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アイスブレイカーにくちづけを 第1話


このまま、どこまでもさらってゆきたい。

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 暑さで目が覚めた。
 まばたきして見つめた先には、ストライプのカーテンの隙間から差し込む陽射しとフローリングの床。
 暑い。とにかく暑い。右手でマットレスの脇をさぐり、壁との間に挟まったリモコンを引っぱりだしてエアコンのスイッチを入れた。
 しばらく生暖かい風を肩のあたりに浴びた後、やがてひんやりした空気に変わる。バスルームからシャワーを使う音が聞こえた。
 マットレスの上で寝返りを打って体を起こすと、流し台まで歩いて歯を磨く。
 寝起きのぼんやりした視線が、部屋の隅で自分の荷物からはみ出している長方形の固い封筒に吸い寄せられる。
 右手で歯ブラシを動かしながら、左手でそれをひっぱりだして眺めた。
 ……いつ渡そうかと考えてるうちに帰国してかなりの日数が過ぎた。短い休みだから、早くしないとすぐにまた出発の日が来る。そうしたら、少なくともシーズンが終わるまでは帰って来れない。
 何度も言いかけて、やめた。
 自分のことならあっさり決められるのに、あいつのこととなるとこのザマかよ。
 水の流れる音を聞きながら、恨めしい気持ちでバスルームのドアを振り返る。
 流し台で歯を磨くのはやめてって言われたけど、あいつがシャワーを使ってる時はカギがかかってるから仕方ない。
 ……ったくよー。
 いっしょにシャワー浴びるのがなんでそんなにイヤなんだかなー。
 もう何度も見てるし触ってるし、他にもお互い欲望のままにいろいろとさ――。
 そこで、ピンポーンと呼び鈴の音がした。
 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん。
 ……かなりしつこい。
 とりあえず、封筒はイスの上にあったカゴに押し込んで。
 シンクの横にあったコップに水を汲んで口をすすぎ、首にかけたままのタオルで口を拭いながら玄関に向かった。
 大股で1歩2歩3歩、 サンダルをひっかけて、ロックとチェーンを外しドアをあける。
「どうもー、マイアサ新聞の者ですけどー……」
 げ。
 ドアをあけた瞬間にマズイと思った。
 胸に身分証明証をつけた若い男が、俺を見てしゅっと眉を上げる。
「あ、あれ? ここ……早坂さんのお部屋ですよね」
 ……なんていうか、無駄に洗練されてる販売員だった。
 縁なしメガネの下の、切れ長の目。 こんなに暑い日なのに、どうやって保っているのか、まだぱりっとしたままの作業着。
 新聞の販売所ってのは、いつからこんな色男を雇うようになったんだろう? 昔うちに来ていたのは、みんなリタイア間近みたいなオジサンだった。
 俺の格好なんて、下は黒いハーフパンツ。上は首にかけたタオルだけ。伸びっぱなしのくせ毛は寝起きでぼさぼさだし、まだひげも剃ってねぇよ。
「早坂千鶴さんのお部屋でしょ? 違うのかな?」
 表札と俺の顔を見比べながら、青年が訊ねる。
「わかる? えーと……ど、どぅーゆーすぴーくじゃぱにーず?」
 ……おい、ケンカ売ってんのかコラ。
 両腕を組みながら見下ろし、答えてやった。
「新聞なら間に合ってるんで」
「あ、なんだ日本の人?! 早坂さんいます?」
「いるけど何か?」
「お話させてもらえますか」
「だめですね」
 一瞬の空白が落ちた。
「……は?」
 青年が目を見開いて訊き返す。
「話はだめ」
「なんで? おたく、千鶴さんの何?」
 見てわかんねえのかよ、と思いながら靴脱ぎスペースに降りた。
「早坂千鶴の男。新聞も男も間に合ってるんで、もう来なくてよろしい。どぅーゆーすぴーくじゃぱにーず?」
 呆気にとられている青年のつま先を蹴り出し、玄関に入ろうとしていた肩を右手でどつき返す。
 よろりとよろめいた青年が一瞬なじるような瞳で俺を見たけど、構わず左手でノブを引いてドアを閉めた。がちっと音をさせてロックをし、チェーンもかける。
 ……新聞なんて、今時インターネットでも読めるじゃねぇかよ。
 もう来んな!
 ドアの向こう、諦めたような足音が遠ざかるのを確かめ、ふんと鼻を鳴らす。そこで、軽い音がしてバスルームのドアが開いた。
「どうかした……?」
 びっくりしたような顔。
 生乾きの長い髪をスティックでまとめあげ、白地にグレーの水玉が入ったキャミソールと揃いのショートパンツ。モノトーンの中で、上気した頬だけが薄く色づいている。
 バスルームを出て、冷蔵庫の前で扉を開けるその背中に訊いてみた。
「新聞の販売員って、みんなあんなに男前?」
「え?」
 振り向いて、戸惑った様子で俺を見る。
「やだ……何かされた?! 口説かれたの?!」
 両肩からがっくり力が抜けた。
 ……俺かよ。
「あのな」
 ミネラルウォーターを片手に持ったままの千鶴の腕の下に両手を入れ、抱き上げる。
「や……ちょっと、ドミ!」
 ふわりと浮いた小さな体をキッチンテーブルの上に腰かけさせた。
「ここは俺のナワバリだから、もう来んなって威嚇してやった」
 テーブルの上に両手をついて、ぐっと上体を近づけてやる。
「そういうこと言ってるからアリゲーターとか呼ばれるんでしょ」
「いーや、向こうではアイスブレイカーなんだって俺」  
「アイスブレイカー?」
「おう」
  以前カナダでプレイしてて今はチェコリーグに戻ったヤツが教えてくれた。
 ――『オマエは埠頭を守る流氷よけみたいだ』と。
  荒っぽいことで有名なチェコのファンだから、『観客からペットボトルが飛んできたらその調子で盾になれ』と、鼻にシワを寄せてすごくイヤそうに言われた。
 皮肉だってわかってても、最高の褒め言葉に思えた。
「キャンプ中リンクに穴あけたりゴールネット倒したり、ホントに氷ぶっ壊してんじゃねえかとか言われたし……それにやっぱり」
 目の高さを合わせ、千鶴のまつげまで数えられるほど接近する。
「俺の立場としては、売られたケンカは買うのが礼儀じゃん?」
「あの人はただの新聞屋さんなんだから、売ってるのは新聞ですよーだ」
「そう思ってんのはおまえだけだろ」
 言いながら長い髪をまとめ上げているスティックを右手で外し、イスの上に投げた。
「俺、こっちのほうがいいな。今日はずっと下ろしたままでいて」
 まだ少し湿り気の残る髪が、肩から背中に向かって流れ落ちる。シャンプーの香りが濃くなった。
 小さな手のひらからミネラルウォーターのボトルを取りあげ、隙間もなくなるくらい体を近づけて顎を傾ける。
「でも、長いから暑苦しくない?」
「全然。どうせこれから冷房の効いた美術館とプラネタリウムじゃん」
 細い首にくちづけながら答えた。ボディシャンプーの清々しい香りを吸い込んで、鎖骨まで下がる。そこで顔を上げた。
「あ、そうだ。じゃあもっと涼しいとこ行くか」
「リンクは今日閉まってるよ、メンテだから」
「いや、リンクじゃなくてさ――」
 そこまで言ったところで、首にかけていたタオルを両手で引っぱられ。
 有無を言わさない態度でくちびるが重なってきた。
 角度を変えて何度もキスしながら、時々邪魔になるのか、頬にかかった俺の髪をすいてゆく。
 なんか言おうと思ってたんだけど……その時点で自分が何をしてたのかわからなくなった。
 脊髄がざわざわするほど気持ちいい。
 もっと千鶴が欲しくなる。これ以上近づいたらひとつになるしかないのに、もっと近づいて抱きしめたくなる。
 ……この際、キッチンテーブルの上だろうと構うもんかよ。
 くちびるを重ねたまま両脇から手を伸ばし、千鶴の方へ体重をかけたところでがつっと額に衝撃が来た。
「いてぇ!」
 驚いたのか、柔らかいくちびるが離れてゆく。さあっと体温が低くなった。
 天井から吊り下げられたライトの土星の輪みたいなカバーが揺れていた。
 持っていたペットボトルをテーブルの上に置こうとして倒してしまい、がたがたとあわただしい音が響く。
 戻ってきたライトのカバーを避けようと頭を下げたら、喉仏が千鶴の鎖骨に当たって咳き込んだ。
「もう……落ち着きないなぁ」
 笑いを含んだ声。長い指先はまだ俺の髪の中を行ったり来たりしている。
 つられて笑いながら、顔を上げて額と額をくっつけた。
 ……わかってるのか。
 リンクの上を流れてゆくパックの行方なんかよりずっと。
 俺を落ち着かなくさせてるのが、誰なのか――。
 

 

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