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サイト開設3周年記念


    「夜明けの星の見つけかた

 

それは、宝物に触れるナイショの方法――。

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 となりで寝返りをうつ髪が腕に触れて目が覚めた。
 遠慮がちな、星の瞬きにも似たかすかなため息が耳に届く。
「多佳子……?」
 月明かりの中、ぎくりとしたようにパジャマの背中が揺れた。
「眠れないのか?」
 こちらに体を向けた彼女に訊ねた。
「ごめん……起こした?」
「いや、ヘーキ」
 ぐるっと腕を回してTシャツの胸に収めようとする……のを柔らかく牽制された。
「待って、気をつけて」
 ……そうでした。
 きつく抱き寄せるかわりに髪をなでた。
 眠る前に浴びたシャワーのせいで、野原にいるようなシャンプーの香りが漂う。
「なあ、シャンプー変えないでよ」
「……なあに、急に」
 薄暗いから表情は見えないけど、笑いを含んだ声だ。耳に心地いい。
「だってこの匂い安心するから」
「カモミールだよ? じゃあ迅一郎も同じのにする?」
 またくすくす笑われた。
 最近は怒ったり泣いたり何やら感情の起伏が激しかったけど、今夜は気分がいいらしい。
 ベッドの足元に寝そべるボイスが身じろぎして、首輪についているネームタグがちりりと鳴った。
「ねね……お腹減らない?」
 片肘をついたシルエットのまま、シーツの間から声がした。
「オーケイ、何が食いたい?」
「アイスクリーム!」
 元気な返事が返ってきた。
 俺の奥さんは、どうやら甘さを糧にして強くなるらしい。

 

 ……おとといの朝だった。
 できあがったばかりのサンドイッチにぶつかって皿ごと下に落とした時、多佳子はこの世の終わりみたいな顔で泣き出した。
 ダイニングの椅子に座らせてペーパータオルを渡す。
 多佳子の目から大粒の涙がこぼれて、花の絵がプリントされたペーパータオルにしみていった。
――わたし、もうきっと日本語の先生になんかなれない……試験結果も散々だし。
 しゃくりあげながら言われた。
――サンドイッチの作り方も試験科目にあんの?!
 思わずカーペットの上に散らばったレタスやトマトや薄切りのターキーを見た。
 ぽってりと、美味しそうな粒マスタードがついている。
――違うってば!……何なの、揚げ足とらないで!
――え?……ど、どの足?
 足の裏を確かめてたら背中を拳で叩かれた。
――もー、迅一郎なんて大キライ!
 あー……俺はマジメに訊いてたんですけど。
 多佳子は時々むずかしい言葉を使う。
 ハイハイと相槌をうちながらカーペットの上をかたづけていると、態度がなってない、とまた怒られた。
 ……なんで俺ばっかり?
 そう思いつつ、きっとあのほっそりした体の中では俺の想像なんか遥かに越える大きな変化が起きてるんだろうな、と頭の隅で考えた――。

 

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 手をつなぎ、俺が先に立ちながらゆっくりと階段を降りてキッチンに行く。
 ぶーん、とわずかなモーター音を響かせる観音開きの冷蔵庫の前に立ち、冷凍室の扉をあけた。
 夜の空気が、そこだけひんやりと低くなる。
 クッキー&クリーム、ストロベリー、フローズンヨーグルト、オレンジシャーベット……様々な形のパッケージが見えた。
 この家の住人はみんな、かなりのアイスクリーム好きだからな。
「どれにする?」
「……オレンジシャーベットがいいな」
 となりに並んだ多佳子が指さしながら言う。
 みずみずしいオレンジの写真が印刷された黒い箱型のパッケージを取り、フィルムをはがす。
 キッチンのまんなかにあるアイランドカウンターの上で、多佳子がガラスの器を用意した。
 カウンターの引き出しをあけて中からアイスクリームスクープを出す時に大きな音がしてしまい、一瞬動きを止める。
「しーっ」
 ふたりで肩をすくめた。
 パッケージをあけ、どっしりとした鉄製のスクープで淡いオレンジ色のシャーベットをすくいとる。
 辺りにオレンジの香りが漂った。
「いい匂ーい」
 多佳子が差し出してきた透明な器に、大盛りのシャーベットを3つ落とす。
 カウンターの上にあったライスクリスピーの箱をあけ、ぱらぱらとトッピングした。
「できた。オレンジシャーベット、迅一郎スペシャル」
「おいしそう」
 声が弾んだ。
 スツールに腰かけた彼女に近づくと、俺の腰に両腕が巻きついてくる。
 銀の小さなスプーンを取って、ひとつ、多佳子の口に導く。
 なめらかなくちびるが、ぱくりとスプーンに食いついた。
 その瞳がすぐに細くなる。
「美味い?」
「……すっごく『美味い』!」
 俺の口調を真似して彼女が言う。
 もうひとくち差し出して、それから自分の口に運んだ。
 オレンジの酸味とほんのりした甘さ。舌の上で泡のようにとけてゆく。
 同時にぷちぷちとライスクリスピーが口の中でとびはねた。

 

――しばらくは味覚の好みが変わることもあるから、食べたいものを食べてね。
 母さんの旧友にあたるバイリンガルの日系人ドクターが言ってたのを思い出す。
――食べないより食べることです。タカコはもっと体重をつけていいのよ?
 アメリカの医者は体重制限なんてまどろっこしいことは言わない。とにかく食べろと言う。
 お父さんから聞いた話とぜんぜん違うのよね、と多佳子はあとで戸惑いを見せた。
 週末を利用してここライト家に戻り、2つの報告を済ませた。
 ひとつは、研修先と教授から強力な推薦状を書いてもらえたおかげで卒業後の進路が決まりそうなこと。
 日本に支社を持つ米国資本の法律事務所だ。
 ロースクール開校にともなって、日本でも法律がますます拓けてゆく分野になることは間違いない。
 だから先手を打っておきたかった。
 もうひとつは"実はもっといいニュースがある"と俺が匂わせておいて、多佳子の顔でバレた。
 双子たちは同時に叫んで代わる代わる多佳子を抱きしめ、母さんはハデなガッツポーズを作り、トニーは締まりのない顔で"グランパなんて呼ばせるなよ"とほざいた。
 ……なんだかすごく騒がしい晩だった。

 

 窓から差し込む月明かり。
 どこか遠くの林のほうで、シカの鳴く声が聞こえた。
 キッチンには俺たちしかいない。
 かちん、とカラになったグラスをカウンターの上に置いて、スツールに一歩近づく。
 正面からぐるりと多佳子の体をとりかこむように、アイランドカウンターのへりに両手をついた。
 青いボーダーのキャミソールとそろいのパジャマ。
 彼女のまつげがふわりと閉じ、何か楽しいことを企む時のように口元から白い歯がこぼれる。
「……おかしいよね?」
「なにが?」
「いつもいっしょにいるのに……ふたりきりで秘密を作るのって、出会った頃みたいにまだドキドキするの」
 腰に回っていた多佳子の腕が肩にすべってくる。
 ぐっと顔を寄せた。
「じゃ覚悟しといたほうがいいよ。これからはもっとドキドキしなきゃならない」
「どうして?」
「きみのことを、すごく愛してくれる人がまた増えるから。それにいつどこで必要とされるかわかんないから、俺といっしょに秘密を作るのも簡単じゃなくなる」
 ふ、とほほえんでから細い指で俺の髪をかきあげて。
 多佳子は笑ったままのくちびるでキスをよこした。
「……オレンジの味」
 離れると、ひそやかに言う。
「もうひとりぶん、余分に欲しいかも」
 またすぐに近づいて、さっきより浅めにふたつめのキスを盗んでゆく。
 今度は俺も笑ったままだった。
 くちびるを離すと、鼻が触れあった。
「……またわたしが眠れなくなっても、こうやってこっそり夜中のデザートにつきあってくれる?」
「大歓迎。デザートはみんなにナイショにするから甘いんだろ?」
「……なんだかわたしたち、秘密だらけの親になりそうね」
「もし見つかったら……その時はいっしょに食べればいいよ」
「みんなで?」
「そう。ふたりきりで食べるデザートは甘いけど、みんなで食べるともっとおいしーくなるから」
「ホント?」
「ホント」
 きっとこんなふうに気兼ねなくキスを交わして、笑われるかも知れない。
 でもそれはきっと。
 心地いいざわめきに満ちてるんだろう。
 そんな気がする。
「じゃあ、試してみる?……どっちがほんとうに甘いのか」
 俺のTシャツをきゅっとひっぱって、多佳子の瞳がゆるやかにしなる。ぞくぞくするぐらいきれいだ。
 この瞳で見つめられると、抵抗力のゲージはいつもゼロになる。
 星の数ほどキスを交わしても、名前を呼ばれても。
 夜じゅう抱きしめて、ふたりで朝を迎えても。
 ……このひとがぜんぶ俺のものだなんて、まだ信じられない。
 星明りの中で、多佳子の腕にゆっくりと首をかき寄せられるまま、そっと体を傾けた。
 耳元で彼女の指が髪を梳いてゆく鈍い音がする。
 カモミールの香りが鼻先に満ちて。
 お互いの瞳の中を見つめながら、俺たちはひとつ、柔らかく長く――くちびるを重ねた。

 

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≪管理人のつぶやき≫
サイト開設3周年記念。DLフリーでした。
時期的には『風の街で待ってて』最終話のあとになります。