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* 第8話 やきもちやきのMr. JANITOR *


Janitor:(アパート、事務所、学校などの)雑役夫、掃除夫、用務員、管理人
――ランダムハウス英語辞典より――


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「――これ、黛かい。へぇ、うまく撮るもんだな」
 ベンチに座りながら、先週撮ったばかりの試合の写真を見せると金田さんがつぶやいた。
 かさついた太い指先でそっとサービス版の写真をつかむ。
「黛のバタフライは芸術品だな、こうして見るとそれがよくわかるよ」
「……バタフライ?」
 はじめて聞く言葉だった。
 金田さんは、うん、とうなずいて人さし指でしめしてくれる。
「両脚のあいだは防ぐのがむずかしくてね、ゴーリー泣かせのフィフス・ホールっていうんだが、黛のはぴったりくっついているでしょう?」
 見ると、厚手の防具に守られた両腿は確かに隙もなく閉じられていた。
 その状態で両膝を合わせ、膝下はほぼ180度開いた格好でリンクと並行にくっついているから、黛さんの両脚には文字どおり隙間がないってことになる。
 いくらパックが小さくても、すり抜けることは不可能に見えた。
「瞬時にパックにむかってこういう体勢がとれるんだからな。この状態でゴール前を守られたら、敵の選手はたまらんと思うよ」
 敵側を気づかっているようで、実のところは愉快そうに言う……金田さんのほうは、うれしくてたまらないらしい。
「地味なようでいて、与えられた役割にはきちんと貢献する。こういう男がいてくれないと、ホッケーは続かんでしょう」
 ファインダーをのぞいていると耳を頼りにシャッターを切るときがあるけれど、ゴール近くでシャッターチャンスを待っていると、ゴーリーという人が意外と多くの言葉を発していることがわかる。
 ディフェンス陣に指示を出すのはもちろん、ゴール近くでのフェイスオフやアイシングの際のパックさばきまで、チームの司令塔という言葉どおりの役目をはたす。
 ゴーリーは、決して地味なポジションじゃない。
 そう気づいてからの数週間、わたしは黛さんを中心に撮らせてもらっていた。
 もちろん被写体は黛さんだけに限ったものじゃなく、ディフェンスの秋山さんだとか、センターの片岡さんだとか、ほかにもたくさんいたんだけれど。
「宮本さん」
 まだ写真に視線を落としながら、金田さんがわたしの名を呼んだ。
「はい?」
「ここのチーム、公式サイトがあるんですけど、ご覧になったことはありますか」
「公式サイトですか?……いいえ」
 首を振るわたしに、金田さんの目が細くなった。
「はは、こじんまりやってるページですからねぇ」
 そこで、目をあげてわたしを見る。
「実は、ずっと前からそこに練習風景や試合の様子を写真で載せようと話してるんですが、なかなかいい写真がなくて。もし良かったら、宮本さんの写真を載せることを会社側に提案してみたいんだが……どうでしょう?」


 
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「さっき……金田さんとなに話してたの?」
 黄色いプラスティックでできたベンチでとなりに座りながら、カレルが言った。
 フードのついたエアテックのジャケットと、縦糸が色落ちしたジーンズ。
 ふっと視線を落とした先、ブラウンのワークブーツのひもがほどけているのに気づいて、伸ばしていた足をたたんで踵をベンチのへりにかける。
 鼻先にカレルのにおいがかすかに届いた。見られていないのをいいことに、すうっとそれを吸い込んでみる。
「よしの? 聞いてる?」
「え? う、うん……えっと、写真のこと」
「写真?」
「そう。公式サイトに載せる写真。わたしのを会社側に提案してくれるって」
 ワークブーツのひもを結んでいたカレルの指が止まった。
「それって公式カメラマンになるかもしれないってこと?」
「そこまでは……言ってなかったと思うよ」
「いや、言ってると思う。あのサイト前からカメラマンが要るだろって言われてたし」
 音がきこえそうな勢いで笑顔になる。
 ひもも結び終わらないうちに、右手でわたしの頭のてっぺんをなでた。さっきまで靴ひもをあやつっていた指が髪の毛にふれる。
「やったじゃん」
 鼻先に届いたにおいは、もっと強くなってわたしを包んだ。
 心臓の音がはしゃぐように大きくなる。自分の体のことなのにびっくりして、思わず下を向いてしまった。
 やだなあ、もう。
 キスしたり手をつないだり抱きあったり、そういうことしてるのに、このひとが自分の恋人だということに未だに慣れない。
 ホッケーしてるところを見てるから、ちょっと理想化してるのかも……最初はそう思っていた。
 でも。
 ホッケーしてなくても氷の上にいなくても、カレルはじゅうぶん光に満ちている。それが自分の恋心からくるものだとわかっていても、やっぱり目が離せない。
 そんなことを考えていると、すうっと人さし指が頬に降りてきた。
 指の外側で、2回、なでるように触れてゆく。羽毛が触れるようなひそやかな感触だった。
 くちびるの横、いちばん柔らかな部分をカレルの長い指が触れて、そして離れていった。
 息が止まるかと思えた。
「手、出して」
 顔をあげたまま動かずにいたわたしに言う。
「……て?」
 わたしの声は裏返っていた。咳払いしてから訊きなおす。
「どっちの?」
「……じゃあ、こっち」
 訊いてきたくせに、カレルは自分でわたしの右手をとって胸の前へ持ってこさせた。
 左手でそれを支えたまま、右手はジャケットのポケットを探っている。
「これ見たとき、すげぇ似合いそうだと思って……でも、よく考えたら指輪にすればよかった」
 そう言ってポケットから出てきたものを、わたしは一生忘れないだろうと思った。
 カレルの人さし指と親指のあいだでリンクのライトをきらりと反射させたのは――ブレスレットだった。
 三重になった細いワイヤーに、ビーズやスワロフスキーガラスがちりばめられている。
 氷のつぶみたいな透明な青色と、アクセントに紫色や透き通ったビーズ。
 きれいな色の組み合わせだった。
 ずっと昔、氷河期時代の氷を本で見たことがあるけれど、あの太古の氷がぎゅっと凝縮されてアクセサリーになったみたいだ。
 カレルはわたしの手首をとってコートの袖口をすこしめくると、金具を上にしてその氷のブレスレットをつけてくれた。
 その動作だけでわたしの鼓動はこれまでにないくらい跳ねあがる。
「どどどどうして?」
「この前の休みにドミの嫁さんが遊びにきててさ、今はこういうビーズ作りにはまってるんだって。だから、ひとつもらったんだ……よしのなら似合うと思って」
 聞きながらも、視線はブレスレットとカレルの指のあいだを行ったりきたりしていた。
「こういうの、なにもしてないから嫌いかなとも思ったんだけど」
「そんなことないよ、ぜんぜん」
 こんなにきれいなブレスレットを、『似合う』と思ってもらえたことがうれしかった。
 だれよりも、カレルにそう思ってもらえたことが。
「すごくうれしい。ずっとつけておくね」
 右手首を持ち上げると、輪になった氷のつぶがリンクの照明に反射してきらきら光る。
 大きな手のひらが降りてきてそのまま指先を包まれたと思うと、カレルはわたしをベンチから立ち上がらせてくれた。
「帰ろう。これ以上金田さんにジャマされないうちに」
 ……は?
 金田さん?
 ホレ、という感じで、カレルがわたしの背後を目で示す。
 見ると、モップを持ってキャスターのついたバケツを転がしている金田さんが、口笛を吹きながら通り過ぎるところだった。
 清掃員の控え室へ戻るところらしい。わたしと目が合うと、帽子のつばについっと触れるようなお辞儀をしてくれた。
「ほらな」
 カレルのほうに向きなおって、思わず笑ってしまった。
 口がへの字に曲がっていた。くやしそうな瞳ときつく伸びた眉。
 明らかな不満顔は、どこかお兄さんに似ていた。
「今度はぜったい指輪にするから、サイズ教えといて。そうすればもうだれにも邪魔させないだろ」
 ……邪魔って。
 どう考えたって、邪魔なんかしてないでしょ金田さんは。
 そう思いつつも、口が笑ってしまった。
「だいたい、この間から黛さんばっかり撮ってるし。ちゃんと彼女いるくせに、あのひと無駄に人気あるんだよ……なぁ、聞いてる?」
 どうしよう。
 もうカレルの顔が見れない。
 ものすごい誤解をしてるけど、もうちょっとこのままでもいいかな。
 なんだか自分に小さな角と矢じりのついたしっぽが生えた感じがした。
 ……まったく。
 ここの清掃員さんには、可愛らしいひとが多すぎる。
 心でひとりつぶやきながら、そっとカレルの手をにぎりかえした。

 

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≪管理人のつぶやき≫
『理想の恋のこわしかた』、ふたりのその後です。