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|| | | |  アイスレベルへようこそ  −4th period−  | | | ||

 

 

「……そんなに離れて座んなくたってなんにもしねえよ」
 帰りのバスに乗り込んでシートに座ったとたん、ぴったり窓際にくっついたちずを見て言ってやった。
 うつむく横顔が長い髪に隠れる寸前、さっきまで話してた"あばたのビーナス"を思い出した。
 ――千鶴は美大の大学院に通っている。
 浪人して入った私立の美大を中退して、名前を言えば誰でも知ってる芸術系の国立大学に入り直した。
 だから院生にしちゃ年齢がいってるけど、ま、芸術系の大学ってのがもともと何年もかかって入ってくる人が多いから目立たない。
 小柄なせいもあるのかな。
 流れ落ちるようにゆるく波打つ長い髪の間から見える、丸い額。ボーダーのマフラーを巻きつけたぺらっぺらの肩。
 手のひらが小さい割に、指は長めだ。化粧けのない陶器みたいな肌は、黙ってれば10代に見えるかもしれない。
 ……今まではっきりと自覚したことはなかったけど、千鶴の存在は俺の中でどこか特別な位置にあったんだろう。
 グレイシーの一番の友だち。
 甘えてもイヤがられない、傷つけられる心配すらない姉貴その2みたいな位置。
 そういう認識のほうが先にすりこまれたせいで、無意識のうちに範疇外へと押しやっていた。
 それが、あのキスひとつで変化した。
 耳に触れただけのくちびる。心が乱されるってのは、もっと違う時に使う言葉だと思ってた。
 男がいるってわかっただけで無性にイラついた。
 俺に歯向かう様子すら見せなかった。あの程度の男なら1ダース束になってかかってきてもぶっ潰せる、と喉まで出かかってる自分が可笑しい。
 座席の背もたれに肘を乗せて、となりで揺れてるちずの毛先を確かめるようにそっと指にからめる。
 少し乾いた感じのする、コクのある茶色の毛先が俺の手の中で好き勝手な方向にはねた。
 ……なんだ? なんだよ?
 争ってでも自分のものにしたかったのか? 
 バカな……冗談じゃねぇ。
 ちずみたいなオコサマは、断じて趣味じゃない。
 俺の好みはもっとこうバーンとしてぼーんとくるような迫力満点のだな……って、いやそんなことより、だいたいもし仮にそうならグレイシーになんて言い訳す――。
 そこまで考えたところで、千鶴のまつげが動いて目を上げた。
 どん、と鼓動の音がする。
「何……? じっと見ないで」
 息が詰まりそう、と俺にしか届かないような声で告げられた。
 はっきりと、今度は自分の心臓の揺れ動く音が聞こえる。
 なんだよこれ。
 腹が立つくらいうるさい。
 千鶴の髪を指先から離し、横を向くとバスの窓から外を眺めた。
 ……やばい。
 本気で『何か』したくなってくるなんて――どうかしてる。

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 悲願のチャンピオンをかけ、2勝1敗で始まったプレイオフ4戦目第3ピリオド。
 スコアは2−1。このままリードを守りたい。
 負けられない。どうしても、負けられない。
 考えながらベンチに舞い戻る。リンクの上からは目を離さずに、ベンチのボード裏に置いてあるボトルをつかんで口をすすいだ。
「……あのセンター小賢しすぎて頭にくる」
 となりで汗を拭っていた秋山がそう言い、一瞬、心の中を読まれたのかと思った。
 相槌がわりに答える。
「すげぇイヤなとこにパス出すよな、あの20番」
「なんであんなに手首柔らかいんだよ、犯罪だろあれ?!」
 余裕のなくなった秋山の言葉に笑った。
「まだまだ。体の柔らかさならマユのほうが重罪」
 ゴールネットを指さして言ってやった。
 あいつのバタフライはNHLでも充分通用すると定評がある。
 時折思い出したように膝を屈伸し、早く俺のところへ来てみろと言わんばかりにスティックでゴールクリーズを叩く。

 ……黛秀勢はサイアクの男だ。
 俺とヤツは、大学は違うけどお互いホッケーの強豪校出身だ。
 当然、試合をした数も半端じゃないし顔を合わせた機会もヘドが出るほど多い。
 あの頃からとんでもなく目障りなヤツだったけど、同じ実業団のチームに入った今は迷惑以外のなにものでもない。
 なんで俺が、あの男といっしょにホッケーやらなきゃなんねーんだよ。
 ――仕方ないでしょ、ゴーリーとディフェンスマンなんだから。あんたの宿命なのよ、ドミ。
 ――黛くんのどこがそんなにイヤなの? 優しいし守りは強いし、いい選手じゃん。
 大学時代からのヤツを知ってるグレイシーと千鶴は、入団した当時そろってマユを弁護した。
 ……女ウケが良すぎるってとこもよけい腹が立つ。
 だから先シーズンの人気投票、響子ちゃんは俺に投票したぞとハッタリをかましてやった。
 人生最大の動揺を映し出したみたいな、あの時のあいつの顔は見ものだった。
 ……ま、そんな姿が見られただけでもヨシとしてやるか。
 とりあえずあいつは敵に回したらすごくイヤなゴーリーで、俺らは今いっしょにプレイオフに出ている――。

 ラインチェンジになり、ボードを乗り越えてリンクに出た。
 頬を掠めてゆく冷気と、氷を削るような音に包まれる。
 パックめがけて滑り出し、スティックで妨害しておいて体を反転させる。
 派手な音と共に20番の体をボードに押しつけた。
 耳元で舌打ちがする。
 黒くて硬いパックを掻き出すようにして奪う。パックが滑り出した直線の先、自軍のフォワードに渡る。
 追い越しざまに俺の肩にチェックを入れた小癪な20番の背中をスティックで小突き返した。
 プレイオフともなると、もうどっちのチームが優勝してもおかしくない。パワープレイに持ち込んだほうが絶対的優位に立つ。
 3ピリ終了まであと3分弱……今ペナルティ取られるわけにはいかねぇんだよ。
 スティックを持ったまま、パスを受けて敵陣に乗り込むウチのキャプテンを追った。
 長いパスをフォワードに出しておいて、キャプテン自らゴール前に入り込む。
 相手のディフェンスにパックが弾かれる前にもう一度パスを出し、キャプテンがワンタイマーショットの構えになる。
 ……たぶん、俺だけでなくみんなが、もらったと思っただろう。
 けれど小さなパックは、かつっと高い音をさせてポストに当たった。
 素早く相手チームのディフェンスがそれを取りあげ、パスを出す。取ったのは20番だ。
 一気に流れが変わった。声援が後を追ってくる。
 スティックのブレイドをリンクにつけたまま、バックスケーティングで自陣まで下がる。
 あがって来た20番がサメみたいな目で俺を見た。
 その視線を受け止めニッとくちびるだけで笑って、ヤツの胸のあたりに視線を落とす。まっすぐこっちに来るつもりらしい。
 ブレイドとシューズが激しく氷上を削る音。
 残り時間が少ない。確実に打ってくる。
 ゴールネットが近づき、背後でマユが低く構える気配がした。
 秋山が後ろからスティックを伸ばして防御に入る。ふたりがボードに突き当たる音がした。
 俺と秋山の間を縫うようにして、20番のスティックが上がる。
 もう時間がない。
 後ろはマユ。
 20番のスティックが振り下ろされる様子がスローで視界に入ってくる。
 リンクを蹴って、飛んできたパックの前に飛び込んだ。
 一瞬、氷の衝撃が来て――次に目に入ったのは、20番が悔しそうに天井を仰ぐ喉元だった。
 わあっと歓声が上がる。打楽器の鳴り響く音。
 俺の体に当たって跳ね返ったパックを、キャプテンが長いストロークで弾き出す。
 黒く小さなパックがブルーラインを超えたところで、ブォーンとブザーが鳴った。
 重なるように、バルーンの飛ぶ音。白いリンクの上は、あっという間に飛んできた紙テープで縦横無尽に飾りたてられた。
 観客が一斉に立ち上がった瞬間、こんなにたくさんの人が見てたのか、と初めて気がついた。
 腹ばいになっていたリンクから立ち上がり、スティックを掲げてボードに近づくと、最前列にいた観客と強化ガラス越しに両の拳でハイタッチを交わす。
 最高の気分だった。
 後ろから滑ってきた秋山が、わーともぎゃーとも聞こえる声を上げながら俺のジャージをくしゃくしゃにして飛びついてきた。
 キャプテンに続いてみんなが流れるようにして寄ってくる。一気に人の渦ができた。歓声がその場を包む。
 ヘルメットもグローブもリンクの上に放り投げた。
 ひとしきり全員で勝利を分かち合う。
 白い氷の上にレッドカーペットが敷かれる直前、ベンチ側に近づくと、アイスレベルの中の千鶴が目に飛び込んできた。
 ……不思議だった。
 立ち上がっても大して目立たないはずの小さな千鶴。
 アイスレベルだろうと2階席だろうと、いつもなら視界に特定の誰かを認めることなんかない。
 なのに。
 赤いダッフルコートごと体を包むように両肘を抱えて立っている姿がはっきり見えた。
 ……また泣いてやがる。
 そう思いながら苦笑いして右手の人さし指を突きだした。
 まっすぐに千鶴を指し、リンクへ、俺のそばへ降りてこい、と首を傾けて大きく手招きしたら、見ていた顔が泣き笑いみたいに歪んだ。

 グレイシーの友だちだとか。
 カレシがいるとか。
 そんなことはもうどうでもよくなった。
 そばに引き寄せたい。触れたい。抱きしめたい。
 もっと惑わされたい。
 焼けるような熱を持ったあのくちびるで、俺のことを好きだと言わせたい――。

 

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【 役に立つかもしれないアイスホッケー用語の説明@パグのしっぽ 】
バタフライ…両膝をくっつけ、膝と氷の間に隙間を作らないようにしてシュートを防ぐスタイルのこと。羽を広げたチョウチョみたいにも見えることからこう呼ばれている。ワタシ的には"工"の字型っぽくも見えるんだけど(笑)。
ゴールクリーズ…ゴールネット前の、水色で塗られた半円形の部分。ゴーリーのナワバリ/テリトリー。
パワープレイ…相手側にペナルティボックスに入っている選手がいて、自分のチームの人数が多い状態での攻撃のこと。