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風の街で待ってて

10.2カラットの誤解

 

 

 その日は、雪が降っていた。
 スチールグレイ色の空からとめどなく落ちてくる白いかけらたち。
 きれいだった。とても。雪ってこんなに優しいものなんだ、と初めて気がついた。
 外は凍えるような寒さなのに、風はすべてをなぎたおすほど強いのに。
 わたしの心は穏やかだった。
 雪のせいで研修が早めに終わって帰ってきた迅一郎と夕食をすませ、アイスホッケーのゲームを見に行った。
 おとといの晩にテレビで見たわたしが、シカゴではこんな試合が見られるの、と訊いたことが始まりだった。
 アイシングもオフサイドも、ルールはよくわからなかったけど、もっと迅一郎のことを知りたかった。
 会うたびに少しずつ彼のことを理解していけるのが嬉しくて。
 どんなに小さなひとりごとも。ときおり見せる困ったような表情も。楽しそうに口ずさむ英語の歌も。
 わたしを腕に抱きよせる時の黒い瞳も。
 このひとは、なんてあっさりわたしの気持ちを捕らえてしまうんだろう、と思った。
 全部わたしのものにならないかな。本気でそう願った。
 ……清美さんに会った時、彼女はごく自然に『わたしのトニー』と呼んでいた。
 この国では、そんなふうにして愛しいひとのことを優しく周りに知らしめる。
 なんだかちょっと素敵。
 たったひとりの名前だけ、こんなに甘く響くのはどうしてだろう?
 甘く愛しく、心地よく。呼ぶたびにどんどん好きになる、魔法の名前。
 『わたしの迅一郎』――いつかそう呼べるかな。
 ……でも、アリーナでの彼はどこかようすが違っていた。
 初めは国籍のことで悩んでいるんだと思った。選択しなきゃならない時が近づいているから。
 たとえどちらの国籍になっても、それで彼の生きてきた過去が消えるわけじゃない。
 なにかの折にほんの少しだけ、手続きが増えたりするのかもしれないけど。
 アメリカ国籍だけになるのなら、よりいっそうしっかりした基盤が持てるだろう。
 きっと大きな自信につながる。
 日本国籍という選択なら、わたしも何か手伝ってあげられるかも。
 ちからになってあげられるかもしれない。
 そんなわたしの考えは、手のひらにベルベットの小箱を乗せられたとたんフリーズしてしまった。
 なんだかいろいろ言われた気がする。
 とっても大切なこと。悲しくないのに胸が痛くなって、涙がにじむくらい嬉しいこと。
 一生のうちで、そう何度も起こらない感動的な瞬間、わたしの気を動転させたのは。
 迅一郎があけて見せてくれた赤い小箱の中の。
 信じられないくらい大きなダイヤモンドの指輪だった。
 ――ちょっと、ちょっと待って。
 なにが起こってるの?
 これって、本物?
 ……え?
 なななに考えてるのよ多佳子、違うでしょ。
 そうじゃなくて……ええと。
 いま見ていることって現実なの?
 ほんとは夢なんじゃない?
 情けないことに、とっさに頭に浮かんできた言葉はそれだった。
 なにがなんだかわからなくなっていた。
「シカゴに、来いよ」
 しっかり頭に入ってきた言葉はそれだけだった。
「迅一郎!」
 助けを求めて呼んだつもりの声は怒ったみたいになった。
「ハイ」
 びっくりしたように彼が返事する。
 どうしようどうしよう。
「……ごめんなさい」
 思わずそんな言葉が出て、何度か訊き返された。
 でも、もうコントロールなんかできない。
「ごめんなさい。これ――わたし、受けとれない……」
 泣きそう。
 迅一郎はどうかしてる。
 きっとそうだわ。
 だって……ダメ、とてもはめられない。
 わたしの手には。
 こんな。
 ――こんな大きすぎるダイヤモンド。

 

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 ワイン色のふかふかしたカーペットを踏んで店内に入る。
 ずっと浴びてると日灼けしそうなほどまばゆい照明と、指紋ひとつついていないガラスのショーケース。
≪あら、このあいだの……すごい名前のひと! ライトさん!≫
 チェーンのついた金縁めがねを外しながら、ケリーが笑顔をよこした。
≪教えて。お式はいつになったの?≫
 それにはあえて答えずに、シャツのポケットからベルベットの小箱をとりだしてショーケースに置く。
≪いや、これね……これ、返します≫
≪は?≫
 彼女の顔がサッとこわばる。
≪……なにか不都合でも?≫
≪"受けとれない"って言われたんで≫
 ショーケースの向こう側から、かすかなため息が聞こえた。
 哀れむような、励ますような、そんな嘆息。
≪ままま。まあ……どうしましょう≫
 どうしましょうって言われても。受けとってもらえなかったのは俺のほうなんだけど。
 わずかにうつむいた俺の顔が同情を誘ったらしく、ケリーはひとしきりなぐさめの言葉を口にしてくれた。
 それから、この婚約指輪がいかに高いクオリティかということを改めて強調する。
 この指輪にはなんの落ち度もない、よってこの店には責任を負う必要さえもない、ということを彼女なりに表現したいらしい。
 ……当然だ。それでこそアメリカン・スピリットだぜ同胞。
 そう、カットもクラリティもカラーもすばらしいこの指輪にはなんの欠点もない。問題のないことがかえって問題なくらいだ。
 慈しむように小箱に触れて、ケリーはくちびるを震わせる。
≪お気の毒に……なにか、できることがあるかしら?≫
 Yes, ma'am――イエス・メァム。
 このダイヤモンドと同じ重さだけ誤解していた男の話を、聞いてもらえます?
 ケリーが、どうぞ、と右手でうながしてくれる。
 小さなイスに腰をおろしてひとつ咳払いをした。
 さて、どこから話し始めようか。

 

 ――あのあと。
 15分のインターミッションはとんでもないことになった。
 "受けとれない"と言った多佳子は、あわてたようすでこう続けたからだ。
『わたし……わたしね、ダメなの。手が小さいんだもの』
『手が小さい?』
 リングのサイズが合わないとか、そういうことか?
 そんなはずはない。
 ちゃんと、一政に訊いて確かめておいた。
『こんな大きなダイヤモンド、きっと似合わない。ねえ迅一郎……あなたどうかしてるんじゃないの? 昨日の夜、寒いって 言ってたけど……もしかしてカゼで熱があるとか、頭がぼんやりしてるとか、そういうことはない?』
『はい?』
 ……なんだそれ?
 話がどこに向かっているのか全然わからなくて戸惑うしかなかった。
 エンゲージリングについてる石ってのは、デカければデカいほうがいいんじゃなかったのか?
『やっ、ちょっと!……なにするの?』
 多佳子がそう言うのも構わずに左手をひきよせ、箱から指輪をとりだして薬指にはめてみる。
 ……言葉を失った。こんなのってありかよ。
『ほら、ね?……こんなに大きなカラットは、手も大きいひとじゃないと似合わないのよ? バランスっていう言葉があるでしう?』
 優しく、諭すような声だった。
 指輪から目をあげると、困り顔の多佳子が俺を見ていた。
『もう、おかげであなたがなに言ってくれたのか――全部聞きそびれちゃった』
『聞きそびれた?! 全部?!』
『うん』
 そりゃないよ……。
 きっと、いままでの人生でいちばん心もとない顔をしていたんだろう。
 指輪をはずして元通りに箱にしまうと、多佳子は空いたほうの右手でそっと俺の頬にふれてきた。
『ね、聞いて……わたし、日本語の勉強始めたの』
『……英語だろ?』
『日本語』
『……俺、また聞きまちがいしてる?』
『いいえ、してません』
 要領を得ない俺は、今度はひどく混乱した顔になったんじゃないかと思う。
 多佳子は、はぁ、と小さくため息をついて心配そうな表情を浮かべた。
『日本語の先生になれたら、迅一郎によりかかって頼って立場を利用するような方法でこっちに来る必要、ないでしょ?』
『なに言って……そんなつもりじゃ』
 反論しようとした俺の口を細い指先で遮って、多佳子は続けた。
『わかってる。迅一郎はいちばん早くここへ来れる方法を言ってるだけよね? でもわたし、どこまで自立できるか試してみたいの。もしかしたらうまくいくかも、なんて……あ、でもやっぱり――そんなにうまくいくわけないか』
 ええ?!
 どどどっちだよ?
『もしダメだとしても、なにも困ることなんかないでしょ? あなたはもう先生を手に入れてるんだもの』
 すうっと、琥珀に似た明るい茶色の瞳がしなる。
『いますぐはムリだけど、シカゴには来ます。いつか必ず』
 夜空の星を見あげるように瞳をのぞきこまれた。
『触れてないと気がヘンになるなら、ずうっとわたしに触れていて……これから一生。それで、怖いことやくじけそうなことがあったら言って。わたしがついててあげる。ずっと、迅一郎のそばに……だから』
 甘くささやく声に、体中が痛くなるほど鼓動が大きくなる。
『だから、お願い――カラットはもっと小さいのにしてもらって』
 肩から一気にちからが抜けた。
 見ていた景色が一瞬揺れて、また元に戻った。
 ……いまぜったい泣き笑いみたいな顔になってるぞ俺。
 "世界一マヌケなプロポーズをした男"
 もしもテレビのリアリティ・ショーに映ってたら、そんな人生のテロップがつきそうだ。
 きっとそうだ。
 でも構うもんか。
『小さいカラットって、じゃ、あの……は、半分でいい?』
 訊ねるとゆっくりとひとつまばたきをして、じゅうぶんよ、とうなずいた。
『それ、返事はイエスってこと……?』
 もう一度。
 今度は笑って大きくうなずいてくれた。
 両腕を伸ばして愛しいひとを抱きしめる。
 ななめ後ろに座っていた白髪のおばあさんと目が合った。
 ハラハラしたようすで見守っている。
 ――She said YES!!!
 迷わずそう言った。
 ぎょっとした多佳子の身が固くなる。
 ――Way to go, young man!!!
 おばあさんは俺に負けないくらい大きな声で答えて、ウィンクを投げてくれた。
 後ろの列から拍手が聞こえる。
 前のほうに座っていた観客が何人も、振り向いて伸びあがるのが見えた。
 かなり派手に冷やかされた。
 彼女を腕に収めたまま、左手を挙げてそれに応える。
『よかった、夢じゃなくて――』
 多佳子が、俺の背中に腕を回して抱きとめながらつぶやく。
 俺にだけ聞こえるように。
 その声のほうが夢みたいだった。
 聞いた瞬間に思った。
 俺は世界一マヌケなプロポーズをしたかもしれないけど。
 きっと。
 この星でいちばん――幸せな男だ。

 

≪――カラットが、デカすぎた? そう言ったんですか、いま?!≫
 ブルーグレイの瞳がゆらゆらと揺れた。
≪ハイ≫
 ケリーは一瞬、このひとは頭がおかしいんじゃないのかというような表情になり、すぐにふきだした。
≪あはは、あなたって笑えるわー。弁護士よりスタンダップ・コメディアンになれそう≫
 ……あのー、もしもし? 
 俺が客だってわかってます?
≪ほんとですってば。彼女の手、思ってたよりずっと小さかったんです。それで、石が大きすぎて、とてももらえないって≫
 言いながら自分でも笑ってしまった。
≪だから、半分のカラットにとりかえてください≫
 ケリーは盛大に俺を笑い飛ばした。
 しかも両手まで打っている。
 それを見たら自分のことながら笑えてきた。
 なんでもデカイほうがいいアメリカ人に比べて、日本人は必ずしもそうじゃないらしいですよ、なんて言ってみたところで。
 きっとわかってもらえないよな。
 俺だって知らなかったんだから。
 ほかの店員や客にジロジロ見られるのもお構いなしに、俺たちはその場でたっぷり笑いあった。
≪……わたし、長くこの店で働いてるのよ?≫
 目じりの涙を指先でぬぐいながら続ける。
≪大きいカラットにしてって言ってくるひとはよくいるけど、小さいのにしてくれと言われたのは……ミスター・ジーン・ライト、あなたが初めて≫
≪光栄です≫
≪幸運なそのレディを、連れていらっしゃればよかったのに≫
≪ダメです。婚約指輪は、プロポーズの時までないしょにしておくのが家法なんで≫
 もう一度仕切りなおしだよ、と自分に言ってきかせる。
≪きっと、お孫さんの代まで語り継がれるわね……では、お見せしましょうか。半分のカラットのものを≫
 まだ優しく笑いながら、彼女はショーケースのカギをあけた。

 

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「……お父さーん、パスポート持った?」
 2階に向かってそう問いかけると、ううーんともああともつかない返事が返ってきた。
「じゃあこの玄関に出てるのはなあに? わたしのじゃないわよ?」
 ばたん、とドアの閉まる音がして、口をへの字に曲げた父が階段を降りてくる。
「……わかってんなら訊くな」
「やだもう、自分のパスポートくらいは自分で管理してね。わたし自分のことで頭がいっぱいなんだから」
「ハイハイ、6月の花嫁さま」
 気どった口調でお辞儀をしてみせる。
「……やな感じ」
 その腕にパスポートを押しつけてやった。
 菊の紋章が入った赤いパスポート。
 それを見ながらまた考える――。

 

 季節は巡り続け、わたしたちが出会って3回目の夏が来た。
 2冊あった迅一郎のパスポートが1冊だけになって、またたく間に1年が通りすぎていった。
 彼は濃紺の、ワシの紋章が入っているほうを選択した。
 わたしはアルバイトに切り替えながら日本語の勉強を続けた。先生になるのは、やっぱり簡単なことなんかじゃない。
 今まで自分がいかにあやふやなまま母国語を使っていたか痛感し、いっぱい悩んで頭を痛めて、そして泣いた。
 それはこれからシカゴに行っても続けることになる。
 去年と同じく、迅一郎には今年も夏のあいだずっと研修が入っている。
 じゃあハネムーンには当分行けないわね、と告げた日、彼は熱を出して寝こんだらしい。
 お見舞いに来ていた友だちが電話口でゆっくりと教えてくれた。
 ――ジーンはああ見えても、けっこう繊細なところがあるから。
 大きな借りがあるとか言ってたあのお友だち、なんて名前だったかしら……?
「なあ、本当のところさ……どうよ?」
 ぼそぼそとしたお父さんの声で、現在に引き戻される。
「なにが?」
「清美のダンナ。どんなヤツ?」
「……『清美さん』でしょ。ヘンな口のききかたすると殴られるって」
「え?!」
「迅一郎が言ってたわ。6フィート3インチ。高校時代はフットボールのクォーターバックだったって」
「やっぱ行くのやめるわ俺」
 父はくるりと背を向けた。
 すかさずその腕をつかむ。
「なに言ってるの今さら」
「いいじゃん、花嫁の父は急用で出られなくなったってことでひとつ」
「花嫁の父が結婚式に出席できない急用ってなによ?」
 軽く受け流しながらリビングに追いたてた。
「だって日本にはいろいろあるだろホラ……えー、そうそう、町内会の集まりで今週ドブさらいするって杉村さんが」
「ナイス・トライ。うーん、もうひと声かな」
「……多佳子、おまえだんだん迅くんに似てきたよその答えかた……なにしてんの?」
 リビングの棚からフレームを持ち上げるわたしを見て父が訊く。
「これね……持ってきてって。迅一郎が」
 ひときわ大きなフレームに入ったお母さんの写真を抱えて答える。
「鳥羽さんの写真も列席者に入るって。だからお願い。お父さんも、お母さんといっしょに堂々と参列して」
 父は急に姿勢を正して動かなくなった。
 そのまま、遠い夕日を見つめる時のような表情になり。
 哀しくて、優しげな笑みがつかのま父の頬のあたりを揺らした。
「なんていうかさ……不思議な縁だな、俺たちはみんな――」
 ……そうだよ、お父さん。はじまりは鳥羽さんとお父さんだったんだよ。
 ふたりが出会ってなかったら、迅一郎はごく普通にアメリカで暮らしていたかもしれない。
 わたしの人生も天と地がひっくり返ったりしないまま、日本で暮らしていたかもしれない。
 どこかですれ違うこともなく。
 不思議ね。
 もしそうなら、わたしの世界と迅一郎の世界が交差することはなかったんだね。
 よかった。
 鳥羽さんとお父さんが友だちになってくれて。
 清美さんが迅一郎をこの世に送り出してくれて。
 そして、迅一郎がまちがわずにわたしと出会ってくれて。
 ……きっとこれからも悩まなきゃならないことはあるだろう。
 涙を止められなくなるような、つらい思いをすることもあるだろう。
 でも、乗り越えるためにいちばん必要なものはもう手に入れた。
 わたしたちは、まだ星のほとりにいる。
 考えながら、息をのむほどきれいなお母さんの写真が入ったフレームをお父さんに手渡した。
 父はほほえんでいた。
 リビングに入りこんでくる陽射しにフレームのガラスが光って、お母さんがちょっとウィンクしてみせたような。
 そんな気がした。

 

 

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≪管理人のつぶやき≫
最後まで読んでくださったみなさま、本当に本当にありがとうございました!
おまけもつけましたので、らぶらぶスィートなのが大丈夫なかたは>>not sweet enough?へお進みください。
よろしかったら感想やご意見などいただけると、小躍りして喜びます。
本文中の英文和訳は下にあります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

She said YES!!!→返事はイエスだって!!!
Way to go, young man!→やるじゃないか、お若いの!