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エスコートがくるまえに


side:YUKINO
第7話 「HEARTACHING・II」

 

≪どうしたんだよ?≫
 おでこの上のあたりからジャスティンのそんな声が落ちてきて、CDを持つ手がほんのすこしだけ震えてしまった。
 困惑を隠そうとしたような、不意にこぼれてしまった笑みを思わせる声音だった。
 両手でCDを包みながら、わたしはもういちど繰り返した。
≪ごめん≫
 こんなことが言いたかったんじゃないのに。
 謝ることしかできない自分に腹が立つ。
≪なんで謝るんだよ、まずいことしたのは俺のほうだろ?≫
 当たりまえのように彼が言う。
 まっすぐに顔を見ることができなくて、また視線を落としてしまった。
≪……ごめん、もう急に髪なでたりしないから≫
≪そうじゃないの。髪のことなんかじゃ――≫
 首を振るわたしに、ジャスティンが息を止めるようにして黙りこんだ。
≪あの、あのね……ファイナルが終わったら、すぐ日本に帰る予定なの≫
 こんなふうに言うつもりじゃなかった。
 最後に帰国したのは2年前だから、ほんとうにひさしぶりなんだ。
 楽しい夏休みを日本で過ごして、秋学期からは大学院生――。
 さらりと告げるつもりだった。
 なのにジャスティンにふれられたら、そんな自分がすごく薄っぺらい人間だったように思えてつらくなってしまった。
≪帰るって……どのくらい?≫
≪8月まで≫
≪でも、それって予定だろ。まだ航空券は買ってないんだよな?≫
≪旅行会社の人に早く買ったほうが安いよって言われて……もう買ってあるの≫
 消え入りそうなわたしの声に、ジャスティンがため息をついた。
 そう。
 この夏の予定を決めたのは彼と知り合う前だったから、なあんにも迷うことなんかなかった。
 ただ自分のことだけを考えていればよかったんだ。
 いちばん安い航空券で帰国したら、夏中バイトしてすこしでも学費の足しにしようと思っていた。
≪変えられないのか? その、予定を短くするとかもっと後に延ばすとか≫
 ジャスティンの声が請うような響きを帯びた。
 その瞬間、うっかり紙で手を切ったときのような痛みが体に走った。
 ……そうか。
 今わかった。
 もし外国人と恋愛するなら、それってこういうことだったんだ。
 二人のうちすくなくともどちらか一方は母国を離れているんだから、長期の休みは帰国する可能性もあるんだってこと。
 そのあいだ、どうなるの?
 待つほうも待たせるほうも。
 今までは見えなかったもうひとつの面が、はっきりと浮かびあがった。
≪雪野?≫
 ジャスティンがCDの並んでいる壁に右手を伸ばす。
 下ばかり向いているわたしの顔を覗きこんだそのとき、彼の顎がわたしの髪にふれた。
 深い赤色のTシャツの胸が、すぐそばまで近づいている。
 ほとんど肩を包まれるような格好になった。
 何かにつかまっていないと泣きだしそうな気がして、静かに彼のTシャツを引き寄せた。
≪雪野≫
 今度は問いかけじゃなかった。
 でも何も答えられなかった。
 ジャスティンの左手がわたしの頭のてっぺんにふれて、そして、なでるようにそっと髪をすべる。
 答えられない。
 答えられないその気持ちが、自分の答えなんだろうと思った。

 

  |||||     |||||     |||||

 

 フォーラムのイースト・ウィングで、目前に迫った期末試験の勉強をしていた。
 ……いや、ほんとうのところは勉強しようと努力していた。
 やっとできあがったパッケージ・デザインの課題は昨日提出した。
 マーケティング・アートのペーパーも無事終わり、あとは記述式と選択式の試験を待つのみ。
 なのに。
 視線はさっきからノートを遠く離れるばかりで、気がつくとノキアばかりに手が伸びてしまう。


『空、見てる?』
 空の片隅にきれいな虹を見つけたあの日、わたしの携帯電話に届いたジャスティンからのメール。
 もういちどひらいて読み返した。
『きれいな虹がかかってるよ。雪野も見てるといいな』
 対するわたしの返信メールは、『見たよ』というタイトルで始まっている。
『きれいな虹! あの虹の下では雨が降ってるのかな? アリゾナで雨なんて珍しいよね :-)』
 そう。
 雨ですら珍しいこの州では、大きな虹を見ることはもっと珍しい。
 だから、そんな奇跡みたいな状況を分けあうことができてうれしかった。
 となりにジャスティンがいたらよかったのに……正直な気持ちをいえば、あの時そんなふうに考えていた。
 そして2通目のメールを見たとき、声を立てて笑っちゃったんだっけ。
『雨なら雪ほど珍しくはないよ。だって、きみの名前がはじめてだもん。ここで俺が見た"雪"はね ;-)』
 ただ意見をのむだけじゃなくて、こっちの言い分も聞いてもらわなきゃ。それができてこそ対等――そんなことを考えてたはずだったのに、なんだか彼の思うつぼだな、わたし。
 でも。
 たとえば思うつぼにはまってるとしても、ジャスティンが相手だとぜんぜんいやな感じがしない。
 いやじゃないし、それどころか要所要所で自分のことを尊重してもらってるような気さえする。
 そんなことを考えていたから、虹を見つけたあの日はずっと笑顔ですごせた。

 
 ――思い出しながら文面を見ていたら、鼻のつけ根がつうんとした熱を帯びた。
 あわてて椅子に座りなおし、アイスカプチーノに手を伸ばす。
 透明なカップから突き出たストローを吸うと、ほろ苦さが口いっぱいに広がってさっきまでの熱が冷めた。
 CDショップでのできごと以来、以前にも増してジャスティンに送ってもらうことが多くなった。
 今日もイースト・ウィングで待ち合わせて、アパートまで送ってもらう予定だ。あと15分もすればバイトの合間を縫って、文字通り駆けつけてくれる。
 楽しい話題を持ち出してきたり、他愛もない冗談を言ったりするばかりで、彼はあれから一度も『帰国』という言葉を口にしない。
 わたしもその話題を避けようとして似たようなことばかり話してしたから、気持ちは痛いほどわかった。
 しっかりしなくちゃ。
 ノートと教科書を引き寄せて、頭を紙面に集中させた。
 蛍光色のハイライターを手にとろうとしたところで、テーブルの上のノキアが震えた。
 右手でさっとノキアをつかみ、小さな画面を確かめる。
 ジャスティンからのメールだった。
 気持ちを落ち着けてから、メールをひらいた。
『たとえばきみが夏のあいだじゅう地球の反対側にいるんだとしても、俺の気持ちはすこしも変わらない』
 吸いこんだ息がため息となってこぼれる。
『だから、日本を楽しんできて。そして、帰ってきたらまっさきに俺と会って―ジャス』
 文末に署名されたジャスというニックネームが、もうれつに胸が痛くなったせいで視界からにじんでしまった。
 誤って削除してしまわないように、すぐに保護をかけなくちゃ、と思った。
 だけど指が震えてうまくできない。
 また鼻のつけ根がつんとしてきた。
 ……ほんとうに、しっかりしなくちゃ。
 もうすぐジャスティンがここに迎えにくる。
 泣いてる場合じゃない。
 涙はちゃんとふいておかなくちゃ。
 エスコートがくるまえに。

 

 

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3/25/2009