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風の街で待ってて

3.Stepsister Blues

 

 

 白と黒のボーダーコリーが、芝生の上を駆け出してゆく。
 赤いディスクは鼻先のまだずっと上空なのに、彼はジャンプするタイミングをどうやって知るんだろう。
 まるで芝生の上には人間に見えないしるしがあるんだ、と言わんばかりに正確に地面を蹴り、空中でディスクをくわえこむ。
 動物と話ができるというソロモンの指輪が本当にあるなら、ボイスに訊いてみたい。
 今、どんな気分なんだ?――って。
 赤い円盤をくわえながら、ボイスが得意げに俺の元へ戻ってくる。
 バイカラーの茶色と水色の瞳が、こんなの朝メシ前だ、次はもっと遠くまで投げてくれ、と訴えるようにきらきらした。
≪……よし、じゃこれでどうだ?!≫
 力いっぱい投げると全速力で走り出す。うしろ姿がしっぽの先まで嬉々としている。
 それを眺めながら、キルト製のブランケットの上に座って脚を伸ばした。
「ね、あんなに遠くまで投げちゃったら……追いつけないんじゃない?」
「落ちてくるまでには追いつくよ。この公園ならボイスがキャッチできない場所はないから」
 横顔を見ながら答えた。多佳子は少し心配そうにボイスを目で追う。
 肌触りの良さそうなリネンのワンピースから伸びた、ほっそりした腕。
 太陽の光が当たってその肌が金色に光って見えた。
 ――この人、俺にないしょにしてるだけで本当に女神なんじゃないのか?
 本気でそう考えた。
「わぁ――ほんと! すごい! ちゃんと取ったわ、ほら!」
 わずかに肩を揺すられて前を向く。ボーダーコリーは身をひるがえして戻ってくるところだった。
 ……ごめん、ボイス。見てなかった。
 どんなにディスクを遠く飛ばしても、おまえならキャッチできるって信じられるのに、いま隣りに多佳子がいるってことが信じられない。
 やっぱり夢でした。
 そんなふうに、あっけなく目が覚めて終わりそうな気がする。
 ブランケットの上に片手をついたまま多佳子の腕を引き寄せ、確かめるようにくちづけた。
 触れているとまともな思考じゃいられなくなる。
「なあに……?」
 多佳子のまつげが下を向き。
 頬が、見たこともないほどふっくらとしたカーブを描いた。
 その柔らかな曲線に見とれる。
「あのさ、俺、言ったっけ?……多佳子って、黙ってるけど本当は、め――」
「あ……危ない!」
 戻ってきたボイスの口にくわえられていたディスクが、ブランケットの上にあったカップにあたる。
 こぼれた中身がかかって、サンドイッチはあっというまにコーヒーまみれになった。
 ……あのな。
「やだ、大丈夫?」
 多佳子があわててペーパーナプキンでブランケットのしみを吸いとる。
「ヘーキ。でもブランチが溺れたよ」
 カラになったカップと、コーヒー漬けになったサンドイッチを容器ごと芝生の上に移す。
 もう食べられないと思うと急に腹が減ってきた。
「ったく、どうしたんだよー、コーヒーこぼすなんて……」
「迅一郎に見て欲しくて、やきもちやいたのかしら? もっと遊びたいのかも――あ! 見た? 今の?!」
「え? 何が?」
「ボイスったらウィンクした」
「は?」
 なに?
 多佳子に言われて見たけど、芝生の上に座っているボーダーコリーはあくびをしただけだった。
 ひゅーん、と呑気に鼻を鳴らす音まで聞こえた。
 ウィンクだと?
 ……やっぱり。
 ソロモンの指輪なんて、なくて正解。
 やきもちやいたのは、きっと。
 俺にだ――。

 

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 午後になってから、多佳子といっしょに『うちでいちばん分別がある』と言われた双子たちを迎えに行った。
 キャンプの解散場所でバスから降りた二人の肩に、そろいのバックパックが揺れている。
 歩きながら肩を寄せあって何やら楽しそうに話し、俺に気がついたタリヤが先に手を振ってみせた。
 野外活動が多かったせいか、二人とも日に灼けていた。金色の髪を後ろでひとつに編んでいる。
 マスタングの後部座席のドアを開くと笑顔になって駆け寄ってきた。
≪よぉ、どうだった? サマーキャンプ≫
≪すっごい楽しかった! あのねあのね、ヘンな鳥がいたの! しっぽがこーんな長くて黄色いの≫
≪タリヤは絵も描いたのよ。あとでいっしょに図鑑見てね、ジーン≫
≪オーケイ。んじゃ、乗って≫
 車の中で双子たちに紹介すると、助手席の多佳子はにこにこしながら、ゆっくりとした英語ではじめまして、と言った。
 英語は話せないよ、と教えておいたせいで不安だったのか、双子たちはそれを聞いて少し笑顔になった。
 同じ顔と声でそれぞれ自己紹介をする。
 ひとりひとり通訳してから、車のエンジンをかけた。
 二人は最初だけ静かにしていたけど、キャンプで見たヘンな鳥や新しく覚えたゲームの話を始め、すぐに後部座席が騒がしくなった。
 時々早口の英語を向けられて、多佳子が戸惑ったようすで俺に通訳を求める。訳している間に後ろの二人はどんどん話しが進んでいて、目の回りそうな忙しさを味わった。
 家につくと、玄関に踏みこむなりボイスがまとわりついた。
≪ね、早く調べてみようよ、タリヤ≫
 片手に丸めた画用紙を振りながら、ティアナが言った。
≪……こんな鳥、ほんとにいるの?≫
≪待って、今図鑑持ってくるから!≫
 タリヤが2階にかけ上がってゆく。
「二人ともお人形みたい……迅一郎がすごく可愛いよって言ってたの、よくわかるわ」
 多佳子がつぶやいた。
「だろ? トニーがなんて呼んでるか知ってる? 双子たちのこと」
「なんて?」
「『俺の大事な宝石たち』。学校が終わったらできる限り自分が迎えに行く、ってすごいウルサイんだよ……ベビーシッターがいるのにさ」
「優しいお父さんなのね」
 ティアナが、くすくす笑う多佳子と俺を交互に見ていた。
「俺にはそのカケラも見せないけどな」
 肩をすくめて答える。
 そこで、それまで黙っていたティアナが俺の手を揺すった。
≪なに?≫
≪……のど渇かない?≫
≪何か飲む? オレンジジュース?≫
 うなずいて、キッチンへと俺を引っぱってゆく。
「多佳子は? コーヒーでいい?」
 キッチンへ入りながら背中越しに訊くと、ありがとう、という返事が聞こえた。

 

 ディナーは珍しく母さんが作ることになった。
 ……一政が、俺の父親は彼女のことを『竜巻みたいな人だ』と言ってたと教えてくれたけど。
 そのわけがよくわかった。
 料理がすんだ後のキッチンは、本当に災害に遭った後みたいだったからだ。
 もしかして……そういう意味もあったのかな?
≪ねえ、どこまで行くことにしたの? あさってから≫
 デザートの用意をするためにトニーが席を立つと、母さんが訊いてきた。
≪フロリダくらいまで南下する?≫
≪そりゃ、長い休みならそうするけど……ジェット機でもなきゃ無理だよ。だから今回は近いとこで――≫
≪ジーン、出かけるの?≫
 俺の声を遮るようにティアナが言った。
≪あさっては誕生日なのに? いなくなっちゃうの?≫
≪午後までは家にいるよ≫
≪そういうことじゃなくて……≫
≪21回目は特別だから、ティアナはいっしょにお祝いしたかったのね?≫
 小さくなった声に、母さんがそうつけたした。
≪あ、なんだ。それなら早めに祝ってくれても、俺は全然かまわないのに≫
≪そういうのはイヤなの! 誕生日当日じゃないと意味ないわ≫
 きっぱり却下された。
≪……ハイハイ≫
 斜め前に座っているタリヤが、そこで大きく息をついた。
≪ティアナ、聞いて。仕方ないのよ……ジーンはタカコといっしょにいたいんだわ≫
 タリヤは俺とティアナを交互に見つめ、困った様子で首を振る。
≪男は人生のうちで一度は年上に惹かれるものなのよ。パパを見ればわかるでしょ?≫
≪いてーッ!!≫
 キッチンでデザートの準備をしていたトニーが、ガラガラと派手な音をさせて何か取り落とす。
≪あら、大丈夫かしら?≫
 母さんが、さも驚いたという表情を作って眉を上げた。口元が笑っている。
 何を言われたのかわかってない多佳子だけが不安そうな顔だった。
「今なんて言ったの?」
「ええと……あとでゆっくり説明するよ」
 冷や汗が出た。
 ……女の子っていうのは、いつどこでこういう言葉の使い方を覚えるんだろう?
 耳の後ろあたりがもぞもぞする。
 無言で座っていたティアナが席を立った。
≪ティアナ?≫
 キッチンから戻ってきたトニーが訊いた。
 彼女は答えない。そのまま2階の自分たちの部屋へ上がったようだ。
≪大丈夫よ、タカコ。彼女はジーンに傾倒してるだけなんだから≫
 訳知り顔なタリヤの説明を受けて、多佳子が曖昧な笑みを見せる。
 トニーと母さんが揃ってサッと横を向いた。笑いをこらえているらしい。
 ……面白がってるな?
≪……それ、俺が持ってくよ≫
 トニーの手からデザートの入ったボウルを受けとって、ダイニングを後にした。

 

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≪ティアナ? デザート持ってきたんだけど、食べないか?≫
 双子たちの部屋のドアをノックする。
≪……いらない≫
≪あー、ホントに? ティアナの好きなフローズンヨーグルトだよ? こないだ出たばっかのピーチ味≫
 返事はなかった。
 考えているらしい。
≪すっげー美味そう。食っちゃおうかなあ……いらないなら俺がもらってもいい?≫
 ガラスのボウルの縁をスプーンでかちかち叩いてみる。
≪それとも見てから決めるか? 早くしないと溶けちゃうぞ≫
 かち、かち、かち。
 3回目くらいで、
≪……じゃあ、見てから決める≫
 と、中から返事があった。
≪じゃーん。新製品・ピーチ味。しかも脂肪分・糖分・カロリーすべてゼロ。どうよ?≫
 ドアを開けてボウルを見せびらかし、テレビショッピングにならってもう片方の手を上下にヒラヒラさせてやる。
 ベッドの上であぐらをかいていたティアナは、いい加減にして、とでも言いたそうに目を回して見せた。
≪……なんだよ、冷てぇな≫
 ため息まじりに抗議して隣りに腰かける。
 差し出すと、それでもティアナはボウルを受けとって下を向いた。
≪どうした? 機嫌なおせよ≫
 すぐには食べようとしないで、スプーンをもてあそんでいる。
≪キャンプで、ビッグシスターになれたんじゃなかったのか? メリンダだっけ? 仲良かったじゃん≫
≪……アマンダよ≫
≪……失礼≫
 溶け始めたフローズンヨーグルトを、やっとスプーンでひとつすくって口に運ぶ。
≪ビッグシスターにはなれたの。だからすごく楽しかった……いっしょにね、湖の生き物を調べる係になったのよ≫
 少し声が弾んだ。
 末っ子の彼女は、今年のキャンプで"お姉さん役"のビッグシスターになれることを楽しみにしていたらしい。
≪湖水の状態を調べたり、野草の絵も描いたりしておもしろかった。ポニーにも乗ったのよ。今年のキャンプがいちばんどきどきしたわ。ジーンやパパやキヨミがいてくれたらなぁ、って何度も思ったもの≫
≪じゃあ今度はトニーに頼んでみようか? みんなで行けるかどうか≫
≪でも……≫
 声が小さくなる。
≪でも、なに?≫
≪……旅行に行っちゃうんでしょ?≫
≪すぐ帰ってくるよ≫
≪帰ってきたらまたサマージョブに戻って、その後はロースクールが始まるから寮に入っちゃうじゃない。夏休みなんてもう終わりだもん≫
≪なにも夏休みだけが休みじゃないだろ? サンクスギビングもクリスマスもスプリングブレイクもあるじゃん≫
≪でもジーンは、そのうち最低一回はきっと日本に行くんだわ≫
≪そ≫
≪そしたら!≫
 反論と説得をいっしょにしようと思ったら、思いのほか強い口調にあっけなく遮断された。
≪あっという間に休みなんか全部終わっちゃって、ロースクールもすぐに卒業しちゃって日本で仕事見つけて住むことになるのよ! もうシカゴには戻ってこないんだわ! きっとそうよ≫
 ――すげぇ展開だな。
 そりゃまあ。
 そういうのも俺としては嬉しいんだけど。
 話が早すぎやしませんか、お嬢さん。
 ……キャンプに参加してる間、友達か誰かに何か吹き込まれたのか?
 そう考えて足元を指さした。
≪あー、とりあえず、今んとこ俺の家はここなんだけど……わかってる?≫
≪日本語しゃべってる……≫
≪え?≫
≪日本語しゃべってる時、ジーンは優しそう≫
 なんだか今日は話題が飛ぶなあ。久しぶりに帰ってきて気持ちが昂ぶってるのかもしれない。
 ……それで?という意味も含めてティアナを見た。
≪なんかね、歌みたいだなって……でも今は、イヤ≫
≪どうして≫
≪だって、なに話してるのかわかんないんだもん……≫
≪だったら、優しそうかどうかなんてどうしてわかるんだ?≫
≪ううん、それは見てればわかる。でも日本語の発音は……しゃきしゃきしたキレイな音で、繊細で静かな感じなの……あたしにはできない≫
 言ってることが抽象的になってきた。
 ティアナはもともと感受性の豊かなところがあって、俺やトニーなんかじゃとても理解が及ばなくなる。
≪そういうのって、なんか、ずるい≫
かちん、と音がしてスプーンがボウルに当たる。フローズンヨーグルトをすくっては落としすくっては落としている。
≪ティアナが考えてるほど難しくないって≫
≪……ジーンには、でしょ≫
≪きみが今話してる英語だって、勉強してる人たちがいっぱいいるって知ってる? 発音も時制も文法も難しいって嘆いてる人が、いっぱいいるんだよ≫
≪ウソよ、こんな簡単なのに?≫
≪な、そう思うだろ? ティアナの話す英語がきれいでうらやましいって思ってる人に、上達するまでの少しの間、手伝ってあげたいと思うのはずるいことなのか?≫
 ティアナは黙ってフローズンヨーグルトを口に運んだ。
≪もしきみが日本語を勉強したくなったら、同じように手伝うよ?≫
 片足をベッドに乗せて彼女のほうに体を向けた。
≪日本語は単純な言語だよ。英語と違ってすごくシステマティックだし、ティアナが今勉強してるフランス語と比べて男性名詞や女性名詞もないし、楽勝だぜ……学校でも日本語のクラス選択できるんだろ?≫
≪中等部に上がればね≫
≪んじゃ取れよ。俺が教えてやる。グレードA確実で、クラスメイトに自慢できるぞ? 日本人のステップブラザーがいること≫
 おおげさに言ってやったら、ティアナはくすくす笑い出した。
≪……もうしてるわ≫
≪あ、そう≫
 なんでだ?
 双子たちの通ってる私立校じゃ、日本人なんてそんなに珍しくないと思ったんだけど……。
 考えながらティアナの手に収まっているボウルを見た。ガラスのそれは、いつのまにか空っぽになっていた。
 女の子は溶けていくアイスクリームを黙って見てることができない、って本当だったんだな。
 溶けてしまうのがもったいなくて、つい食べてしまう。
 そして食べてるうちに、甘いアイスクリームのおかげで斜めになっていた機嫌が直る――そう言ったのは誰だったっけ?
 フローズンヨーグルトでも有効なんだ。
≪あのさ、キッチンの様子……見た?≫
 横目で見ながら訊ねると、ティアナが神妙な顔でうなずき返した。
≪竜巻の後みたいなやつ?≫
≪ははは、そうそう≫
≪キヨミって、ほんと不思議……ハウスワーク以外はあんなに何でもできる人なのに≫
≪あれ片付けるの俺の仕事なんだよね……かわいそうなステップブラザーを助けたいと思わない?≫
 ベッドから立ち上がって左手を差し出す。
≪あたしって……ジーンには甘いわよね? すっごく≫
 小さなステップシスターは、俺よりいくつも年上みたいな口調でそう答えると手を取ってくれた。
≪かもな≫
 甘いっていうより。
 やっぱりこの家でいちばん分別があるのかも。
 母さんの言ってたことは、どうやら本当らしい。
 いっしょに部屋を出ながらそう思った。

 

 

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