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* 第1話 かわいそうな刑事さんの口説き方おしえます *

 

 眉に触れられた瞬間、部屋を照らす月明かりが波打ったような気がした。
 右の眉の端には、空手の試合中につけられた傷がうすく残っている。
 両腕に収めた時は、いつもこうしてなでられたっけ……と思いながら、するんとした頬を手のひらでつつんだ。
 きちんと手入れした後だったのだろうか、肌はまっさらだけど、風呂上りみたいな柔らかい香りが立ち昇る。
「冷たい」
 香りを胸に吸いこむと、くぐもった声が聞こえた。
 手が冷たいと言われるのは昔からだ。それを理由に冬場は手もつながせてもらえなかった。
「だったら、おまえがあっためて。めいっぱい」
 何度もつぶやいた言葉。
 そのたびに伏し目がちになるまつげの形が、とてもきれいだった。
 もっと近くで見たくて、頭の後ろにそっと手を差し入れ、引き寄せる。
 鼻が触れる。挨拶がわりのついばむようなキスじゃ物足りなくて、顎を傾けてねだる深いキス。
 俺の腕の上に置かれた指先も、髪のなで方も、すこし右側に体重をかけるくせも、なにひとつ変わらない。
 大人になってからこうして触れ合うのは初めてなのに、なにもかもが懐かしい。
 ――こんなことって、あるんだろうか。
 このまま外の時間を止めて、ふたりきりで過ごしたい。離れたくない。誰にもじゃまされたくない。
 そんなふうに思える存在があるなんて、知らなかった。
 熱を含んだ光が、頭の奥でうずまき始める。
「ねえ――わたしの後に何人とつきあった?」
 シミひとつないなめらかな首をくちびるで確かめて、そのまま鎖骨まで降りる。
 セーターの腰のあたりを探りながら考えた。
 ……そんなこと訊かれて律儀に答える男がいると思うか?
 何人つきあってきたんだとしても、いま腕の中にいるひとほど元に戻りたいと思った恋人はいない。
 だから。
 こうやって証明してる。
「……いま訊かれなきゃならないのかそれ? ほかに集中したいことがあるんだけど」
 だってほら、外すのが面倒な下着とか着てたらまずいだろ、と密かに考える。
 もぞもぞ探るセーターの下、指先があたたかい背中に触れた。
「だって気になるんだもん」
「どうして?」
 みちるの両手が俺のシャツを引き寄せ、肩から下へおろす。
 半分ぐらい剥がされたところで、今度はTシャツの下に手が入ってきた。
 体つきを確かめるように、肌の上をすべってゆく。
 ……脱がすなら、早く脱がせてほしいんだけど。
 月明かりの中、くちびるをとがらせて訴える。でもこういう瞬間も嫌いじゃない。
「他の女にも同じようにしてたわけ?」
「することは基本的にみんな一緒だろ」
 笑いながら答えてやる。
 瞬時に意味を理解したのか、拗ねたように胸を押し返された。体が離れると、夜気が入り込んできて肌寒くなる。
「なんだよ、俺にクセつけたのおまえじゃん」
 なおも離れようとする細い手首をつかみ、首の後ろへ回させた。
 腰を抱き寄せてそっと顔を近づけると、俺の額とみちるの鼻が触れる。
「だから、みちるとこういうことするのがいちばん相性いいんじゃないの」
 声がかすれてるのは自分でもよくわかった。
 答えなんか待たずにくちづける。
 それが合図のように、お互いの手が入り乱れる。
 頼りになるのは月明かりだけなのに、どうされたいのかちゃんとわかってる自分たちに笑みがこみあげてくる。
 ――達基、と呼ばれた瞬間、確かに肌がざわめくのがわかった。
 俺の人生ってもしかして今がピークなんじゃないか。
 そう思った時、キッチンのほうからぴりりり、と携帯電話の電子音が轟いた。
 ……まじで?
 今かよ。
 俺の動揺が伝わったのか、みちるの体が硬直する。カウンターの上で忌々しく鳴り続ける小さな機械に視線を向けた。
 月明かりに照らされる髪を梳きながら、どうするべきか考えた。
 人さし指が伸びてきて、ボタンがはずれたままのジーンズをくいっとひっぱられた。
 ――行かないで。
 そう言われた気がして、ソファの上でまた体を重ねる。
 首筋、耳の後ろ、背中。
 ぴりりり。
 触れている間もしつこく鳴り続ける。
 わかってる。
 このしつこさは巡査部長だな。  
 あーもー。
 行きたくねぇっつってるのに!
 自分で自分に腹が立って、思わず大きな舌打ちがこぼれた。
 みちるの上から身を起こし、大またでキッチンに入る。
「はい飯島ッ!!」
 明日は半休だって知ってて呼び出してくる上司にはコレで充分。
『おう、俺だ俺』
 はやりの詐欺師みたいな口調で梅田巡査部長が話しだした。
 ――閉店後のスーパーに強盗。犯人は逃走中だけど目撃情報が多数あり。捜査網は順次配備中。
 片手でケータイを握ったまま、もう一方の手をカウンターに乗せて巡査部長の声に聞き入る。
『そういうことで、人手が要る。休んでるとこ悪いが至急現場まで来いや。住所は――』
 ちっとも悪くなさそうな声だった。
 住所を聞きながら地図を頭の中で思い出し、二重三重の被害に至らないよう、周辺施設の危機管理に考えをめぐらせる。
「……わかりました。すぐ向かいます」
 ここのところ、社員の給料日や現金運搬車を狙った強盗や侵入事件が絶えない。
 巡査部長との通話を切ってからも、この後のことを考えると身体に力が入るのがわかった。
 これも自分の選んだ仕事だぜ、と考えながらソファを振り返る。
 そこで視界に飛びこんできたみちるの足は、意識が吹っ飛びそうなくらいきれいだった。
 ……やっぱいま行かないとだめなわけ?!
 逃走犯をとっ捕まえたら、後頭部を思いっきり叩きたい衝動に駆られた。
「――あーッ、ちくしょーおぉぉ!!!」
 とっとと捜査を片づけて、結婚してやる!
 結婚してやるぞ!
 月明かりの下、俺の脱ぎ散らかしたシャツを着たまま困ったように微笑むみちるを見ながらそう思った。

 

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