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* 第2話 マイ・スイート・サムライ *

 

 ベイカー・ホールのその教室はぎっしり生徒が詰まっていて暑いくらいだった。
≪……で、席決めは来週月曜にします。その後の変更は認めません≫
 え、席決めなんかするの? じゃあサボッたらばれちゃうじゃない。
 パイナップルみたいな頭をしたねじれ毛のこの教授、見た目と違ってわりとマジメなのかしら。
≪だからこのクラスに好きな人がいる人は、えー、早めに隣りの席を確保しておくように≫
 その言葉が耳に届くのと同時だった。
 まるでルーレット盤に玉が落ちるように、一番前の右端に座っている人が目に止まった。
 ダークへアの、すらっとした男の子。
 スタイリング剤か何か使ってるのか、後頭部の毛がいろんな方向に立ってるけど……あれは生粋のまっすぐな髪ね。
 そんなことを考えながら、ジーンズの両脚を伸ばしながら前を向いている彼を眺めた。
 白いTシャツの背中にプリントされた、ピーナツバターのロゴ。
 ……スーパーかどこかで無料で配ってるやつみたい。律儀に着てるなんて、なんだか可愛い。
 冗談好きな教授の話に生徒の間から失笑がもれた時も、派手に笑ったりはしなかった。
 シラバスに目を向けたまま、大きく肩が上下しただけ。
 いかにもよく勉強していそうな風情だった。
≪来週月曜日に座席決定ですよ! 好きな人の隣りはちゃっちゃとキープ!≫
 授業の終わりに教授の声が響いた時、思わず背筋がぴんと伸びた。
 『好きな人』という言葉が、教室を出たあともずっと心に残っていた。


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 席決め当日の月曜日。
 確実にとなりの席をとろうと、早めに教室に入った。当然のように腰かけたのは、一番前の右端から2番目。
 あれからずっと盗み見ていた彼の姿を思い出すとわくわくした。
 陽に透かすとすこしだけチョコレートみたいな色になる髪とか、笑うと目がたれて優しそうに見えるところとか。
 授業が終わって廊下で追い越す時にちらっと見た、まっすぐなまつげと、アリゾナの陽射しに灼けたらしい淡いとび色の肌。
 ぜんぶぜんぶ、もったいなくてだれにも教えたくないと思いはじめている自分が可笑しかった。
 なのに――。
 席決めのその日、 わたしのとなりに彼は座らなかった。
 鼻歌まじりでパイナップル頭の教授が教室に入ってくる。
≪オーケイ、今日は席決めの日です。みなさん、ちゃんと好きな人の隣りを確保しましたか?≫  
 してないわよ!
 空いたままの席は無視して、ぐるんと後ろを確かめた瞬間、斜め後ろのダークヘアと目が合った。
 彼だ。
 まっすぐに視線がぶつかりあって、彼の視線はすぐに机に落ちた。
 東洋のシャイな瞳にどきりとする。
 わ。
 ずっと前に見た映画の中のサムライみたい。
 ……じゃなくて。
 もう、今日に限ってどうしてそんなとこに座るわけ?
 わたしの努力はどうなるのよ。
 くやしくて、あきらめたくなくて、授業が終わったところで声をかけた。
≪ねえ――どうして今日は違う席に座ったの?≫
 怒ったみたいな声になってしまった。
 振り向いた彼の、不安そうに揺れる瞳が印象的だった。
≪あなただってば! そこの、背の高いダーク・ヘア。"フジ・ジャズ・フェスティバル"ってTシャツ着てる人!≫
 話しかけられたのが自分かどうかわからなかったとでもいうような、はにかんだ笑みが口元に広がる。
 どうしよう。
 想像していたよりずっとキュートかも。
≪今日で席決めでしょ? 決まったらもう変えられないのよ?≫
≪……知ってる≫
 母音に、わずかなアクセントが聞きとれた。
≪どこの人? 台湾? 日本?≫
≪日本人≫
 落ち着きのある声。
 なんだ。
 やっぱりサムライなんだ。
 そうっと肩が触れたその時、鼓動が一段と早く、強く高鳴りはじめた――。 
 

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≪……ねえ、知ってた?≫
≪なにを?≫
≪食文化って、インターカルチュラルな夫婦にはすっごく大事なんですって。このまえ生徒に教えてもらっちゃった≫
≪へぇ、ほんと≫
≪お互いの食文化が受け入れられないふたりは、かなりツライ道のりになるらしいの≫
 ざっくりと割ったトーフを、色とりどりの野菜が入ったボウルの上に散らして、自家製トーフサラダを作る。
 となりで彼が混ぜているのは、低脂肪低カロリーのドレッシング。
 太陽のふりそそぐパティオにみんなが集まるまでもうすこし。
 わたしたちは、久しぶりに集まるなつかしい顔ぶれのためにキッチンで最後のメニューを用意していた。
≪じゃあさ、パートナーの国の"食べられるもの"を お互いに挙げてみるっていうのは?≫
 ドレッシングの入ったカップを置いて彼が訊く。
≪そうしたら"ツライ道"になるかどうか、わかるかも知れないだろ≫
≪オーケイ、受けて立つわ≫
 サラダボウルをカウンターの上にのせると、シルキーなトーフが美味しそうに揺れた。
 お先にどうぞ、と言いたげに両腕をひらき、カウンターに片方のひじをついてみせる彼に問う。
≪ハンバーガー≫
≪楽勝≫
≪ベークオーズ≫
≪昨日のサラダにいっぱいかけた≫
≪オートミール≫
≪毎日ってわけにはいかないけど、出されれば食べるよ≫
≪んー……エッグノッグは?≫
≪え? あれは食べものじゃなくて飲みものだろ≫
 笑われた。
≪じゃ次は俺の番……ええと、テンプラ≫
≪大好き!≫
≪ナットウ≫
≪大丈夫よ≫
 カモン、と人さし指で軽く手招きしてみせると深い色の瞳がいたずらっぽくしなった。
≪……シオカラ≫
≪あ、ずるい! あなたが食べられないものはわたしもパスしていいはずだわ。そうでしょ≫
≪だったらさっきのエッグノッグもパスOKだろ≫
 さっと両手が背後から回されてくる。
 逃げ遅れたわたしはあっさりつかまって、甘い両腕にからめとられた。
 お互いの国の"食べられる物リスト"はそこで終わりを告げてしまった。
 首筋に落ちてきたくちびるのしたいようにさせながら、カウンターの上にあったスタンドから箸を引き抜く。
 耳たぶを噛まれると吐息まじりになった。  
≪でも食文化はともかく、言葉は? 理解できなかったらやっぱりうまくいかないんじゃないのか?≫
 耳元でささやかれる、低いトーンの英語。
 まろやかな響きの母音はまだ残るけど、在米10年を迎えて、わたしの英語とは息継ぎの位置くらいしか確かな差がなくなった。
 2本の箸をあやつっていると、両脇から手が伸びてきてわたしの右手に重なる。
 中指の位置を直そうとして、もうすでに直す必要もないと気づいたらしい。両手はそのまま腰まで降りてきた。
≪言葉はね、いちばん重要な要素じゃないのよ≫
 本当に大切なのは、お互いの違いを尊重しあうこと。
 そしてそれは、わたしたちみたいな者だけのルールじゃないはず。
 大きな両手が、まだわたしのジーンズの腰のあたりをうろうろしている。
≪愛する気持ちなら、態度で表せるでしょ。こんなふうに≫
 お箸をカウンターに置くと腕の中で体をひるがえし、くちびるを重ねる。
 まつげと鼻が触れあう感覚を楽しみながら、スプリングブレイクのあの夜のことを考えていた。 
 ――ほんとうに、俺でいいの?
 そう訊かれたけど、もうずっと最初から決まってたんだと思えるほど、抱きしめられることが自然だった。
 黒曜石みたいな瞳に映る光も、わたしの髪をなでる繊細な指先も、低いささやきも。
 ふだんはシャイな彼のどこにこんな熱があるんだろう、と思った。
 あの夜、わたしは。
 彼がだれよりも素敵な人なんだってことを、教えるチャンスをもらった――。
 

 両手をそっと頬にあてて呼ぶ。
≪暁――≫
 世界でいちばん美しい響き。
 わたしとキスをする時はほんのすこし眩しげな瞳になる。
 やっぱりどこかシャイで、愛しいサムライ。
 顔を寄せあってもう一度くちびるを重ねようとしたその時、玄関のドアをノックする音が高らかに響いた。
≪あら、残念。じゃあ――続きは今夜にしましょうか≫
 他のだれに聞こえるわけでもないのに。
 わたしの声が密やかになると、黒曜石みたいな彼の瞳が満足そうに細くなった。

 

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