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優しくしないで

 

そんなふうに微笑まれると
どうしていいか
わからなくなる。

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「……え、来れないんですか?」
 頼まれた待ち合わせ場所に行って説明すると、彼女は目を瞠った。
「やだもう、お父さんたら……すみません、わざわざ代わりに来ていただいて」
「いいえ、夏木専務にはいつもお世話になってますから」
「いつもお手数をおかけして申し訳ありません。父がご迷惑とか、おかけしてないといいんですけど……」
「とんでもないです」
 型どおりの挨拶をして頭を下げる。
 携帯電話を忘れた専務は、急用で娘さんとの待ち合わせをキャンセルしなければならず。
 でも彼女はすでに会社を出たあとで。
 娘さんの携帯電話の番号は知らないということなので連絡もつかず。
 彼の部下で別名しもべの俺は、かわりに待ち合わせ場所へ行けと半ば強制的な命令を受けたわけだけど。
 ……内心、イヤな命令じゃなかった。
 それどころか、たとえほんの一瞬でも、彼女に会えるなら。
 幸運と呼べるできごとだったんだ。
「ほんとにお父さんは頼りにならないわね。こんな日に携帯忘れてくるなんて」
 肩にかけたカバンをかけ直しながらつぶやく。
「……じゃあひとりで考えるしかないか」
「あの、えっと……多佳子さん」
 なんだか声が震えた気がした。
「はい?」
「もしよかったら……あの、僕でできることなら、お手伝いしましょうか」
 ――は?という顔をされた。
「いえ、専務から聞きました。お知り合いのかたに贈り物を選ばれるんでしたよね?……その、僕でも使えるから、とのことだったので、来たんですよ。だから、あの、使ってもらってかまわないですから」
 言ってから、早まったことをしたと思った。
 ……多佳子さんの瞳がみるみる大きくなって、しかも揺れた。
 戸惑ってるんだ、きっと。
 そう気づいたら耳が熱くなった。
「あ、やっぱりいらないですよね……いや、忘れてください」
「そんな……いいえ」
 多佳子さんはあわてたように片手を振った。
「そんなことないですよ、神宮寺さん」
 今度は目が笑っている。
 うつむいて、軽く握った手を顎に当て……笑いをこらえている。
「ありがとうございます。あの……じゃ、お言葉に甘えさせていただきます」
 わずかに頭を下げてからまっすぐに俺を見上げ、にっこりと笑顔になった。
 ぜんぜん構えてない態度は、専務の部下だからだろう。
 専務に目をかけてもらってるおかげで、何度か家に寄ったり泊まったりしたこともあるから。
 それだけにすぎない。きっと。
 なのに。
 錯覚、っていうのかな。
 そういうのって本当にあるんだな、って思った――。

 

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 1時間後。
 エスカレーターでやっと1階のフロアに戻ってきた。
 ……ちくしょう、専務のやつ。
 俺の気持ちに気づいていながら命令したんだとしたら、あまりにむごい仕打ちじゃないのかこれは。
 『親戚へ贈る物を選んでくれ。若いヤツだから俺にはちょっとわかんないしさあ、いいよお前のセンスで』
 若いヤツ?
 若いにもほどがあるだろうが!
 先月生まれた女の子だぞ?!
 独身の立場で、ベビー用品売り場に足を踏み入れることがどんなに勇気のいることか、専務は何にもわかっちゃいない。
 しかも女性と一緒にだ。
「……良かったー、可愛いのが見つかって」
 隣りから多佳子さんの弾んだ声がした。
 この声を聞くと自動的に背筋が伸びる。
「最近のベビー服って凝ったの多かったですね」
 すれ違う人にぶつからないように紙袋を抱きかかえて、多佳子さんは目を細めた。
 そうなんだ。
 ウサギやらヒヨコやらヒツジやら。
 こまごました物がいろいろくっついてて、色違いやお揃いで帽子からバッグから靴下までコーディネートできる ようになっている。
 あれは子供本人というよりは親の好みだよな。
 だから売り場に二人でいると、夫婦か恋人同士に見られちゃって大変だったんだよ俺は。
「荷物、持ちますよ」
「大丈夫です。軽いし」
「でもかさばるから、ぶつかったら大変でしょ」
 右手で紙袋を受けとった。
「すみません、何から何まで面倒をおかけして……神宮寺さん、優しいからつい頼っちゃうんですよね、父もわたしも」
 わずかに頭を下げる。髪がするっと肩からこぼれ落ちた。
「はは、そんな」
 ……今の、褒め言葉かなあ? 
 考えながら多佳子さんを見た。
 柔らかく微笑む頬がカーブを描いている。この世でいちばんまろやかで、優しい形。
 こういうの、なるべく見ないようにしないと……気持ちがかき乱されて、どうしようもなくなる。
 だって、たとえどんな奇跡が起きたって彼女は――。
 考えるのはそこでやめた。
 1階のフロアはけっこうな客でごった返していた。
 デパートっていうのはどうして、客がエントランスを出る前に菓子を見せたがるんだろう?
 2月のバレンタインデー前で、どこもチョコレートとハートでいっぱいだった。
 甘く香ばしい香りがする。
「いい匂い。チョコレートケーキかな?」
 多佳子さんがガラスのショーケースを見て言った。
「もうすぐバレンタインですもんねぇ」
 どこか他人事みたいな声。
「夏木専務は毎年いっぱいもらってますよね」
「え、父が?! ウソ!」
「ほんとですよ。受付の女の子も休憩中に来るんですよ、うちのフロアまで。専務目当てに」
 ちょっと沈黙して、それからよく飲み込めないというような視線を向けてくる。
「義理チョコじゃないんですか、それ?」
「ははは……どうだろう? でも若い人は、部署が違えばそういうことしないと思うけど」
「そっか……でも父がそうなら、神宮寺さんみたいに若い人はもっとたくさんもらってますよね」
「いや、だからもらえないんですってば」
 本音がでた。
 嘘でもいいから『そうですね』とか流しておけばいいのに……俺ってやつはバカ正直に答えちゃったよ。
 あわてて話題をシフトする。
「多佳子さんは?」
「え、わたし? わたしはもらいませんよ?」
 くすくす笑いながら言われた。
「あっ、いや、そういう意味じゃなくて……チョコレートあげるんでしょう、あの彼に」
 夏木家に飾られていた彼の写真を思い出した。
 荒削りなロン毛と、どこにでもいる今ふうの若者って感じな外見。
 でも本当はアメリカ生まれのアメリカ育ち。
 たまに笑える日本語を言うこともあるらしいけど、ほぼ完璧なバイリンガル。
 超難関のロースクールに通う頭脳明晰な青年なんだよ、とか、専務が話していた。
 多佳子さんよりかなり年下だけど、ぜんぜんそんなふうに見えないほど大人っぽいし。
 ま、要するに――俺にゃ勝ち目なんかねえよ、ってことか。
 話題をシフトしたつもりが墓穴を掘ったな。
「……どうかなあ?」
「は?」
 意外な答えが返ってきて声が裏返った。
「ええと……ほら、向こうではチョコレートだけにこだわらないっていうし、他のものでもいいんじゃないかな?」
 あ、そういうことか。
 ……だよな。
「まだなあんにも考えてないんですよ、わたしは呑気だから」
 そう言って、多佳子さんは笑った。
 幸福そうに。

 

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 多佳子さんを家まで送り届けて帰宅する道で、立ち止まって夜空を見上げたら鼻の奥が痛くなった。
 ……たとえどんな奇跡が起ころうとも。
 どんなに深い感情を持っていても。
 どれだけ彼女に優しさを与えることができたとしても。
 あの人は、俺のものにはならない。
 だから……優しくされて困るのは俺のほうなんだなあ。
 でも。
 それもイヤじゃない。
 イヤなんかじゃないんだ。
 白い吐息が冷たく輝く丸い月をめざして昇るのを黙って見つめ、駅に向かってまた歩き出した。

 

 

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≪管理人のつぶやき≫
時期的には、『風の街で待ってて』第8話のあと〜第9話の前くらいデス。