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|| | | |  アイスレベルへようこそ  −1st period−  | | | ||


知ってる?
氷も
熱を抱く瞬間があるってこと――。

 

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「――ごめんなさい……すいませーん」
 151センチの身長を屈めて、これでもかってほど頭を低くした。
 膝を曲げて作ってもらったベンチと足の隙間をそろりそろりと進む。
 両手には紙コップに入ったコーヒーが3個。ダンボールの台にはめ込まれている。
「あ、ちず!」
 ベンチの間から声がした。グレイスだ。
 その向こう側の席からメガネをかけた夏目さんが会釈してくれたので、わたしもこっくりとお辞儀を返す。
「こんにちは。どぉ? 調子?」
 やっとベンチまでたどりつき、腰かけながらコーヒーを差し出した。
「もー大変!」
 となりの席に座っている親友は慣れた様子で紙コップをふたつとり、片方を夏目さんに手渡す。
「さっきホールディングで小突かれて、向こうの30番殴り返しちゃってメジャーペナルティでボックス行き。相手は鼻血ぶー、担架でアウト」
「ひえぇ」
 わたしとグレイスは顔を見合わせてのけぞり、それからいっしょにリンクへと視線を移した。
 アイスレベルと呼ばれる、リンクに近い席。
 鼻先を冷たい空気がかすめてゆく。じっとしていると指先からどんどん凍えそうな気さえする。
 もう何度も訪れた白いリンクの冷え切った空間に、がつん、ごつっと固い音が響いた。
 ときおり雪煙のように氷を巻き上げ滑ってゆくプレイヤーたちに目を向けながら、コーヒーをすすった。
 ――8番・SATO。
 あの番号を背負った大柄な男だけ、何をしていてもどこにいてもわたしの視界に飛びこんでくる。
 ホイッスルが鳴り、音楽が流れ、刻々と試合が変化してゆく。
 スコアは2対1。
 勝ち点では彼のチームのほうが上だけど、ここ何試合もいい成績を出してない。
 ……氷の神様に祈りたいのはこんな時だ。
「今日はゴール前ごちゃついてて、マユくんも調子悪そう……なんであんなに先走るかなー、ドミのやつ」
 つぶやくグレイスの丸っこい横顔が心配の色に染まる。
 二つ違いの弟と同じ、くせ毛の黒髪にハシバミ色の瞳。手袋の両手でコーヒーの入った紙コップをにぎっている。
「強気で進むと本当に運がついてきたりする時って、あるじゃない? きっと……試したいんだよ、自分のこと」
 同じように紙コップで手を温めながら、わたしは続けた。
「リンクって、なんだかドミには小さすぎるみたい……」
「ていうか……あいつがデカすぎるだけなんじゃない? 毛布から足はみ出しちゃってて、仕方ないから行李足してんのよ、ベッドの端」
 わたしたちは声をたてて笑った。
『行李』なんて古い言葉がでてくるあたり、おばさんの影響だなぁ、とふと思う。
 ――佐藤グレイスのお母さんは、チェコ共和国がまだチェコスロバキアと呼ばれていた頃から大学教授をしている。
 同じ大学で知り合ったチェコ人の男性と結婚してグレイスとドミニク、それに弟のカレルと妹のメイを産んだ。
 チェコでは日本文学を教えていたけど、今は日本の女子大でチェコ語や比較文化も受け持っている。
 ドミニクはアイスホッケー好きだったお父さんの影響でホッケーを始め、日本に移住してきた頃にはもういっぱしのホッケー技術が身についていたらしい。
 同級生だったわたしとグレイスは、小中高と同じ学校に通った頃も今もいちばんの仲良しだ。
 反対に、ぐんぐん背が伸びて、会うたびにわたしを『肘掛け』と呼んだドミニクは天敵だった。
 ……そう。
 彼の試合を初めてこのリンクで見た、あの時までは――。

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「――ちーくしょー! 負けたぁぁ! 氷の神様なんて、絶対いねえ!!」
 リンクの入り口でグレイスと夏目さんと別れ、1階にあるホッケー・ショップに立ち寄った。
 店内にいた高校生から、ぎょっとした視線が飛んでくる。
「やめてよ、声が大きいってば」
 わたしは彼のセーターのそでを引くと、隠れるようにメンテナンス室に踏み込んだ。
「だいたいおまえはちゃんと応援したのかよ。身長と同じで声もちいせーんだよ、 ちずは!」
 ぐしゃ、とわたしの髪の毛を片手でかき回し、頭にどっしりと肘を乗せてくる。
 ……したもん、応援。
 喉が枯れるほど大声だして、彼がペナルティ取られた時はメガホン振り回して騒いで前の席にいた人から迷惑がられたのに。
 いつだって力いっぱい応援してるのに……届いてないわけ?
「グレイシーは? 夏目さんと帰った?」
「うん」
 彼は姉のことをグレイシーと呼ぶ。
 たまに『グレ』と短くすることもあるけど、佐藤家のきょうだいは愛情を込めてみんな愛称を使う。だから彼も『ドミ』。
 夏目さんはグレイスの婚約者だ。彼の職場がリンクの近くなので、もうすぐ結婚を控えたグレイスは試合の後で待ち合わせて帰ることが多くなった。
 おかげでわたしは、密かに親友をダシに使ってドミに会いに来れるんだけど。
 こいつはニブいから、わたしの気持ちになんか気づいてないらしい。
「……今日さー、飛んだでしょ? 3ピリ始まってすぐ」
 肘の下から見上げて訊いた。
「ディフェンスと呼べ」
「なぁにカッコつけてんだか。おへそ出してたくせに」
 第3ピリオド開始後間もなく、黛くんがワンタイマーショットを受けそうになる場面があった。
 ゴール近くを守っていたドミは、とっさに体をなげうってスティックでパックを弾いた。
 しかもディフェンスに力が入るあまり、リンクを蹴って飛んだ瞬間ジャージのすそがめくれあがる、というパフォーマンス付き。
 アイスレベルからは、そんな彼のおへそまでよく見えた。
「そーそー、あれで何人のハートをつかんだか」
「……知ってる? そう思ってるのは本人だけだって」
「あぁ? 俺を誰だと思ってる? 人気投票ダントツ一位だぞ? たまにゃーファンサービスしなくてどうする」
「大げさ」
 ……おへそ見て喜ぶファンはそんなに多くないと思うわホント。
「ま、いいって。おまえの気持ちもわかる、ちず」
「何が」
「隠すな隠すな。グレイシーの結婚が決まって自分だけ一人なのがさみしいんだろ?」
「なっ」
「いくら仲がいいからってよー、それと結婚は別モノだべ? そんなに妬くなよなー」
 ぐっと覗きこんでくる二重まぶたのはっきりした目元が柔らかく下がって、頬の上にまつげが影を作る。
「や、妬いてなんかいーまーせーんー……わたしだってつきあってる人くらいいるもん」
「あっ、やべ、ツメ割れてる! 見てこれ、ぱっきり」
 ……人の話を聞きなさいよコラ。
 とってつけたように右手のツメを確かめ出す彼を睨みあげた。
「ドミこそ独り者のくせに何言ってんのよ」
「俺は世界中の女の子が恋人だからいーんだよ。ほら、『結婚してください』とかコメントもらったし? どーよ?」
 頭の上から、もらった投票用紙を自慢げに見せつけてくる。
 ……やだ、誰からもらったのか知らないけど、いつも持ち歩いてるのかしら、あの紙?
「ちょっと、いつまでそうしてんの……重いんだけど!」
「ちずちずちーずーちーずー」
 まだわたしの頭に肘を乗せたまま、『ドナドナ』の節をつけて歌う。ここが俺の定位置だ、と言わんばかりの態度。
 ……こいつって、どうしてこうなんだろう。
 のしかかる肘の重さに耐えながらため息が出た。
「もういい、おへそバンバン見せて冷やしてお腹こわしても知らない」
「あんだって? ぶつぶつ小言が多いなー俺の肘掛けは」
「でかきゃーいいってもんじゃないでしょ!」
 その時、開いたままになっていたメンテナンス室のドアの向こうに人影が現れた。
「――げ、佐藤がいる」
 ものすごくイヤそうな声。
 大きな黒いバッグを持ったその人は一瞬だけこちらを見て、またすぐ引き返そうとした。
 途端に頭上が軽くなる。
「ちょっと待てよオイ! それが女房役の態度かこの野郎、マユ!」
 逃げようとしたダッフルコートの黛くんを羽交い絞めにしてドミが抗議した。
「誰が女房役だ、離せ!」
「うっせぇ、早くシューズのメンテしろ」
 ずるずる引きずられながら、黛くんが仕方なさそうにメンテナンス室に入ってきた。
 その後ろから、ほっそりした女の人が姿を見せる。
 ……響子さん。
 どきり、とわたしの心臓が音を紡いだ。
「こんにちは」
 彼女はわたしとドミの両方にそう言ってわずかに頭を下げた。ココアみたいな色をしたつやのある髪が揺れる。
 アイスブルーのニットが肌をいっそう白く、きれいに見せている。
 わたしはジーンズと、ぼそぼそした古いセーター。
 髪も邪魔にならないよう三つ編みにしてピンで留めただけだし。
 今日はずっとアトリエ作業の日だったから、汚れてもいい服装で来たんだ。
 急に自分の格好が気になりだした。
「すぐ終わるから、少し待ってて」
 控えめに黛くんが言い、響子さんは部屋の隅にあったプラスティックの椅子に腰を下ろす。
 彼の脱いだコートを受けとって膝の上に置く時、ドミも彼女を見ているのがわかった。

 ああ、神様。
 どうか。
 佐藤ドミニクが世界でいちばん輝く日が、1日でも増えますように――。

 

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【 役に立つかもしれないアイスホッケー用語の説明@パグのしっぽ 】
ホールディング…手やスティックで相手選手をつかんだり押さえつけること。
メジャーペナルティ…5分間ペナルティボックスに拘束される反則。
ワンタイマーショット…受けたパスをそのままシュートする打ち方のこと。早いのでゴーリーの意表をつきやすい。