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|| | | |  アイスレベルへようこそ  −2nd period−  | | | ||

 

 

「……どうして出てきちゃったの?」
 先に帰る、と言い残してホッケーショップを出た千鶴に追いつき、夕闇の中を連れ立って駅まで歩いた。
「だって、おまえちっちゃいから人さらいとか神隠しとかに遭いそうで怖いんだもん」
「はぁ?!」
 目を見開いて俺を見上げながら、わたしはオコサマか、とボヤく。
「マユくんと響子さんといっしょにゴハン食べに行けば良かったのに」
「けっ、ばかくせー」
 あいつらといっしょにメシなんか食えるか。
「なぁに、珍しい。諦めたの?……響子さん、『ハーフ』って呼んだのに殴られなかった人、って有名だよ」
 笑ってるような声に体の内側をひっかかれた。
 グレイシーの親友だけあって、千鶴は俺がそう呼ばれることに抵抗があることをずっと昔から肌で理解している。
 だけど今は小賢しい分、面倒くさくて胸の中がチリチリした。
「何おまえ? 俺はいちいちおまえに報告しないといけないわけ? たかが2つ年上だからってガキ扱いすんな、エラソーに」
 追い越しざまに、ふん、と鼻を鳴らしてやる。
 今度は千鶴のほうが歩く速度を上げて俺を追い越した。
「そんなこと言ってないじゃん! 年のことなんか気にしてんのがガキな証拠」 
「うっせぇ!」
「デカイ図体してるくせに誰があんたなんか年下だと思うってのよ? どっからどう見ても保護者とコドモでしょ!」
 ……ま、それも一理あるよな、と思いながらもう引っ込みがつかなかった。
「あーそうですか。じゃあオコサマは神隠しに遭わないうちにとっとと帰れ。ついてくんな」
「言われなくても帰りますー。駅がこっちなんですよーだ」
 どうしてこいつの言葉はこうもシャクに障るんだろう。
 黙ったままでしばらく歩く。
 同じ速度で歩くには小走りしなきゃならないってのに、負けず嫌いのちずはいつまでも俺の前を歩いた。
 駅の入り口が見えてきたところで、いつもの改札とは逆のほうへ進み、思い出したように立ち止まると振り返る。
「買い物があるから! ここで!」
 反り返りそうな勢いで俺を睨んだ。
 ……勝手にしろ、と思いながら無言で見下ろす。
 身長差38センチ。
 はるか頭上から睨みつけてやったのに、千鶴は動じる気配もない。
 こいつの精神力って、ワイヤーロープ並なんじゃねえのか。催眠術でも思うようにならないくらい頑丈だぞきっと。
 考えながらさっさと背を向けて改札に向かった。
 ……あー、チクショウ!
 先に目を逸らせたせいで負けた気がしてきた。
 苛立ちまぎれに舌打ちしてやったら、自動改札を出てきたばかりのオジサンが横っ飛びに俺を避けた。

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 それから千鶴とは顔を合わせなくなった。だいたいあいつは昔から、機嫌が悪くなると俺とは口をきかなくなる。
 で、しばらくすると、それまでのことなんかなかったように家に遊びに来て、ついでに俺にも話しかけていく。
 似たようなことは今までにもしょっちゅうあったから、もう気にとめるのもあほらしくなった。
 そうして遠征に出かけて試合をいくつかこなしてるうちに、グレイシーの結婚式がやってきた。
 グレは気を使って今シーズンが終わった後でいい、と言ってくれたけど、気に入った式場があるんだったらとっとと決めろと後押ししたのは俺のほうだ。
 身内の結婚式なんて、料理食ってスピーチを聞いてるフリしてるだけで終わる。
 ずっとニコニコしてなきゃならない主役より遥かにラクだ。
 チャペルとレストランが隣り合わせになったような会場は、その日、華やかな人たちでいっぱいだった。
 次々やってくる親戚や知り合いを受付の後ろから冷やかしていると、小さな千鶴の姿がドアから入ってくるのが見えた。
 コートをクロークに預け、番号札を受けとるとバッグにしまって、こちらに向かって歩いてくる。
 薄い桃の花びらみたいな色をした膝丈のワンピース。首の周りにフワフワした毛がついている。
 普段なら腰に届きそうな長い髪も、後ろでくるくるまとめて正面から毛先だけ見えるように留めてあった。
 遠い昔、チェコで見たバレリーナみたいだと思った。
 軽く会釈して受付に挨拶している間も記帳する時も、俺のほうを見ようともしなかった。
 記帳が済み、受付係の女性が千鶴のワンピースにゲスト用の小さな花飾りをつける。
 そこでやっと顔を上げてその瞳が俺を見た。
 ……でっけぇオデコ。
 真ん中で分けた前髪を横に垂らしているせいか、丸くカーブを描く額が際立っている。
 まつげもきちんと上を向いて、まぶたの上が雪の結晶を乗せたみたいにきらきらしていた。
 ……ふうん?
 なんつーか、こいつってけっこう、かわ――。
「――いーッ!」
 俺だけに見えるような角度から、いきなりアカンベーを見舞われた。
 ……な。
 俺が何したっつーんだよ。
 そう訊こうとして口を開いたけど、千鶴は背中を向けるとドスドス足音をさせて化粧室に行ってしまった。
 あんなにムクレなくったっていいじゃねえか。
 ……なんだよ。
 バレリーナみたいで――すっげえ可愛かったのに。



 ――チャペルでの挙式がすべて終わると、となりのレストランに移動して披露宴が開かれた。
 料理が出されて少し経ったところで、暖房の効きすぎた空間から廊下へと逃げ出す。
 暖かすぎる空間は昔から苦手だった。
 中庭に面したガラス窓の前で立ち止まり、早い春の陽射しが庭いっぱいに降り注いでいるのを眺める。
 ……日本てのは、気候が温暖なくせにどこも暖房が効きすぎなんだよなー。
 こんな日に暖房なんか要るもんか。
 考えながら上着を脱ごうとボタンに手をかけたところで、背後から足音がした。
「……髪、まとめたら?」
 声をかけられて振り返る。千鶴が立っていた。
 泣くのを我慢してるような目と、仕方ないな、って感じに笑みを含んだくちびる。
 きちんと化粧をしているせいか、ひさしぶりに会ったせいなのか、いつもと雰囲気が違って見えた。
 息をするほんの短い間、言葉もなく見つめた。
「そのほうがすっきりしてて黒いスーツに合うよ」
 はっとして今の状況に意識を引き戻す。
「あー……今日俺なんにも持ってねぇんだ。結わくもの、ある?」
 こんなものかと思うほど、いつもどおりの言葉が出た。
「……これでいい?」
 自分のワンピースの襟元についていた生花の小さな飾りから、細くて白いリボンをほどいて差し出してくる。
 さっき入り口のところでつけてもらった花だ。
「少女趣味」
 ぽつりとこぼしたら、文句あんの、という表情で睨まれた。
「ちょっと、座って」
「あ?」
「もー、座ってくれないと届かないでしょ。わかってるの?」
「へいへい」
 体がちっちぇわりによくまぁポンポン言葉が出てくるもんだな、と思いつつ、廊下の脇のベンチに腰を下ろしてやる。
 ベンチの背もたれと窓の間に入り、千鶴は俺の肩に手を乗せると指で髪を梳きはじめた。
「伸びたね。願かけか何かしてるの?」
「願かけ? や、別に……あ、ひとつあったか」
「何?」
「スタンレーカップ」
 ふふ、と後ろから緩やかに笑う気配がした。
 胸に飾った花のせいだろうか。ほんのかすかに、千鶴から清らかな香りが漂ってくる。
「いいねぇ、名前彫ってあるとこ、ちゃんと見たいな」
「おう。岸田遼平より先に刻まれてやる」
 ハデな冗談を言ったらまた笑われた。
 耳と耳を結んだ線と同じ位置で、きゅっとひっぱられる感じがした。
 なめらかな衣擦れの音がして、首のあたりがスースーしだす。
「はい、できた。ドミの髪って、グレイスとおんなじ。クセがあるからまとめやすい」
 片手で確かめるように髪に触れてくる。
「ねえ、これ――あの時の傷……?」
 返事をするまでに間があいた。
 髪を伸ばして耳が隠れるようになってからは、こんなふうに誰かから訊かれることもなかったからだ。
 鏡に向かった自分の視界にはもちろん入ってくるけど、もう体の一部になってしまってるからそこにあるのが当然という認識だった。
「そう。あん時のやつ――」
 ……スティックが閃いて側頭部に当たった。
 ヘルメットはあっけなく飛んでゆき、リンクの上に血の染みが落ちる。
 左耳に焼けるような痛み。騒然となった観客の声が頭の中でうゎんうゎんと唸る風みたいにこだました。
 何が起きたのかわかったのは、医務室に運ばれて鏡を見てからだった。
 大丈夫、傷あとが残ることはないですよ、とか言ったヤブ医者は、包帯を取った瞬間顔を引きつらせた。
 あの時から、左の耳には今もカギ裂き状の傷が残ったままだ。
 とんでもないデビュー戦だった。
「おまえとグレイシーはわざわざ医務室まで来て血ィ見て倒れそうになってー、フラフラしながら二人で抱きあってただろ」
「『わざわざ』じゃないでしょ! 『心配して』!」
「……はいはい、お節介にも『心配して』」
 ぺし、と頭の後ろを叩かれた。
「でも、ま、あれで俺のほうがしっかりできたわけだし?」
「……初めての試合だったのに、すぐみんなに覚えられたしね」
「そうかもな……そうだな」
 あの時。
 硬い表情をして震えながら俺を見ていた千鶴に気づいて、そんなにひどいのかと思ったらかえって落ち着けたんだよな。
 そう思い出して、くっと笑った瞬間――。
 肩に少しだけ重みが加わって、左耳の上にあたたかいものが降りてきた。
 ほんの一瞬、気遣うように俺に触れて、また離れていく。
「こうしたら、傷が治ったりしないのかな……?」
 耳元でささやかれた。
 ……はい?!
 びっくりして横を向いたら、頬が何かに激しくぶつかってごつっと音がした。
「いたっ」
 鼻を押さえたまま千鶴が俺から離れる。
 左の頬がじんじんしていたけど、そんなことに構いもせずベンチから立ち上がった。
「……ど、なっ……だ、千鶴?!」
 どうして。
 なにを。
 だって。
 どれひとつまともに言えなかった俺の口から出たのは、千鶴の名前だけだった。
 鼻を押さえながら対峙していたその目が、すっと俺から逸れる。
 かつん、とヒールの音がしてワンピースの裾がひるがえった。
「――ちず!」
 左手を伸ばして彼女の腕をつかみかけた。
「待てって」
「離して! 来ないで!」
 突き刺すようなその声に怯んだ。
 離れたところにいた招待客がちらりとこちらを振り返る。
 はっとした時にはもう、小さな千鶴の姿は廊下の角を曲がってすぐに見えなくなってしまった。
 ものすごい早さで心臓が動いている。
 ……あいつ、なんであんなこと――。

 千鶴がくちびるを落とした左の耳が、燃えるように熱かった。

 

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