ……雷、あとは任せた」
 向かいに座っていた俺にオシボリを手渡して、斎藤はすべるようにシートから腰を浮かせた。
 ちょっと待て。
「なんで俺?」
「だって混合ダブルス組んだのは雷でしょ。一勝もできなかった雛子は、無駄にうまいあんたが自分と組んだせいで優勝杯逃したと思ってんだから」
 『一勝もできなかった雛子は』のくだりで泣き声が大きくなった。
 ……斎藤という女は頼りになるし根はいいやつなんだが、ときどき言葉が乱暴になることがある。
 しかもいま言ったことはおおむね真実だから始末に悪い。
 オシボリをひらひらと振ってもう行ってくれ、と合図すると、斎藤は嬉々として別のテーブルに移っていった。  
 でも、しばらく泣かせたほうがいいというのは当たっている、と思った。とりあえずテーブルに備えつけてあるメニューを手にとって眺める。
 ……中華はあんまり期待できそうにない品揃えだが、デザートは美味そうだ。
 まだ鼻をすする音は続いていたけど、手付かずのお冷から氷を数個取りだして、これも手付かずのオシボリを広げてその上に置き、包む。
「いつまでも泣いてるんだったら目に当ててろ。あとでハニワみたいになっても知らねえぞ」
 テーブル越しに差しだすと、雛子はやっとすこし顔をあげた。
「……雷くんてさ、けっこうドライだよね」
「『泣くな』とか言うとでも思ってたわけか」
 はいはい、スイマセンネー、そんな優しい男じゃなくて。
「俺がごちゃごちゃ言ったところで泣くやつは泣くだろ。むりに抑えないほうがいいってこともあるし?」
 そう言うと、ぐっとくちびるにちからを込め、オシボリで作った氷嚢を手にとった。
 両目の間にそれを当て、大きく息をつく。前髪がゆれた。
「なんか食うか。抹茶パフェ? かぼちゃのプリン? 黒糖ケーキも美味そうだな」
「怒ってないの」
 絞りだすような声だった。
 手にしていたメニューをテーブルの上に置き、まぶたをオシボリで隠している雛子を見た。
「優勝杯なんて本気で狙ってたと思ってんのか?」
「だって」
「うちの同好会は、楽しむのが目的だと思ってたんだけど。賞がほしいなら、もっと本格的な部を狙ってるって。それに、バドミントンで世界制覇するために大学入ったんじゃないぞ俺は」
 わざと大げさに言ってやった。うちの同好会ごときで世界制覇なんて、ミラクルすぎて逆に笑えると思った。
 でも雛子は笑わなかった。
 雛子を見ていると、俺ってなんてちゃらんぽらんなんだろうと思うときがある。
 彼女の目に映る世界では、ひとはみんな優秀でまじめで、まるで雛子だけが足手まといのようだ。
 そんなことは決してない。すくなくとも俺にとってはそうじゃない。
 どんなふうに言えば伝わるんだろう。
 ……だいたい、楽しまなきゃならないはずのこんな同好会が理由で泣くなんて理解できない。
 『必要以上に悩んだり苦しんだりすると、栄養が不本意な使われかたをする』というのが、雷家の家訓だった。
 体や頭にまわるはずの栄養が足りなくなる。だから悩むな、と子どものころからいまでも、ばあちゃんにしつこく言われている。
 それが本当かどうかは別にして、生きやすくなるような気はしていた。
 つらいときに自分を生きやすくすることは、悪いことなんかじゃない。
 そう伝えたかった。
「……小牧ってさ、ちゃんとめし食ってんのか」
 メニューを指先でたたきながら訊く。
「え」
 さっと顔があがり、一瞬だけ目が合った。
 予想どおり、まぶたがぷっくり腫れあがってたのでふきだした。
「わ、笑わなくてもいいでしょ」
「悪い……でもすげえ顔になってるぞ」
「どうせ元からすごい顔ですよーだ」
「元からなんていってねえだろ」
「じゃあすごい顔ってどういう意味よ?」
「そういう顔」
 ハニワみたいになったまぶたと赤くなった鼻を指さして、笑った。
「あはははは」
「あははははじゃないっ!」
「いいからなにか頼め。ついでにめしも食っていけ。ちゃんと食べねえと、栄養まわんなくなっていつか倒れるぞ」
「話しをすりかえないでよ。香港人はいつでも食べることしか頭にないんだから」
「日本人だって『腹が減っては軍はできぬ』とか言ってんじゃん」
 うるさーい、と一蹴された。
 ……けっこう元気じゃねえか。
 テーブルに頬杖をつき、横を向いて笑いをこらえた。
 こらえながら思っていた。


 ――なんどでも。
 なんどでも励ますよ。
 それでおまえが元気になるなら。

 


 

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07/22/2007