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* 第7話 恋愛のポジション *



 ジャッと氷を削る音に続いて、ゴツッ、ゴォンとパックがボードを叩く硬い音が響く。
 白いアイスリンク。練習中だから観客席の人はまばらだ。
 ゴーリーマスクの向こう側を、黒い髪をなびかせて佐藤の大柄な体が近づいてくる。
 大学リーグの頃からトップクラスの技術を誇る大型ディフェンス。
 軽々とスティックを振りあげ、渾身の力を込めてパックを叩きつけてくる。
 左手を伸ばし両膝を閉じて阻止した。 それでも辛うじて、という言葉どおり、肩に鈍い衝撃が残る。
 マスクをかぶってるせいで、歪んだ眉を見られなかったのが有難かった。
 派手な舌打ちをとどろかせて、佐藤は身を翻した。

 

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「なぁんでおまえといっしょなんだよー」
 ばさ、と雑誌を目の前に叩きつけて、ロッカールームに入ってきたアリゲーター並にでかい男が斜め前のベンチに座る。
「やっと大学リーグ卒業したってのに……おまえの顔はもう見飽きた」
 叩きつけたのは、今季から新しく入団した選手の特集記事が見開きで載っているホッケー専門誌の最新号だ。
 日本リーグ新人特集と銘打った巻頭ページには1ページ目にゴシックの太字フォントでこいつの名前が印刷され、紹介文が続いている。
 チェコ人の血を引くこの俺サマ男は6歳までチェコ共和国で育った。
 俺の名前と紹介文が同じページに載ってるのが気に食わないらしいが、そんなのはこっちだって同じだ。
 思えばインターハイからこっち、顔を合わせる機会は増えるばかりだったように思う。
 お互いに推薦入学で入った違う大学の出身だが、もしかしたらあれはコーチたちの配慮だったのかもしれない。
 こんなやつと同じチームで4年過ごすなんて、考えただけで寒気がする……そう思っていたのに。
 よりによって、日本リーグでチームメイトになるなんて。
「ヒマ人」
 ペットボトルのミネラルウォーターを一口含んで、佐藤から顔をそむけた。
「……なに?」
「ヒマ人つったんだよ。俺に構ってる暇あったら筋トレでもしてろ」
 佐藤のハッキリした眉がさっと鋭さを増す。
 こいつはいつもこうだ。挑発という挑発にすべて乗るから、試合中もペナルティボックスが持ち場じゃないのかという気さえしてくる。
「うるせーよ! この、真っ黒マユマユまーゆーずーみー!」
 しかも幼稚な罵声の浴びせ方しか知らない。
 てめーの眉のほうがずっと黒いじゃねーかよ!
 バカらしくなって腰を上げた。
 荷物の入ったバッグを背負い、ロッカールームを後にする。背中越しにまだ何か聞こえたけど無視した。
 佐藤ドミニク――デカくて騒がしくてオコサマで、どこまでも自分中心なディフェンスマン。
 目立つ外見のせいでいつも真っ先に注目されるくせに、『ハーフ』と呼ばれることを死ぬほど嫌っていて、そう呼んで殴られなかった男はいない。  
 チームで一番スター性のあるあの男が俺の目の前からいなくなってくれるなら、何でもする。
 そう思っていたはずだった――。

 

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「――あ、ねえ、これなんかどうかなあ」
 透きとおるような藍色のうずまきが巻かれたガラスのコップ。
 5個セットになったうちのひとつを、顔の高さまで持ち上げて響子ちゃんが言う。
「ちょっと日本調ですてきでしょ」
 ね、とまつげごと俺のほうを向いた。
 デパートの和食器売り場で、そんな不意打ちにあっけなく胸が高鳴る自分が可笑しい。
「いい色だけど……チェコまで無事に持っていけるかな」
「あら。厳重に包んでもらえば大丈夫よ、きっと」
 言って、響子ちゃんはまたコップに目を向けた。
 透明なガラスの中を、くるりくるりと底から縁まで帯のように藍色がうずまいている。和風のきれいなデザインだった。
「でも、さっき見た写真たても良かったね」
 デパートの別のフロアに並べられていた銀のフレームを思い浮かべる。
 銀の地金の中にパールを連ねたような縁取りがされてあって、いかにもそれらしい贈り物といった感じだった。
 "粗野"と大きく紙に書いて背中に貼ったようなあの大男には不似合いだけど、あいつがなにより大事にしてる恋女房どのはきっと気に入ってくれるだろう。
「どうしよう。どれもみんなオススメで、迷っちゃうな」
「まだ時間あるからどこかで休んでから決めようか。のど渇いてない?」
「そうだね。じゃお茶しながら考えようか」
 ゆっくりとガラスのコップを戻し、それから右手を俺の手の中にすべらせてくる。
 もう長いこと決まっている自分の場所みたいに、ごく自然に収まって、引き寄せられる。
 右利きの女性が右利きの男性と並ぶとき、右手をつないでくるのは相手を信頼している証。なぜなら利き手が拘束される女性に比べて、男性側は利き手が自由になるから――。
 いつだったか、だれかが言ってたそんな言葉をふいに思い出した。
 たとえばそれが統計学的にいちばん多い組み合わせなんだとしても、都合のいい解釈なんだとしても、やっぱり気持ちはうれしい。
 このひとが俺を信頼して右手をさしのべてくれるんだとしたら、都合のいいことでもすべて信じてしまえそうだ。
「なに? 今日の秀くん、いつもと違うみたい」
「え?」
「……にこにこしてるから。なんかいいことあった?」
 手を引くようにして見上げてくる。
 最近髪を短くしたせいで、前より耳たぶがよく見えるようになった。小さな耳たぶにひとつずつ留まっているピアスが、店内の明かりを受けてきらめく。
「あ、もしかして、うれしいんでしょ?」
「えっ」
 どきっとした。
 心を見透かされたのかと思って。
「国際交流試合で、佐藤さん久しぶりに帰ってくるもんね」
「そ」
 ……うじゃないんだけど。
 でもなんて言えばいいのかとっさに思いつかなくて、きゅっと手を握り返しただけだった。
「日米対決だからまたチームメイトになるんだよね? 良かったね」
 なにが"良かった"に当てはまるのかわからないけど、 響子ちゃんの目がカマボコみたいな形にしなるのを見ていると、本当にそんな気がしてきた。
 日本リーグから選ばれた選抜チームと、北米のマイナーリーグ代表が顔を合わせる親善試合――表向きはそういうことになっているけれど、実際はレベルの差がはっきりしている。 
 その中でどこまでできるか。未来にどうつなげていけるのか。
 冬季オリンピックを控えて、士気が高まっているのも事実だった。佐藤が加わればもっとはっきりとした影響が出るだろう。
「いつでも、満足のゆくように。なるといいね」
 左側からそんな穏やかな声が聞こえて、つないでいた左手に少しだけ力を入れた。
 勝敗だけを競うのならすぐに結果は出るんだろう。
 今までそれだけが全てだと思いながらやってきたことが多かったけど、響子ちゃんととつきあいだしてから、スポーツってのはもっと違う見方もできるんじゃないかと考え始めた。
 スポーツなんてからきしダメで、観ることしかできないんだよー、と笑っていたこのひとに、ホッケーで生活している俺はたくさんのことを教えてもらった。
 情けないというか、恥ずかしいというか、うれしいというか……なんだかもっといろんな知らない俺がいるようで、胸が高鳴る。
「うん、そうなるといいな。満足のゆくように」
 答えながらきゅっと手を握る。
 胸が高鳴るのも、うれしいのも、新しいことを見つけられるのも。
 それは、もしかしたら。
 このポジションがそうさせているのかもしれない、と気がついて思わず笑みがこぼれた。
 

 

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