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エスコートがくるまえに


side:JUSTIN
第2話 「CROSS ME OUT!」


 指先がオレンジ色のリムに触れて、びいんと音をたてた。
≪楽勝! 得点もMVPも俺がいっただきー!≫
 鏡のように磨かれた床に着地しながら雄叫びをあげる。最高の気分だった。
≪だれがMVPだよ、だれが≫
≪5フィート10でそこまで飛べるなんて詐欺だぜ、ジャス≫
 俺より3インチは背が高いアイヴンとグレンがあきれてつぶやいた。
≪おう、ほざけほざけ≫
 煽るように手をひらひらさせてやる。
 ウエスト・ジムで顔を合わせたいつもの連中と、飛び入り参加を迎えた3オン3は、俺らのチームがべらぼうな勝利を収めて気分がよかった。
≪俺らこれから『ミシェルズ』まで行くけどおまえも来るか?≫
 シャワーで汗を流したあと、アイヴンが他の仲間を顎で指して訊いてきた。
≪あー、俺このあとバイト≫
 またな、と言い交わしてジムを出る。
 夕闇まではまだ間があったけど、太陽は西に傾きはじめていた。すこし遠回りをして、また『クイック・ストップ』まで足を伸ばそうと決めた。
 あれからウエスト・ジムからの帰りは、寮とは正反対の位置にあるコンビニエンス・ストアに寄ることにしていた。
 あのときのことを思い返すと、自分でも笑いたくなるほど……かっこわるかった。
 せめてもう一度会えたら、そのときはすこしマシなフォローができるんじゃないか。
 ……だけどフォローしてそのあとどうしたいのか、どうなりたいのか自分のことながらさっぱり見当もつかない。
 ひとめぼれなんて信じない。そんなことは自分の身には起こらない。
 いままでがそうだったし、これからもそうに決まってる。
 きっと。
 たぶん。
 なのに、差しだしたハーブティーを受け取ったときに見えた、涙のたまった大きな目が忘れられない。
 同じアジア系とは思えないほど澄んだ、アイボリーのような色の肌。
 アリゾナの強烈な日差しを浴びて灼けた俺の肌とは大違いだった。
 ユキノ。
 もう一度、その名前をなぞるように心でつぶやいた。

 

  |||||     |||||     |||||

 

≪わたしは雪野。日本人留学生≫
≪へぇ、留学生か……ようこそアリゾナへ、ユキノ≫ 
 そんなことを言って握手をかわした。
 アパートの近くまで送る途中で話しながらびっくりした。
≪えっ、4年生シニア?!≫
 ということは――俺より年上か。
 もうすこしで持っていたバスケットボールを落としそうになった。手洗い場で洗ってきれいにしたおかげで、ボールの表面がまだしめっている。
≪……どうりで英語が達者なわけだ≫
 苦しまぎれのいいわけをした。英語はたしかに上手だったけど、顔立ちも声も体つきもとても年上には見えなかった。
≪1年生フレッシュマンかと思った? とてもそうは見えないって言いたいんでしょう≫
 ユキノはばっさりと俺の心中を言い当てて笑った。怒ってるような笑いかたじゃなかった。
≪よく言われるからもう慣れた。あなたは? ジャスティン≫
≪この秋から3年生ジュニア
≪専攻はなにを取ってるの≫
≪犯罪刑事学と社会学≫
≪犯罪刑事学……ってことは、警察の仕事に就きたいの?≫
≪うん、そう考えてるよ。きみは?≫
≪わたしはデザイン専攻。本当はランドスケープを希望してたんだけど、今はプロダクトデザインに方向変換したの≫
 そんなあたりさわりのない会話をしながら、真っ暗になった道をアパートの前まで歩いた。
 これが恋愛映画なら、ロマンティックな音楽が流れたりしてなにか期待させるような雰囲気になるんだろうけど、そんなうまい展開が待ってるはずもなく、会話はそこで間があいた。
 ふだんのエスコートはこうるさいケイリーがいっしょで、彼女がほとんどの会話をひきうけてくれるから、こんなふうに一対一で話す機会はあまりない。
≪……ここまでで大丈夫≫
 アパートへと続くコンクリートの小道の前までくると、ユキノが言った。
 すこし低めのやわらかい声と落ち着いた話しかたのせいか、わずかに名残惜しい気持ちになった。
 同時に、一人きりでキャンパスの反対側まで帰る道すがら、彼女のことを思い出せばとても幸せになるような気持ちもした。
 目には見えないけど、たしかに純化された空気をもらって帰るような、そんな感じだ。
≪エスコートしてくれてありがとう。もしあなたがいなかったらと思うと、何度お礼を言っても足りない≫
≪当然のことをしたまでだよ。だれだって、怖い思いをするのはいやだろ……ま、正義の味方としてはもうちょっとかっこいい登場のほうがよかったけど≫
 そんなドラマティックなことはなかなか起こらないってのは、俺がいちばんよく知っている。
 そこでユキノは一瞬視線を上げ、なにか言いたそうに口をひらきかけて、やめた。
 できそこないのしゃっくりみたいなその動作が、わけもなく気になって心臓の動きが速くなる。
≪じゃあ、おやすみなさい≫
≪……おやすみ≫


  |||||     |||||     |||||

 

 ――たかだかあれだけのことで、心に残る人物がいるなんて信じられなかった。
 よけいな理由をごちゃごちゃ考えるまえに、あの店まで行けばまた会えるような気がした。
 『クイック・ストップ』まで徒歩で行き、ガラスのドアを押し開ける。まっすぐ向かうのはペットボトルの並んだ冷蔵庫前。
 そこからミネラルウォーターを1本つかみだし、冷蔵庫のドアを閉める。
 レジに向かいながら、穀物とはちみつから作られたグレイン・バーも2本手にとる。遅い夕食の前に、とりあえずこれで腹ごしらえができるはずだった。
 店のロゴがプリントされた青いベストを着た店員がそっけなく金額を告げる。
 ポケットのドル札で会計を済ませ、釣りとグレイン・バーをポケットに戻して外に出た。そろそろ夕暮れが近づいている外の世界は、オレンジ色に染まっていた。
 『クイック・ストップ』と書かれた看板の下でミネラルウォーターの入ったペットボトルを開け、口に流しこむ。
 気の済むまで喉をうるおす。
 一息ついて正面を向いたとき、駐車場を横切って歩いてくる大きなポートフォリオケースが目に入った。
 ケースが大きすぎるのか持ち主が小さいのか、人間に背負われてるんだと判別するのに何秒もかかった。
 ――あれは。
 黒くて平たい合皮製のポートフォリオケース。
 デザイン専攻の学生がよく持っているやつだ、と気づく前にもう足が動きだしていた。
 オレンジの夕日の中、よたよた進んでくるそのひとの白い腕は危なっかしいほど頼りない。
 黒い髪のてっぺんがあらわれ、重そうなケースを反対側の肩にかけなおしたとき、横顔が見えた。
 通りがかりの男子学生が、見かねて駐車場を横切ってくる。
 先を越されてたまるか。弾かれたように早足になった。
≪――ユキノ!≫
 たぶん、俺の声はかなり切羽詰っていたんだろう。
 ユキノと、それから彼女に追いつこうとしていた男子学生の両方が同時に俺を見た。
≪手伝うよ≫
 言いながらポートフォリオ・ケースを指で示した。
≪びっくりした……ジャスティン?≫
 ユキノが笑顔を見せる。
 それに応えてから、背後の男子学生をペットボトルを振って追い払った。ちょっと肩をすくめて、その男はユキノが振り返る直前にきびすを返した。
≪だれかいたの?≫
≪いや、戦意喪失したらしい≫
≪は?≫
 大きな目で見返されて、心臓がとびはねた。
 ……どうするんだよ、すげえ浮かれてるぞ俺。
 落ち着かせようとしてもまったくうまくいかない鼓動を抱えながら、ユキノが肩からおろしたポートフォリオ・ケースを背負いあげる。ずっしりと重かった。
≪そこまでだから自分で持っていけるのに……≫
≪そこまでだったら手伝うのもどうってことないだろ≫
 言われたことを考えていたのかわずかな間があいて、ユキノはありがとう、と言った。ゆっくりしてるけれどきれいな発音だった。
 アメリカ人だったらもっとくだけた言い回しになっただろう。
 ひとつひとつのそういう小さなことが、留学生なんだなあと思わせる。さっきの『戦意喪失』だって、意思表示のつもりだったけど、もしかしたら気づいてなかったかもしれない。
 アパートまでの短い道のりを、いっしょに歩き出す。ウェーブのついた長い髪が、彼女の肩の上で乾いた風になびいていた。
≪今日はこれからバイト?≫
≪そう。夜中まで、呼び出されればどこへでもエスコートにうかがいます≫
≪うわ、大変だね≫
≪これ、ポートフォリオのレビュー?≫
 右肩に背負った黒いケースを指して訊くと、ユキノがうなずいた。
≪院へ行くまえの、最後の大仕事。もうほとんど終わったからちょっと気がらくかな≫
 肩のあたりから楽しそうに笑う空気が伝わってくる。
 このひと、アメリカの女の子よりずっと細いんだな。白い腕も折れそうなほど華奢だし、声もゆるやかでやさしい。
 日本の女の子はみんなこんななんだろうか。
≪うちの大学院へ行くんだ? じゃあまだこの先もここにいるんだな≫
≪まだまだ、あきれるくらい勉強しないと卒業できないよー≫
 あはは、とユキノが笑う。つられて髪が揺れた。
≪水曜はイブニングクラスがあるんだろ?≫
≪よく覚えてたね≫
≪そりゃあね……あのさ、良かったら≫
 言いながら、でかい賭けに出てるような気分になった。息を吸いこんで続ける。
≪良かったら、エスコートさせてくれないか? 水曜はいつも≫
 ひた、とユキノが歩みを止めた。
 俺を見上げる茶色の目が驚きに染まっている。
 このひとの横を占領できるのが俺だけだといいのにな。
≪このあいだから、危なっかしすぎる≫
≪は?≫
 ユキノが目じりを下げる。口元は笑ったまま、まっすぐ俺を見つめてくる。
 頭の芯が揺らぐくらい、その目に参っていた。たたみかけるように言った。
≪きみのことがどうしてもほうっておけない。ひとりにできない。水曜の夜は俺がエスコートするよ。いいだろ≫
 このあいだのディスターバンスに関わったやつらやさっきの『戦意喪失』した男を目にして、言わずにはいられなかった。
 ひとめぼれなんて信じない。
 そんなことは自分の身には起こらない。
 いままでがそうだったし、これからもそうだ。
 ――でも、そんなのは思い込みだった。
 この際、上から線を引いてかき消してしまえ。
 自分で自分に大きなバツ印をつけることが、こんなに爽快だなんて知ったのははじめてだった。

 

 

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