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星の名前

 

 

 肩からフリースの毛布をかけて、両手をホットチョコレートの入ったマグで温める。
 ベランダに出たら、猛烈に胸が痛くなった。
 くやしい。なんで。どうして。
 言ってみても、もう遅い。
 レギュラーに、なれなかった。高校に入って初めて巡ってきたチャンスだったから、すごくがんばったのに。
 ……がんばっても、叶わないことってあるんだ。
 あーあ。
 めいっぱいブルーな気持ちのまま、ヒツジのクッションに座りながら見上げた空は。
 ――洗濯物に遮られていた。
 ひらひら舞っているのはお父さんのアンダーシャツか。
 こっちにはおばあちゃんの足袋。
 どっちもヨレヨレ。
「ムードないなあ……」
 つぶやいたらけっこう笑えた。ま、住宅街のベランダなんて、みんなそんなものよね。
 ホットチョコレートをすすりながらアンダーシャツをかいくぐり、手すりのそばに立ち上がる。
 黒い電線に区切られた夜空が見えた。星が出ていた。
「北斗七星」
 ひしゃくが上を向いている今は冬。夏のころは下を向いているから、水がこぼれて梅雨は雨ばっかりになる。
 そう教えてくれたのは……誰だっけ?
 外国でも有効なのかな?
 考えた時、住宅街の狭間から自転車の近づいてくる音がした。
 軽快な音。すべるように角を曲がってやって来て、うちの前を通る。長い竹刀袋と、防具入れが街灯に浮かびあがった。
 ――千夏だ。
 ばっちりドリフトを効かせて、隣の家の玄関前で止まる。チャリなのにドリフト……器用なヤツ。
 ダッフルコートの下はまだ制服だった。学校が終わってから、道場で稽古つけてもらってきたのかな? みんな塾だとか何だとか言ってるこの時期に、余裕じゃん。
 シルバーに光る自転車が、屋根のない車庫の脇に入ってゆくのを見つめた。
 重そうな防具入れを肩に背負い上げる。そこでわたしは左手を上げた。
「千夏!」
 ちょっと動きを止めて、あ?という感じで見上げ、千夏がわたしを見つけた。
「おう……今ごろ洗濯? 大変だねぇ、奥さんも」
「誰が奥さんだ!」
 お兄ちゃんのリーバイスがばたばた揺れる横で怒鳴っても、説得力ないか。そう考えてちょっと笑った。
「寒くねえの?」
「寒いよ」
「じゃ家入れば?」
「星見てんの」
「……星?」
 千夏はぐっと頭を反らせて、今度は空を仰いだ。制服のえりもとから、形のいい顎と喉が見える。
「どれ? カシオペア? きりん座? りゅう座か」
 ひとつひとつ指で示しながら訊かれた。
「えっ、わかるの?!」
「……つーか、わかんねえの? お前」
 当たり前のように言う。
 ふん、とか鼻で笑うなよ鼻で。やな男。
 ……でも意外だ、千夏が星の名前なんか知ってるなんて。
「ここ、寒いんだよ。星の名前が知りたいなら、待ってろ、今そっちに行ってやるから」
 防具入れを担ぎなおし、右手の人差し指でびしっと指された。
「や……ままま窓から入って来ないでよ!」
「入るかバカ。ちゃんと玄関からだ」
「だって昔、2階から入ってきたじゃん」
「いつの話してんだよ……いいから! 俺にもなんか熱い飲み物作っといて」
 勝手にそれだけ言って、千夏は自分の家に入って行った。音を立ててドアが閉まる。
 なにあれ。偉そうに。
 ……昔はスドーさんちの犬が怖いって、わたしの陰に隠れて泣いてたくせに。泣いてる千夏を先に通させようとして、噛まれた肘の傷はまだ残ってるんだからね。
 なのに、中学から始めた剣道はどんどん上手くなっちゃってさ。
 ふんだ。
 むかつく。

 

「……なにあんた。顔がヘンよ」
 1階に降りて台所でお湯をわかしてたら、居間にいたお母さんから気味悪そうに言われた。
 食器戸棚のガラスに映った姿を見たら、本当に笑顔全開だった。
 ……なんなのよ。
 髪型を直してから、ガラス戸を開けて瓶を取りだす。
 大きなマグにホットチョコレートができあがったところで、玄関のドアが勢いよく開いた。
 カギのかかってないうちのドアを勝手に開けて、そいつはひとつ、大きなくしゃみを家中に轟かせた。
「んまー、おっきな声……誰かね?」
 耳の遠いはずのおばあちゃんまで、呆れた様子で首を動かす。
「隣の剣道少年ですよ、おばあさん……あ、そうだ、陶子。2階に戻るならベランダの洗濯物取りこんどいてー」
 テレビを見ながら、お母さんが言った。
 もー、家事ぐらいちゃんとやってよね。
「こんばんはー」
 廊下から千夏があらわれる。
 あんなベランダじゃ――星も見えないんだもん。
 デカイ手に握られた星座早見盤に気がついて、そう思った。

 

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≪管理人のつぶやき≫
幼なじみは永遠の憧れですな〜。
女の子みたいな名前の男の子もいいな〜。